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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
2章 潜入、ガンコーシュ帝国
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A26U06:設計士の自由

 アナグマの隠れ家はごく一般的な民家の姿をしている。


 定点観測や補給地点として、多くは夫役と妻役の二人一組で待機している。時が来たら動く用意もある。疑念の目を避けるために互いの繋がりを薄めて、それぞれが地域コミュニティで多少なりとも発言力を持つ。


 家主との挨拶やら情報共有はユノアに任せて、キノコの休養を第一にする。隣でキメラはつきっきりになる。夜中の到着から朝まで、ときどき思い出した様子で呼吸を荒げる度に、キメラは腕に力を込める。


「ちゃんと居る。大丈夫だ」

「ユノアさんは」


 低く、暗く、抑揚がなく、不機嫌にも思える。普段とはまるで別人だからこそ返事はいつも通りにする。


「あいつも結構、堪えてる。しばらくは向こうの部屋で書類に目を通してるってさ」

「キメ姐は、何も感じないの。きのが、こ、こ」

「言わなくていい。私は、何度も見てきた」


 元より今回のキメラは荒事を想定して同行している。これまでの活動でも、敵対する相手や標的に手を下すのは決まってキメラの役目だった。ナイフ、拳銃、狙撃銃など、外傷や出血を伴う処置を担ってきた。


 一方のユノアは、殺しの経験こそあるものの、外傷がある死体を間近に見た経験がない。毒か、炎か、転落とかで、見えない場所で事を済ませていた。


 初々しい反応に囲まれて、キメラは自分の手が怪物に見えた。スットン共和国の北部で生まれ育ち、乗り物を無謀に扱う連中の事故死を身近に見続けていた。初めて自分で手を下したときも、服や手が汚れて洗いたいと思うばかりで、命そのものはよくある話と同じだった。


 怪物か。きっと、キノも。


 続く話は昼まで待つ。まずはよく寝て、起きて、食べる。しかもお腹いっぱいに。今は二人で、丸くなって眠った。


 静かな夜が通り過ぎた。


 朝日を合図にキメラが目を開けた。他の出来事も同時に起こる。キノコが隣で起き出す。ユノアが寝室に入ってくる。疲れた声で言う。


「おはよう二人とも。私は少し寝るから、あとは彼から聞いといて」

「お疲れさん。カーテンの隙間は塞いどく。できるかキノ」

「うん。よく寝てね」


 喋りから昨夜よりは回復している。万全にはほど遠いが、今はこれでいい。


 居室で家主と対面した。くすんだ金髪に白い肌で、細身で背が高い男だ。彼の発明家気取りの顔立ちにキメラは見覚えがあった。


「ヒイゴスか?」

「やっぱりあのキメラか! 久しぶり。元気そうでよかったよ」


 キノコは袖を引いて誰なのか尋ねる。彼は共和国にいた頃にキメラと仲がよかった男で、機械いじりを趣味としている。弾丸や爆竹など使い捨ての一発が得意で、キノコ好みの継続して動作する機関とは対照的だ。


「仲良くできそう。よろしく」

「よろしくね。キノコちゃんでいいかな」

「うん。いいよ」


 鍋に呼ばれてヒイゴスは調理台へ向かった。朝早くても食事の準備を整えている。そういう役目でここに構えている。


「今日はあり合わせと弁当になる。こんな歓迎でごめんな」

「仕方ないさ。キノ、食べるぞ。いただきます」

「いただきます」


 米、パン、ガルニチュールのスパゲティ、牛肉、鳥の唐揚げ、ミートボール、ポテトサラダ、味噌汁。解体した弁当を三人で分けて、普段用の食材を多めに使って三人分にしている。妻役が出ている日で助かった。今の冷蔵庫事情では同時に四人分を用意するには頭を抱えるしかない。ヒイゴスはぼやきをユーモアに変えて語った。品数は多いが一品あたりは少なく、コース料理を一度に出したみたいだと。


 キメラは内心で呟いた。この場に高級料亭を知る者がいなくてよかった。


 いざ食べ始めたらキノコにも笑顔が戻った。肉類を見ては顔を顰めて後回しにするので、キメラが珍しく「食べちまうぞ」と宣言してゆっくり箸を伸ばす。そうすると惜しくなり、先にキノコが取って食べる。


「ごちそうさま」

「食べられてよかった。僕が片付けるから、二人はゆっくりしててよ」

「助かる。さてキノ、おいしかったな」

「うん」


 話が始まる口ぶりを察知し、椅子ごとキメラに向き直った。


 目先の不安はキメラが何を話すかにある。何を言うにしても、キノコを責める形になるかもしれないと思われた時点で恐怖心を刺激する。言葉選びを慎重にする。丁寧な連中に囲まれ揉まれてきたとはいえ、自分で使う経験は少ない。


「まだ怖いよな」

「うん」

「そうだよな。それでいいんだ。そうなるのが自然だよ。特に、普段の担当じゃない奴は誰だってそうなる」

「あの状況じゃなければ、普段だったらキメ姐が担当するってこと?」

「そうだ。けど、私だけじゃない。どこにだって殺す担当がいるんだ。例えば、さっき食べた肉にも」


 キノコは黙って俯く。


「食った牛や鶏に対して、罪悪感があるか。無くたっていいんだ。むしろ、無いほうが生きやすい」

「わかんないよ」

「殺される側にとっては、どっちでも同じだ。自分が生きるために、自分以外を殺す。生きていくのはその繰り返しだ」

「キメ姐」

「『いただきます』の意味だ。命をいただく。私だって、思うこと自体はあるさ。未だにな。だけど罪悪感じゃあない。殺すから、生きられる。感謝だよ」

「それじゃあさ」

「驕った屁理屈と言うならそれまでだ。だが生き物は、驕らずには生きられない」

「きののこと、怖くない?」

「怖くないさ。キノは生きるために必要なことをした。私が見たのはそれだけだ」


 二人は改めて抱擁を交わした。泣きながら。


 今はこれが最優先だ。ユノアが持ち出した設計図を読んでもらうには、キノコの元気を取り戻す必要がある。今だけはアナグマの属人性が裏目に出たが、元より仲間は大切にする。


「ありがとう、キメラおねえちゃん!」


 きっと心配は薄れていく。アナグマには居場所がある。どんな過去がある者でも受け入れてきた。この潜入も、長期的にはそのためだ。


 居場所があれば、生きられる。

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