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35.衝突する感情

結衣の訃報が優奈に届いたのも涼と同じタイミングでのことだった。

元々友達でもなく、それどころか嫌がらせを受けていた優奈にとって彼女の死で痛む胸はない。彼女がこの学校から、この世界から消えた事実を受け止めて一番に感じたのは、嵐の気持ちが少しでも楽になるのではないかということだった。


(最近、与田先輩のことばっか考えてるな)


会えない時間が長くなる分、優奈は嵐への気持ちを自覚する。彼の黒いウィッグがなびいていたあの時間が恋しい。

しかし、優奈は嵐に会いに行くことは出来ない。颯との約束があるからだ。


(私に与田先輩と会う資格なんてない)


嵐に辛い思いをさせてしまった罪悪感が胸をぎゅっと締め付ける。

もう会えないのだ。優奈が下を向く理由はそれで十分だった。



それから数日の時が経ち、涼は元気のない優奈を見かけた。それも何度も。

元気のない優奈が心配で、けれど話しかけづらくもあり、涼は数回チャンスを逃していた。

ようやく臆病な己に勇気が勝り、優奈と久しぶりの会話をすることができたのは木曜日の放課後のこと。

当たり障りのない会話から入り、徐々に優奈の悩みの核心に迫っていく。その時にはもう、優奈も人にはあまり聞かせられない話になると察して、ひと気が少ないあの時と同じ特別教室の前までやって来ていた。


「三千院……最近元気ないよな」

「そんなこと……」

「あるって。分かるんだ。いつも、ずっと見てるから……」


いまだに涼の気持ちが優奈へ向いていると暴露され、居心地の悪さを感じる。それは今に始まったことではないので我慢して、優奈は話を先へ進めた。


「与田先輩が学校休んでるの……」

「あぁ、それは僕も知ってる」


恋敵である嵐の情報は握っておきたい。嵐がこのところ不登校なのは涼も調査済みだ。しかし、肝心のなぜ休んでいるのかに関しては知ることができなかった。


(石橋君は与田先輩がどうして休むことになったのか知らないんだ)


嵐に何があったのかを知っているのなら、今優奈が落ち込んでいる理由を察せたはずだ。嵐がひどい目に合ったのを、優奈が自分のせいだと感じているのはすぐにわかる。


――ただの後輩になら話せない。


北斗の声が耳の奥に響いた。嵐の身に何が起きたのかは、近い人間にしか情報は与えられない。

気持ちを吐き出したいと思いながらも、真実を告げることは出来ないのだ。


「そんな顔しないで、三千院」


たくましい腕が伸びてきて、優奈を柔らかく抱きしめる。


「ちょ……」

「何か言えない事情があるんだね。寂しいけど、三千院が言いたくないことを無理に話せとは言わないよ」

「ありがとう。でも、私こんな風にしてもらう理由がない……お願い、離して」


もしも優奈が涼の彼女だったなら、抱きしめられて泣く権利があっただろう。けれど優奈は涼の彼女ではないし、優奈が泣きたいほどの気持ちを抱えているのは嵐を想っているからだ。どう考えても、涼の胸で泣く資格はない。

涼と適切な距離を取ろうとする優奈とは違い、涼は突き放された気分だった。


「離したくない。だって、こんなに弱ってる三千院を放っておくなんてできるわけがない」

「でも」

「好きなんだ。……一目惚れだったんだよ」


優奈ではないほかの誰かなら、この涼の言葉を嬉しいと思ったかもしれない。しかし今の優奈にとっては重くてとても受け入れられるものではない。


「お願い、離して」


もう一度、はっきりと拒絶を伝える。


「――嫌だ」


涼は優奈を抱きしめる力を強めた。優奈が動けないようにして、顔を顔を近づける。


「え……ちょっ……」


この間のことが思い出された。涼はあの時も優奈の意思を無視して唇を奪った。


「やめてよ!」


優奈の脳裏に浮かんだのは嵐の姿。

ちょっぴり威圧的な女装姿の嵐。

見慣れないけど新鮮でかっこいい嵐。

そして――目をつむったまま意識のない嵐。

嵐への好意を自覚した今、涼からの口づけは明確な嫌悪の対象だった。

思っていたよりも強い拒絶を言葉から感じ取り、涼は動きを止める。その間に優奈は涼の胸を突き飛ばして、腕の中から逃れた。


「石橋君ってそればっかり……自分の感情を押し付けて、人の感情は無視する」

「三千院……」


泣きそうな顔で涼は優奈に手を伸ばす。けれど優奈はそれを手でたたき落した。


「ねぇ、知ってる? 一目惚れって姿から連想した理想を押し付けてるだけなんだよ」

「聞いて、三千院」

「別に私のことなんか好きじゃないくせに」

「違う!」

「与田先輩は! ちゃんと私の性格を好きだって言ってくれたのに!」


優奈が放った一言は的確に涼の胸をえぐった。それ以上は言葉を続けることも出来なくて、さすがの涼も黙り込む。

何も言わない涼を残して、優奈は駆け足でその場を去った。

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