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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
3章 奔走、カラスノ合衆国
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A41W02:オオハルシャギク

 行きの道程は危なげなく進んだ。日中は牛車の牛や御者を交代しながら進み、夜は宿屋で休む。ノモズの秘書たちはいい働きをしてくれる。元より安全な道だ。危険はほとんどなく、茂みが固まった道ではキメラがこっそり薄目で眺めておく。同じ調子で進んでいく。


「最後の宿が見えましたよ。クレッタさん、後ろを頼みます」


 ノモズが先に出て、挨拶に始まりそれぞれの手配を済ませる間に、後ろで寝ていたキメラを起こす。教わった通りに脚を揺する。本当は夕陽を浴びて起きていたが、寝ていると思わせた方が都合がいい。周囲の気配に異常は感じられず、すぐに起きて飛び出た。


 ここでクレッタの顔色からひとつ異変を読みとった。


「その顔、いや、なんでもない」

「どうしましたか。聞きたいですね」

「昨日までと雰囲気が違ったから。けどたぶん月経だろ。あんたも」


 クレッタは露骨に声色を落とした。


「直接的に踏み込む物言い、アナグマは皆そうなんですか」

「おおむね。まあ私も久しぶりに使ったがね」


 日中は隣でカティが横になっていた。二人も横になれる大型の車両だった。ノモズのことだから、周期も念頭に入れた計画だろうな。この点では意見が一致した。


「キメラさん、つかぬことを伺いますが、あなたの周期はいかがですか」

「心配ない。何の因果か、今日のうちに済んでる。多分ノモズもだろ。近しいと周期も近づくって言うしな」

「軽いんですね」

「アナグマはみんなそうだ。ハンデが大きいやつは生きていけないからな」


 クレッタは顔色をさらに曇らせて吐露した。指摘通り、敬愛するノモズも月経の時期で、いつだって翳りも見せずに動き続けていた。もちろん今日も。対するクレッタは動きがいくらか鈍る程度で、僅差とはいえ、ここでノモズの足を引っ張っている。それでも体質は覆せず、歯がゆい思いをしている。


「クレッタだったか。あんたもやってける側に思うが、どうだい」

「引き抜きですか。私はノモズを裏切るつもりはありません」


 クレッタは一転して強く言い放ち、先に建物へ入っていった。


 カラスノ合衆国に多い宿は、単純な小屋に寝台だけが横たわり、他の調度品は井戸と同じ小屋にまとめられている。道路の発達と共に古い村が寂れて、残った建物をそのまま転用している。


 扉が二つで、窓がない。護衛対象の四人は建物の中で眠り、キメラは外で周囲の音に耳を傾ける。同じ調子で旅路を過ごしてきた。


 今夜も同じ、何事もなく更けていく。


 快晴の朝、ノモズが最初に起き出した。キメラの挨拶で異常なしと知り、他の者たちが起きるまで待ったら、日持ちする携帯食を食べる。


 牛車を待つ。近くのコラルから今日の担当が来て、挨拶をして、乗り込む。正午をいくらか過ぎた頃に着く計画になっている。キメラは短いが仮眠をとる。着いたらやはり周囲の様子を確認しなければならない。


 主要の道と合流したらしく、車輪から伝わる振動が弱まった。久しぶりに寝心地がましになった。


 潮風の香りと共に目を覚ました。少し前の船旅とは少し違う、気候もあって暖かに感じた。気づかせて説明を受ける。


「正面の一帯が港町キエーボ、目的地です。まずは無事に着きましたね」

「まだ着いてないぞ。最後まで警戒しろ」


 すっかり楽天的な周囲を察知して釘を刺す。緩んでいたら狙い目になる。加えて今は、目立ちそうな調子を隠してやる。


 ノモズの声色にどことなく曇りを感じた。最初から察していたが案の定、事情あっての行動らしい。契約しただけの相手として振る舞える言い方で助かった。違和感には気づかないふりをして、目測で規模を想定した。


 視界の右側に帝国領との隔てになるシュカラ山を見て、建物は左に行くほど小さくなる。豪商との話をつけると聞いているので、大きい建物の付近に絞って、おおまかに道を覚えていく。港の規模はまだ見えない。いくらキメラでも、気圧で海抜を把握できるほどの鋭敏さは持たない。


 門前の関所では騎士団の若手が待っていた。いつも通りノモズが挨拶に出る。積荷は食料ばかりなので通行の許可はすぐに出た。それとは別に、彼の耳打ちを受けた。


「お疲れ様です。もう行っても?」

「少しだけ耳を失礼します。銀髪で長髪のあなたに、個人的な忠告を」

「私ですか。場所を改めたほうがいいですかね」

「それには及びません。耳を拝借できれば」


 若手は両手でノモズの耳との間に空間を作った。念のためキメラが手の動きを見ておく。少しでも武器を取りそうならすぐに飛びかかれる。


「僕は臨時で増員されてきました、ケイグラと申します。ニグス商との対談を控えたノモズさんと伺っています。ふたつ十分に注意してください。まず彼らは亡きはずのルーキエ・ニグスを、どこかで生きていると考えた上で、ノモズさんと同一人物と盲信しています。次に騎士団の中にも、少ないながら息がかかったものがおります。どうかボディガードの彼女にもお伝えください」


