31.さよなら
「はーぁ」
病院へ行った日の夜。優奈は机に頬杖をついたまま息を吐いた。そして、今日会ったことを思い出す。
――二度と嵐に近づくな。
憤りを宿した颯の瞳が脳裏に浮かび、自己嫌悪に陥る。
彼が優奈に告げた真実は重かった。嵐は、優奈のためにリンチにあったのだ。そんなことも知らず、優奈はのうのうと学校生活を送り、何も知らないままお見舞いに行ってしまった。
「私、馬鹿だな」
先輩と会わなくなって、好きだと気付いて。目が覚めたら嵐に伝えよう、と思っていたのに。
ポタリ、と机に涙が落ちる。いつの間にか泣いていた。
嵐には迷惑という言葉では表せないほどの重荷を負わせてしまった。今更、どんな顔をして好きだなんて言えるだろう。
ある意味では、今日颯に会えたのは幸運だったのかもしれない。真実を知ることで、優奈は嵐に告白しないで済んだのだ。
「さよなら、与田先輩。……ごめんなさい」
もう、極力嵐とは関わらないようにする。生まれたての恋心をグッと押さえて、そう決意した。
古びて動かなくなった機械を動かすように、ゆっくりとまぶたを上げる。そのまま体を起こそうとして、しかし思うようには動かない。異様なほど頭が重い。
リンチから十日。嵐は目を覚ました。
ここはどこだ。自分は何をしているのだろう。状況を把握するために頭が勝手に働きだした。
「……っ!」
脳内に洪水のごとく流れ込んでくる記憶。にやけた桜木の顔、嬉しそうな結衣と美智の笑い声、カメラのフラッシュ。
夢だと思いたい。全部、ただの悪夢だったと言ってくれ。
十日も意識を失っていたせいで身体の動きは悪いが、もう怪我の具合は良くなっている。だというのに、痛くてしょうがない。苦しくて、気持ちが悪くて、どこかに逃げ出したい。
ふらふらの身体のまま、全力をもって身を起こす。ベッドから出ようとして、自分の腕に刺さるチューブに気が付いた。これが十日間嵐の身体に栄養を送っていたものだ。
しかしなんのためらいもなく、点滴を引き抜いた。
裸足のまま立ち上がると、そのまま歩き出す。最初こそ力が入らなくて転びそうになったが、加減が分かってくると、意識を失う前と同じように動くことができた。
頭の中で、何度も何度もあの日のことが再生される。その度に吐きそうになりながら、嵐は必死で逃げ続けた。
記憶が正しければ、彼女たちはカメラを所持していた。
「……っぐ」
歯を食いしばり、嗚咽を抑え込む。
嵐が覚えている時点でも何枚か撮られた。その上、意識を失った後に何をされたのかも分からない。
写真は嵐の痴態を切り取り、簡単に広がる。
現実に目を向けるのが怖い。いいや――現実そのものが怖い。
人がいない方へ、人がいない方へと無意識に移動していたらしい。嵐は最終的に屋上に行きついた。
雨は降っていなかった。薄灰色の雲が広がっている。
足の裏に温かさが伝わってくる。もし日が出ていたら、とてもじゃないが裸足では歩けなかっただろう。
コンクリートを踏みしめ、屋上のフェンスに寄った。網目の隙間から下を覗くと、五十メートル以上先に、地面が見えた。
なぜか、ホッとした。
ここから飛び降りれば、楽になれる。嵐は確信した。




