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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
2章 潜入、ガンコーシュ帝国
35/89

A34U14:キノちゃんさんから聞きましたよ

 市街地用の戦車に追われながら、秘密の地下通路へ向かう。東側の山へ向かうまでに振り切れる確信がない今、北上して海近くの入口へ向かうと切り替えるまで前提にする。燃料の余裕はわずかなので、速度に頼るか、どこかで乗り換える。ランスホイール号に三人では速度が心許無い。しかも一人は怪我人だ。運転担当のキメラは他の情報を後ろの二人に任せる。


「キノ、状況は」

「来るのは一両だけ。速度はこっちより遅い。今はね」

「よし、応急処置なら今だ」


 射線を防ぐ曲がり道を進む。遠心力は絶え間なく襲うものの、衝撃ではない。規則的で予想がつくおかげでユノアは黙って痛みを堪えられる。


 まずは折れた脚に棒を当てがう。膝も含めて上下を縛って固定する。届かない足首側をキノコに頼み、結び方を知らないと聞いたら、手元で結んでから渡す。ハングマンズノット、扱いが簡単でありながら強い結びだ。ロープの折り返しを二度、その端を四周ほど巻くと、二つの輪ができる。束ねた端を近い輪に通して、逆側の折り返しの輪を引く。これで輪がひとつになり、垂らせば絞首刑の形になる。キノコに渡して脚を通したら、あとは引くだけで輪が締まる。


 不慣れゆえの遠慮がちな結びでは足りない。今は固定が必要になる。もっと強く。言葉を信じて結び目を押さえて引く。


「済んでるよな。道がもうすぐ直線になる。揺れるぞ」


 直線の大通りに出た。遠心力がなくなり落ち着いたのは束の間、ここぞとばかりに銃撃が来た。蛇行で直撃を避けて車体の左側へ、斜めに受けて跳弾させる。小さい弾丸はこれで防げるが、衝撃だけ防げない。最も弱い一点、ユノアの脚へ。


「ああああっ!」


 声を抑えきれず中に響く。普段の物静かな振る舞いが今だけはまるで別人になる。すぐ隣に見えるキノコの驚き顔がやけに印象に残った。銃撃の音のたびに声の大小が当たり方の測定器になる。


 キメラは心を鬼にしてアクセルを回す。ここで距離を稼げば視界を遮り逃げ切れるかもしれない選択肢を押し付けられる。蛇行を控えめにした分だけ銃撃の衝撃が増える。後部に穴が開く。小さな弾が膝に落ちる。


 停められた誰かの車を踏み潰す時間の有無もあって距離をそこそこに稼げた。道を変えて、揺れが遠心力だけに落ち着いたころ、ユノアは息も絶え絶えに言葉を絞り出した。


「キノちゃん、ハンカチーフを」

「なんで今?」

「私の口を塞ぐ。キメラが集中できるように」


 小さく震える手から取り上げて、口に詰め込む。唇との隙間を塞ぐように広げて押さえる。猿轡だが、必要になればすぐに取り出して小瓶を噛み砕ける。


「また揺れるぞ。今度はさっきよりひどい」


 キメラの予告は道の変化を示す。舗装が甘くなり、やがてなくなった。タイヤが小石や枝を踏む。車体が上下に揺れる。


 ユノアの声は口を塞いだおかげで小さく消えていった。ハンカチーフの網目から勢いなく呼気を漏らすばかりで、音は呻く程度だけが残る。キノコが後ろを確認する。あの戦車は遠いがまだ見える。銃撃はまだしばらくはまず来ない。この距離で当たる精度ではない。帰路はまだ長い。


 鎮痛剤を使う。ユノアは股間に手を伸ばした。膣前庭を二本指で押さえて、力加減を変えたり、位置をわずかにずらす。やがて粘性の、気泡が潰れる音が混じりだす。エンドルフィン、自慰行為によって得られる鎮痛作用は、今この場をやり過ごすに十分な強さがある。


「キノも覚えておけよ。体の使い方はな」


 悪路が車体を揺らす。都市を離れた場に人が寄り付く理由は限られている。一応は通れる程度の林道は、通りやすい道の蛇行よりもずっと不規則に大きく揺れる。鎮痛剤のおかげでユノアの声はなく、増えゆく木々のおかげで銃撃が通らない。あの目立つ姿が視界に残るのは忌々しいが、この調子ならそれもじきに終わる。


 一応の道からも外れて、森林の隙間に車体を捩じ込む。細身の設計はこのためにある。向こうの戦車がいかに小振りでも、こんな隙間は追いようがない。ある程度は間引かれた木々の間を進み、やがて秩序のない原生林に隙間を見つけて進む頃には、エンジン音も聞こえなくなった。


「来てないか?」

「大丈夫。着いたらきのが開けるね」

「待て。追ってくる奴をこんなに早く撒けるなんておかしい」

「ここらには鳴子もあるけど、きのたちの分しか鳴ってないよ」

「そんなの聞こえないが。ユノア?」


 いいえ、を手で答えた。


「ちんまい音だから仕方ないね。きのが聞こえればいいと思って」

「わかったよ。着いたらすぐ頼むぞ。今はキノがいちばん頼れる」


 キノコは誇らしげに胸を張って、周囲の音を探す。機械に関してはユノア以上に耳聡く見つけられる。鳴子の音は変わらず、自分たちの音も無くなる位置まで来た。目当ての地下通路の前に停まり、速やかに外に出る。


