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34.星空の見えない日

 バトン部の活動を終えて外に出ると、辺りには夕闇が広がっていた。


「あ……雨」


 掌を空に向けると、ポツリと水滴が落ちてきた。


「はぁ……ついてないな」


 傘は持っていない。


(ひどくなる前にささっと走って帰ろう)


 雨脚が強くなっていく中、優奈は濡れた地面を蹴って走り出した。


「待って、優奈ちゃん!」

「え……?」


 声のした方を振り向くと、自動車から北斗が顔を見せていた。


「送っていくよ。これからもっとひどくなるらしいし」

「え、でも……」


 いち生徒を特別扱いしていいのだろうか。そんなことが頭をよぎったが、相手は北斗だ。聞いたところで答えは分かりきっている。


「ほら、早く乗って。関係者に見つかると面倒くさいから」

「分かっててもやるんですね」


 言いながらも、優奈は指示通り北斗の自動車に乗り込んだ。

 助手席でワイパーが動くのを黙って見つめる。車内には沈黙が下りていた。

 しばらく走った後、口を開いたのは北斗だった。


「与田のお見舞い、行った?」

「……はい」


 思い出すのは颯のこと。彼は優奈が原因だと言っていた。


「北斗さん。与田先輩があんなことになったのって――」

「優奈ちゃんのせいじゃないよ」


 遮るような速さだ。それがむしろ、優奈を慰めるためにあらかじめ用意されていた台詞のようでわざとらしかった。


「学校では公にしていないけど、警察も動いてる。今日くらいに加害者の生徒への事情聴取をしようとしているみたいだよ」

「加害者って……」

「前に優奈ちゃんと言い争いをしていた菊川結衣だ」


 優奈にはそれだけで十分だった。結衣が目の敵にしていたのは優奈だったのだから。


「やっぱり、与田先輩があんなことになったのって私の」

「それは違う。そもそも何も悪いことをしてない優奈ちゃんを勝手に逆恨みしていた方が悪い」


 なんと慰められても、優奈は納得できなかった。

 そうしているうちに自宅の前に自動車が止まる。


「ありがとうございました、北斗さん」


 礼を言って降りようとすると、


「優奈ちゃん」


 後ろから呼び止められる。


「俺は、何があっても優奈ちゃんの味方だからね」


 北斗は言うだけ言って、自動車を発進させた。

 それを優奈は黙って見送った。





「ちょっと、後ろ追い付いてきてるよ!」

「分かってるって!」


 桜木の誘いで山に星を観に行った結衣は、散々な目に合っていた。

 後ろからはサイレンを鳴らしたパトカー。空からは大粒の雨が打ち付けて来る。


(美智のヤツ、天気予報を見間違えたんじゃないの!)


 美智がわざと間違った情報を与えたなんてことは夢にも思わず、ただただ今の状況を呪っていた。

 天気だけでも恨めしいのに、二ケツしているところを警察に見つかり、追われる羽目になってしまった。


「ねぇ、もっとスピード出せないわけ?」


 カーブの多い山道を雨の中登る。それも、パトカーに追われながら。高い技術が要求される。

 結衣に言われて桜木はきつくグリップを握り、速度を上げた。


「振り落とされんなよ」

「分かった」


 視界を遮る雨の幕。


 ――気付いた時には何もかも遅かった。


 「あ!」


 そこは急カーブ。目の前にはガードレールが迫っていた。

 バキバキと破壊音が鳴り、桜木も結衣も二人してバイクから投げ出された。





 翌朝。二年一組の教室。

 暗い表情で担任が話すのを、涼は夢の中にいるみたいに聞いていた。


(嘘だろ。結衣が……?)


 担任の話によると、昨夜結衣が他校の生徒とバイクに乗っていて事故死したらしい。

 昨日までいた人がもういない。その現実味のない喪失感を涼は味わっていた。

 ただ結衣の死を前にしても、悲しさは湧いてこない。


(ははっ。僕は自分で考えているよりも、ずっと冷酷な人間だったんだな)


 内心自嘲していると、ポケットの中でスマホが震えた。

 なんだ、と思って見てみると姉からメッセージが届いていた。


<今日退院するから荷物持ちに来て>


(はいはい、分かりましたよ。……ったく、弟は奴隷じゃないっての)


 すでに涼の意識は放課後のことに向いていた。





 瀬古総合病院に涼の姉は入院していた。何度か見舞いに行っているため病室は把握している。


「あんたさぁー、なんでここ来るときはノーメイクなわけ?」

「いいでしょ、別に。大した相手に会うわけじゃないから肌を休めてるの」


 姉の病室から話声が聞こえてくる。


(来客か?)


 すでに開いている引き戸から顔を覗かせると、すでに退院の準備を整えた姉がベッドに座り、目の前の人物と談笑していた。


「あ、涼!」


 姉がそう言うと、姉と話していた人物がパッと振り返った。


「あ……」


(三千院さん?)


 そこには優奈がいた……ように見えた。しかしよく見ると別人であると分かる。


「涼、覚えてない? 私の小中の同級生だった三千院つぼみ」

「三千院……?」


 優奈と同じ苗字だ。それにこの三千院つぼみという人にはつい最近も会っている。


「えっと……三千院さん……あ、優奈さんの家でお会いしましたよね」

「あ……えっと……はい。そうですね」


 つぼみはいつもの勢いがないままで返事をした。


「っていうか! なんで涼くんが来るって教えてくれないわけ? 知ってたらメイクしてきたのに!」

「いやまさかノーメイクで来るとは思わなかったからね」

「も~、すごく恥ずかしい!」


 涼に背を向けてしまったつぼみに、涼はクスリと笑いを零す。


「そんなことないですよ。とっても可愛いお顔ですから、メイクで隠さないでくれて良かったです」


 涼は慰め半分、本心半分でそう言った。


(こんなところでまさか三千院さんの顔……に似た人と会えるなんてついてる)


「っ!」


 つぼみの顔が真っ赤に染まる。昔から思いを寄せている相手にそんなことを言われれば、正気ではいられない。


「私、帰る!」

「は? え、荷物運ぶの手伝ってくれるって……」

「ごめん、また今度!」


 つぼみは我慢できなくなって、ついに病室を飛び出してしまった。もう一度涼に顔を向けることができなくて、反対側を向いたままで。


「ちょっと、涼」

「なに、姉貴」

「……あんた、二人分の荷物持ち決定」

「は……はぁぁぁぁぁぁ!?」


 こうして涼は両腕一杯に姉の荷物を抱えることになったのだった。

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