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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
2章 潜入、ガンコーシュ帝国
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A24U04:カムシャフト周りの磨耗

 ユノアの先導で三人は工場へ向かう。


 前日に得た情報は後にして、まずは目の前にある主目的に集中している。


 発端になった情報が確かならば、ここに妖姫派の情報がある。計画した通り、名前がある契約書を盗み出す。ついでに、無関係な図面も取っておけばきっと役に立つ。


 帝国には交通機関があるが、無思慮に使えば目立ってしまう。あまり見ない顔が三人も揃って時間はずれに工場に向かえば、見つけてくださいと言うも同然だ。


 まずはタクシーを使う。行き先を詳しく伝えた。工場がある地区よりも奥にある料理店へ。奮発した夕食としては都市部の若者にも評判で、乗った場所も含めて、よくいる若者グループの顔をしている。


 昼のうちに近づいて、時間を潰して、夜まで待つ。


 年長のユノアが支払いを済ませる。帝国訛りも合わせて疑われた様子は最後までなかった。財布をトートバッグに放り込んで、走り去る様子を見送ったら、専門家に出来を訊ねてみた。帝国ではエンジン車が普及してから長い。


「キノ。あの車、どうだ」

「カムシャフト周りの磨耗らしい振動。けっこう長く使ってるね。だけどその割には性能がいい。軋みかたのバランスもずれてたし、きっと一部分だけ載せ換えたんだね」


 キメラは目線を移し、ユノアは首を傾げて答える。人による音や匂いには鋭敏でも、機械についてはキノコの右には出られない。


 件の工場の下見をする。小高い丘から、双眼鏡で。


 ホメオスタ地区の六番、奥まった場所に待ち構える建物は、十分に大型ながらも、周囲のもっと大きな工場に埋もれて小さく感じた。倉庫らしい薄そうな壁と、併設された事務所風の建物に、車両を停める広場。周囲のどことも変わりない。


 今日は地区まるごと休止の日だ。表向きには点検だの持続性だの掲げているが、明らかに別の本命がある。たとえば、誰もいない地区に密使が訪れて、秘密の指令を加えるとか。正体を同郷にも伏せたい事情があっても不思議ではない。


 とりあえず夕方の観察では、動く誰かは見えなかった。


 道を把握したら夕食は兵糧丸で済ませる。小型で軽量な中に必要なエネルギーをたっぷり詰め込んでいる。


「キメラおねえちゃん、いつもこれなの?」

「前線だからな。身軽に動けるほうがいい」


 キノコは露骨に物足りなそうな顔をしている。大人は維持だけで済むが、子供は成長のためにもエネルギーが必要になる。骨も、筋肉も、内臓も、まだまだ強く大きくなれる。


 一応、いくらか大きめに作ったが、それでも。単純に胃の中身が物足りない。


 陽が沈むまで待ち、潜入を始める。


 まずは工場地帯の入り口へ。金網の扉を開ける。鍵はユノアのマスターキーを使う。初回の調整だけ済ませれば、大抵の鍵穴なら音も痕跡もなしで開閉できる。


 ユノアが探りながら進み、指示に従ってキメラが追う。キノコはその背中で側面の警戒を担う。動くものがひとつでもあれば危険を共有する。


「本当に空なんだな」

「どこに潜んでるかね。私が気づいてないから、相当な手練が誘い込んでる気がする」


 耳と鼻が効く二人が誰も見つけず、キノコを惹く設備もない。何の変哲もないがゆえの不気味さで、目的の建物を前にした。


「こっち」


 ユノアのひと声を道標にして、軽やかな背中を追っていった。建物の裏手へ向かい、ここはマスターキーが通じない特殊な鍵穴なので、二階の窓に穴を開ける。内側から回り込んで扉を開けた。キノコの準備運動も済んでいる。


「存外こんなもんか。そっちは一人でいいか」

「いい。作業所はそれ」


 分担は、キノコが作業所の設備を観察し、キメラがその護衛で、ユノアが残り全部から盗み出す。一階は休憩室と応接間ばかりで、主に二階だ。


 ユノアは蝋燭を灯す。半ばに傷がつけられて、端がこの線に触れたら途中でも切りあげる。キメラに渡す方はカンテラ型の覆いつきで、不測の接触を防ぎ、非常時には捻れば窓が閉じて光を隠せる。