 苔むした岩の下、隠し通路の蓋を開けて、アナグマの地下通路へ逃げ込んだ。念のため内側から塞いでおく。報告の手間こそ増えたが、もう安全だ。避難路を使い捨てにするのは珍しくない。危険よりはずっと安い。


 トロッコに乗り換えて大聖堂の地下へ向かう。深くへ行くほど壁が厚くなり、あらゆる音が反響する。帰ってきた。アナグマの中枢は他のどこよりも心身が安らぐ。湿った空気と地熱を差し引いても同胞だけの場は居心地がよい。堅牢な設計が外敵から守ってくれる。ここでだけは気を抜いても許される。


 ユノアを医務室に預ける。三人とも、ようやく昂りが落ち着いてきた。たったの一日を一生の残りすべてに感じていた。明日がある歓びを噛み締めて、アナグマの、故郷ゆえの安心感に包まれて眠る。


 キメラが忘れかけていた都市部は野宿よりもひどい環境だった。薄い壁の先に敵がいる。しかも、すべての方向にほぼ等間隔で並んでいる。それらに対し、動植物からの情報を封じられた状態で向き合っていた。


 そんな環境をユノアはいつも渡り歩いていた。壁の薄さも利用して、耳で得られる情報を探り、耳で奪われる情報を隠し続ける。真似できないな。尊敬する点がまたひとつ増えた。


 地下ゆえに時間の間隔もなくなる。瞼を開けてもまだ暗い。水を一口、そのまま起き出すには重いので改めて横になる。繰り返すうちにキノコは寝台を空けていた。ああ見えて無理をしない奴だから、負担が自分より小さかったとわかり、キメラはひとつ安心した。休息を十分と自認してから、軽く体操で慣らして、厚い壁の先の部屋へ出る。次は空腹を満たしたい。


 都合よくテーブルに非常食が置かれている。疑問を出す頭は吸い込まれながら回った。誰が置いたか。部屋の隅からの足音へ顔を向けて、サグナからの労いの言葉を受け取った。


「お疲れ様でした。お加減はいかがでしょう」

「ぼちぼちだ。私はほとんど付き添いだけだったからな」

「謙遜を。貴女でなかったらきっと死んでいたと、キノちゃんさんから聞きましたよ」

「ちゃんさん?」

「慣れないもので」


 キメラが頬張ったものを飲みこむまでに、サグナが水のおかわりを用意する。物腰が柔らかな奴がサービスよく振る舞う。向かいに座った。こういう状況には覚えがある。ノモズ相手のときもそうだった。必ず面倒な話が来る。仕方がないので先に話題を振ってやった。


「ユノアはどうだ」

「ご安心ください。応急処置は適切でした。時間はかかりますが、回復します。多少の歪みは、残るかもしれませんが」

「よかった。あんたとも、仲がいいって聞いてる」

「使っていたロープですね。濡れても伸び縮みせず、強度も十分なものです。貴女も触れたことがあるのでは?」

「まあな。普段ならタオルを挟むが」

「いい気遣いです。さて、ひとつ連絡があります。聞く準備は」


 キメラはため息をひとつ。物腰が柔らかな奴は人使いが荒い。前回も同じで、ようやく戻った直後に潜入を求められた。仲がいいほど似るってやつだ。それでも文句より先に出るものがある。


「言えよ。信用してる」

「ありがとうございます。疲れが取れ次第、ノモズの事務所へ急行してください。山積みの問題のうち、ボディガードを頼みます」




――――


【2章あとがき】

ここまでガンコーシュ帝国編の愛読ありがとうございました。

3人は無事に帰投し、体を休めて次の戦場へ向かいます。

潜伏班の2人は引き続き一般人の顔で暮らし、

サグナは一番堂に戻ります。


 来週 6月6日は幕間で、

再来週 6月13日に3章カラスノ合衆国編を始めます。


 規則的な連続殺人、ニグス商会の裏取引、そして新興のカルト宗教。

三つの事件が世間を賑わせ、

ノモズはすべての渦中にいる。

キメラと合流し、

アナグマでない仲間たちとも協力して、

それぞれを解決する。

おたのしみに。



【安心の情報・補足】

以前に「主要4人は最後まで生存します」と言いました。

(ユノア、キメラ、ノモズ、キノコ)

これだけではとても安心しきれない。

死以外を否定していませんでした。

たとえば生存しているが四肢と視力を失って顔に火傷をして歯がボロボロになる場合など。

私はちゃあんと安心を提供します。

主要4人は最後まで五体満足かつ感覚器と尊厳を保ったままで生存します。

加えて、高野長英(蛮社の獄のひと)のように硝酸などで顔を変えるのもしない。



長々と書いてしまいました。

2章のあとがきは以上です。

来週もよろしくね。

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