A31U11:宇宙遊泳
中央棟は文字通り城塞の中央にあり、宿舎への侵入とは前提が違いすぎる。フェンスではなく塀に守られ、入り口まで開けた空間が続く。それらのすべてを多数の監視員が見下ろしている。夜の帳も隠れるには足りない。
塀の先は戦車には狭く、多く見積もっても二両が限界だ。陽動に釣られて出払っている可能性さえある。それでも話は楽にならない。生身の人間二人など、ただの乗用車に追われるだけで大問題だ。こんな場所で使われる車なら、なおさら。
ひとつだけの閃光弾は通じない。自称・搦手は特殊な対処を要求して初めて価値を持つ。正規軍は普段通りに行動する。想定より些細な攻撃として防ぎ、想定より火力に欠ける敵として踏み潰す。ガンコーシュ帝国でも同じだ。
何であっても共通する初動だけは決まっている。
宿舎を出る。階段へ向かうのも手間なので、飛び降りるつもりで廊下へ駆けた。三階の高さは勢いがあれば無傷で着地できる。突き当たりの窓を開け放ち、助走に十分な直線を確保した。いざ走る前に、ミカが手首を掴んで止めた。
「離すか、妙案か」
「妙案よ。ここから飛ぶ」
ミカは反対の手をスカートの裏に伸ばし、何かを回した。すぐに説明なくジャンプをひとつ。二人分の体が浮かび、窓枠を越えて、さらに高度が上がる。
ユノアは重力がなくなったように感じた。上昇も下降も緩やかな放物線で、同じ軌道を常識的に実行するには人間の助走では足りない。今この場で、水平方向の速度はその常識よりも遅い。
脚力とは違う。ユノアの手首にあるはずの負担がない。散歩で手を引かれるのと同じ、体重を別のどこかで支えている。舞い上がる紙切れになって空中を揺蕩う心地だった。
困惑を尻目にミカは木を踏み台にした。針葉樹の先端に片足を乗せて、角度をつけて踏み込む。階段でも登るかのように、優雅な態度で軌道を変えた。塀の上端で、もう一度。
監視の目に死角がないのは、上が使用不能の間だ。空中は誰も移動できず、侵入するには地べたを這うのみ。その常識を覆しかけたのがスットン共和国の飛行機だ。将来的に同等の兵器への対処をしなければならない。けれども、鎮静が早かったために情報が足りないし、この城塞は最前線から遠い。改修の優先度は決して高まらない。
二人はすべての障害を無視して、中央棟の四階廊下の窓に飛び込んだ。楽に進むのは願ったり叶ったりでも、アナグマの多くは手段に対して再現性と安定性を強く求める。ユノアも例外ではない。同じ手段を別の機会でも使い続けられるなら、今後の幅が広がってより大きな状況にも対応できる。
ユノアには、この体験を技術とは認めたくなかった。発展といえば常識を覆すのが常とはいえ、これは覆しすぎる。魔法と区別がつかない。考えても何もわからない。こんな常識外れな報告はなかった。
まだどこにも配備されていないか、生還しなかった数人が知っているか。潜入を始める前の、些細な情報と繋がるかもしれない。もしそうなら、ユノアが消される番だ。警戒を強める。
「うまく入れたわね」
「何なの? これは。ミカさん自身も」
「倉庫で拾ったのよ。とんでもない技術よね」
ミカは頓着しなかった。あるから使うし、できるからやる。アナグマの目的がそのまま手段でもある。道具の由来には興味を向けず、もし失くしたり壊れたりしたら、すぐに諦めて他の策を選ぶ。
ユノアはその姿勢こそが必要な気がした。自らを含む全てを道具に見立てて、持っている範囲の組み合わせで答えを出す。供給に難があっても、需要も少ないならば、問題になる前に次の供給がある。手元の道具が何であっても、扱いを周知していれば、適切な答えに辿り着ける。
意識を目の前に戻す。今この場での適切さは、カナへの到達だ。
中央棟の四階には居住室がある。いつでも呼ばれる者が住む。例えば、テロリストに対処する現場の指揮官が。今は仕事中で、必要な者はすべて出払い、必要でない者は安全のために篭っている。
廊下を進む。窓がない部屋を廊下で囲み、四つの階段が隅にある。扉を出れば逃げ道が多く、部屋の中には逃げ道がない。上下か隠し扉の兆候を気にする。
足音があればすぐに気づく。踵から爪先まで、外周を順に接地させる。一歩ずつ踏み出しては重心を移していく。扉の表札を見て突入先を選ぶ。候補がひとつに絞られた。
ハンドサインで足並みを揃えて、カナの部屋を開けた。
寝台だけが豪華な天蓋つきのクイーンサイズで、他の調度品は質素に揃っている。飾り付けが間に合わなかったらしい部屋の奥で目立つ人影がひとつ。あれがカナと断定した。
直進するには机が少しだけ引っかかる。勢いを削ぎつつ逃げ道は残す。待ち構えるに最適な配置で、動きやすい服装で、すぐに立ち上がりナイフを構えた。騒ぎが始まってから現在まで十五分にも満たない。すぐに準備する程度には用心深さがある。すぐに動くだけの覚悟がある。ただの側室とは違う。
扉を閉めて逃げ道を塞ぐ。声も届きにくくなる。元よりその場の全員の意思は固まっていた。口は閉じたまま、武器で語る。