 背中合わせで取り掛かる。


 ユノアは二階の製図室に来た。棚を埋め尽くす書類に目を通す。予習になかった名前がある書類と、設計図すべてをトートバッグに放り込んでいく。左肩にかけて、下端をベルトに繋ぐ。動き回っても体に密着するので重心は安定する。


 ついでに、この工場と利害関係を持つ相手が欲しがる情報も探しておく。目的を欺けたらラッキー程度だが、荷物を少し膨らませるだけの省コストだ。これで追手が遅れるなら丸儲けになる。


 棚に埃を見つけた。触れなかった期間を五十日以上と推測し、埃の痕跡を隠す。手袋に縫い付けたハンカチーフを引き出して全て拭き取ってから書類に手をのばす。


 鼓動が七回、呼吸が一回、瞬きが二回、書類が十三枚。


 ユノアは静かながら昂揚している。人の海での情報収集が続いていた。やはり、潜入のスリルを味わいながら棚を綺麗にするのは最高だ。誰の目もない空間でひっそりと満たされている。


 蝋燭が揺れる。空気が流れたと教えてくれる。通常ならば、書類の動きでの風か、ユノアの呼吸か。今はどちらとも違う。どこかで扉が開いた。時間はまだ半分以上残っているが、続行は蛮勇だ。ここで切り上げる。トートバッグがパンパンに膨らんだ中に望みの情報があると願って、口を閉じる。これで中身は溢れないし、音もたてない。


 月光の穏やかな光でも、外を動く何者かを見つけるには十分だった。ひとまずは喫緊の様子ではない。先行して扉を開けた推定一人と、その後ろからついていくもう一人。まだ事態を嗅ぎつけていないが、静かなはずの工場から少しでも音があったら必ず気づく。


 まずいな。


 ユノアは柄でもなく汗を拭った。普段ならさっさと退散するが、今はキノコがいる。無茶な逃げかたでは置いてけぼりにするだけだ。かといって、小火騒ぎを起こす手はまだ避けたい。


 キメラがうまくやると信じて、ユノアのできる範囲を探す。二階に誘き寄せる手は不安定だ。二人揃ってこちらへ来たなら打つ手がなくなる。ここには不意打ちに使えるほど隠れやすい場所がない。


 ならば、下で誰かがヘマをして、鉢合わせになると願って、挟み討ちにする。蝋燭を吹き消して、音を潜めて、ゆっくりと下へ向かった。


 時は戻って別行動を始めた直後、キノコは目の前を埋め尽くす巨大な装置に見惚れていた。


 生産ラインを眺めていく。小型ヘッドライトは不測の事態を減らすために照らす範囲が狭く調整されている。首を上下左右に動かし、アナグマの地下工房をふたつ埋め尽くしてもまだはみ出す設備を目に焼き付けていく。


 夢中になって進んでいくので、キメラが距離を保てなくなった。下手に近寄ったら機械のどこかに引っかかりそうで、足元を確認しながら踏み出す。試しにキノコが眺めた場所を見てみたが、意味が何もわからない。


 この巨大な設備は、どう動いて、何を作るんだろう。キノコは黙ったままだが、好奇心を満たし続けている。そんな顔をしている。


 あとで詳しく教わろう。キメラがそう思った直後に、空気の流れを感じた。足音が続く。キノコとは別の方向だ。機械の音でもない。ユノアは音を出さない。ならば答えはひとつ。


 誰かが来た。


 キメラは真っ先にカンテラの窓を閉じた。構えた拳銃は薬莢を持ち帰るためのリボルバー式、小型のダブルアクションだ。


 問題がひとつ。おそらくキノコは状況に気づいていない。音はわずかで、聴き取るには一朝一夕ではとても足りない。


 大きな声では居場所が割れるが、小さな声では聞こえない。キノコの現在位置だけでも把握したいが、機械が光を遮るし、光量が少ないので反射もない。


 少しずつ動いてようやく、キノコのヘッドライトが見えた。まだ遠いが、直角に曲がった通路の隅にいる。


 同時に、機械を挟んだ反対側から。


 扉が開く音に続いて、ふたつの強い光源がやってきた。ここでようやくキノコが気づき、ヘッドライトへ手を伸ばした。が、間に合わない。扉からキノコの位置までは一直線だ。暗い中で光があったらよく目立つ。


「何者だ!」

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