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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
2章 潜入、ガンコーシュ帝国
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A22U02:あいつは今頃

 船旅の間は何事もなかった。船が巨大で、現地人は船に慣れているし、それ以上の喪失を噛み締めている。船酔いしにくい要素が三つもある。


 仮設住宅地に入っていく。壁は薄いし、風が吹けば一部がガタガタと音を立てる。扉を開ける音も大きい。こっそり外出するのは至難の業だ。誰かの移動に乗じて、音を紛れさせる手で行く。数日かけて普段の音を把握していく。


「キメラおねえちゃん、お腹すいたよう」

「よしよし。すぐもらってこような」


 小さい子は便利だ。自分たちの目的を周囲に伝えて、違和感なく歩き回れる。時にはわざと道を間違えて、探検と称した細かな調査だってできる。子連れで動くのとは別に、ユノアも待ち合わせの名目で、一箇所に留まって周囲を眺め続ける。


 誤算もあった。近い区域の避難民が中高年に偏っている。人を隠すのは人の中と言うが、今は使えない。仕方がないので好意を集める方針に切り替えた。隠れられないならば、日常の一部に加わる。いつも誰かの手伝いをして印象付けておく。突飛な出歩き方をしても、誰かの手伝いと思われるために。


「キノちゃん、その手は?」

「さっきね、おばあさんが転んだのを起こす手伝いをしたの」

「キノったらこう見えて頑固だからな。私がやるって言っても聞かないんだ」

「あ! あの人だよ! 大丈夫そうでよかった!」


 老婆に手を振り、手を振られる。様子を周囲にも見せつけている。その場に溶け込んだら、誰に見えていても視えなくなる。自分たちはこの場にいるのが当たり前の、善良な民だ。


 ガンコーシュ帝国では同性愛を認めていない。民は尊重派、容認派、排斥派、そして日和見の四つに分かれている。普段ならいざ知らず、今は目立たないほうがいいし、キノコが同行する理由を見せたい。三人は親族になった。今だけは、親が兄妹の従姉妹同士だ。


 積極的には見せずとも、誰か一人にでも答えたら、やがては周囲に広がっていく。親が行方不明でも気丈に振る舞い、夜には啜り泣く声を聞かせておく。どの噂も、発端は一人でいい。別々の誰かから巡ってきた情報を精査する者は誰もいない。


 繰り返して五日目に動きがあった。


 雑踏でも目立つガンコーシュ帝国の制服だ。青を基調に、帽子の意匠や白ラインの数で階級を示している。長いマントが膝まで守り、縦長の帽子で長身をさらに高く見せる。避難所に自ら出向くにはおおよそ不釣り合いな高官だ。通常なら中央に近い施設を指揮するような大物が、なぜだか現場まで出向く。ユノアには覚えがある。


「キメラ、そのまま聞いて。あのひょろ長い男、あいつがハイカーン、以前からきな臭い動きをしてる奴」

「暫定、妖姫派か。下がっときな」


 ひと息ついて、姿勢を周囲に向けて、聴こえそうな声量にする。


「ところで、キノは?」

「そっちに居ると思ってたけど。いや、あそこだね。また人助けでもして」


 言いながらユノアはまずいものを見た。キノコが話しているガタイのいい男。あの顔も見たことがある。ハイカーンの助手らしく付き従っていたドウカーンだ。当然、片方で動くはずがない。ここで顔を覚えられたのはまずい。


 ユノアは見落としを装って別の方向へ探しに向かった。自分と関連付けられるのだけでも避けたい。意図はキメラにも分かった。こっちはこっちで、キノコを拾いに行く。しばらくユノアとは別行動を伝える。


「おうい。探したぞお。こちらは?」

「お役人さんだって。書類が風で飛ばされてたから、一緒に拾ってたの」

「おかげで助かったでゴワスドン。ただ、このことは内緒にしてほしいゴワスドン」


 キメラは探るチャンスにした。


「内緒って。友達とかに?」

「いや、他の役人に知られたら拙者が叱られるゴワスドン。書類を誰にも見せるな、と」

「ああなるほど。言いませんよ。それに中は読んでないし」

「助かるゴワスドン」


 事情も味方して、早々に話を切り上げられた。二人は住居へ戻りながら情報を共有した。キノコをおぶると袖がちょうどキメラの口周りを隠す。小声での話は雑踏にかき消される。


「ユノアさんはどこへ?」

「もう発ってるかもな。それか、寝込んでるか」


 他愛のない会話の合間に、小声でやりとりをしながら、住居に戻った。隣人と挨拶をして、鍵を取り出し、回す。ここで違和感だ。何の引っかかりもなく回った。


「あれ?」と「何かあった?」で異変を知らせる。そっとノブを回せば扉が開く。理由はすぐにわかった。鍵が破壊されている。


「泥棒!?」


 キメラが声をあげた。最初に隣人が、騒ぎに気づいてその隣人がと連鎖し、すぐに人集りになる。五日分の行動で一角のほとんどと顔見知りになっておいた。好感ある相手の困りごとには協力的で、すぐに情報が伝わった。担当者が来るまで誰も中に入らない。


 検分が始まった。荒らされた形跡は少なく、服がいくつか飛び出した程度で、荷物をまとめた鞄がふたつ無くなっている。具体的にはユノアのポーチと、キノコのリュックが。キメラの荷物は奥にあったためかそのままだった。推測は、手前から物色し、時間の都合での退散。証言といえば、いつもこの時間帯には横になってるかどこかへ出ている者ばかりが集まる。鍵を破壊した音は誰も知らない。おそらく計画的である以外、何もわからない。この場にある情報から言えるのはそれだけだった。


 応急処理として針金を使い、内側からのみの鍵とする。明日には別の住居へ移動するよう言われ、今夜だけはここで眠る。ユノアはいない。二人だけの夜に囁きあった。


「キメラおねえちゃん、どうしよ」

「本当にな。あいつは今頃、いや、何とかなってるだろうが」


 飛び出した服で示された暗号によると、ユノアが向かったのはここから西南西の二だ。二番目なのか、二丁目なのか、細かい指定はできない。キメラは地図を思い出しながら見当をつけた。


「明日には出るぞ。きっとそのつもりで待ってる」

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