 言い終えたらノモズから離れて敬礼する。もう通ってよいと示す。


「確認を。なぜ私にその話をいただけたのですか」

「それはですね」


 ケイグラは言い淀んで、片足を浮かせた。この先は耳打ちよりも広く聞かせる方がよいと判断した様子で、足を戻して口を開く。


「『僕の妹』がノモズさんを推している、と聞いたからです」

「そうでしたか。助かります。『妹さん』にもよろしくお伝えください」


 ノモズの指示を御者を経由して牛に届けた。連絡を入れた宿屋へ向かい、旅路の行き半分を終えた。


 予定では宿屋で二泊して、その翌日に交渉となっているが、すでに到着したと知ったら明日にでも始めるかもしれない。トラブルなく済んだなら早く済ませるほうがいい。


 少なくとも今日ではないと聞いたので、キメラは今のうちに街の様子を見に歩いた。


 石畳と煉瓦の平屋が目立つ、いかにもカラスノ合衆国らしい街並みだ。道で網状に繋がるうち、大きな集落はいつも似た街並みになっている。


 ここで目立つのは草原だ。屈むだけで隠れられそうな草と、少しの大道具が佇む。見えにくいが区切りがあるので、それぞれが大きな家の庭らしい。管理が甘い場所も、高さを控えめにした場所もある。風で鳴る音も少しずつ違う。もしここで荒事になれば見た目以上に面倒になる。


 車輪で入りにくくするのが主目的らしい。高台絡み下す限り、道の他はあらゆる広場が荷車には狭くなっている。野良で商談をされたら困る理由、おそらくはみかじめ料を取っているとかだ。


 高台の広場から大きな目で眺める。真っ先に目立ったのが巨大な雲だ。今は遠くの海上にあるが、植物の傾き方から風向きがほとんど一定の様子がある。ならばあの雲は必ずこっちに来る。雨が近い。


 海へ続く道の先にはいかにも産業区らしい建物が並ぶ。睡眠不足の今だ。戻り道の登り坂を避けたいのでここから見るだけで済ませた。関わりそうなら改めて見に行けばいい。


 高台の広場にはベンチが多いが、ちょうど今は二人きりになれたのでノモズが声をかけた。


「いかがですか。この町は」

「気持ちがいい地形をしてる。人の質が伴ってたら文句なしだが」

「そうでしょうね。文句を聞く準備はあります」

「金髪のよそ者らしさ、いや違うか。ここならよそ者はいくらでも集まる。てことは内向きの、ノモズが言うなら不正義かそこらだな」

「話が早い。助かりますね。助かりついでに、あの金髪の女性を確認いただきたい」

「遠いな。行ってやる」


 ノモズが示す先の、いかにもよそ者らしい服装と振る舞いの者に近づいた。手に持った花と草原に咲く花を並べて匂って、立ち上がると鮮やかな金髪が揺れる。大目立ちする長身の美貌は街人の注目も集めている。遠くから眺めている男もいた。


 やはり見間違いではなかった。


「ミカじゃねーか!」

「何よその言い草。貴女の挨拶はいつもそれなの?」

「私は生死不明と聞いただけだからな。生きててよかったよ」

「そうかもね。私はまだ生きてるよ」


 キメラは話しながら違和感を見つけた。息遣いが違う。言葉に区切りが減って、一度あたりが長い。


「何か変わったか? いや、本当にミカか?」

「本当も嘘もないと思うけどね。一人しかいないのが当たり前でしょう」

「ほーん」

「まあどっちでもいいわ。これをあげるからまた明日にして」


 キメラの手に、半ば強引に花を握らせる。茎の切断面が斜めで、意図的に切ったはずなのに押し付けたがっている。


「オオハルシャギク、好きなのよ」

「コスモスのほうが通るぞ。この辺のか?」

「まさか。商人の船で、乗船料として貰ってきたの」

「あんたやっぱり変だぞ」

「隠しといた方がいいわよ」

「おい!」


 キメラの言葉から逃げるように、スキップで離れていった。海抜が低い側には商人向けの宿があり、追うには利がない。見えなくなるまで立ち尽くした。


 押し付けられた盗品の細工を確認する。とんだ面倒ごとに巻き込まれた。ミカは気に入らん奴でも、無意味な騒ぎを振り撒く奴ではない。きっと意味あって盗んできた。花びらの付け根には何もなく、次は茎をナイフで開く。露骨なものを見つけた。


 小さな白の球体が二個。経緯を加味すると正体の検討がつく。真珠の密売の疑いとして、ノモズに報告する。

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