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30.心は縛りつけられる

 誰もいないのを良いことに、優奈は少しだけ大胆な行動にでた。前髪をかき分け、嵐の額をサラリと撫でる。


「与田先輩、今度は先輩が起きてる時にちゃんと伝えますね。先輩のことが好きだって……だから、早く目を覚まして……」


 自分の気持ちにもう迷いはない。今なら嵐の気持ちに応えることができる。

 嵐の綺麗な寝顔に見入っていると、コンコンと戸が打ち鳴らされた。慌てて手を引っ込めてドアの方へ体ごと向き直る。


「はーい」


 開かれたドアから顔をのぞかせたのはラフな格好の若い男性だった。


「あれ? 珍しいな」


 言いながら彼は、紙袋を抱えてベッドへと近づいて来る。


「君、どちらさん?」


 嵐の家族だろうか? 病室に来慣れているその態度に、優奈の背筋はピンと伸びた。


「初めまして。三千院優奈です。与田先輩には放送委員でお世話になっています」


 なるべく丁寧に、と腰を深く折ってお辞儀をする。


「三千院……そうか、君が」


 含みを感じるその言い方に、優奈は顔を上げて彼の顔を凝視した。


「俺は颯。こいつの兄貴だ」

「あ……そうでしたか」


 どことなく似ている気はした。嵐の方が中性的な顔立ちで、颯の方は男らしい。しかし、整った顔立ちという点では同じだ。


「三千院さんのことは嵐から聞いてるよ」

「えっと、それはどんな内容ですか……?」

「んー、まぁ色々」


(はぐらかされた)


「三千院さんはさぁ、どうして嵐がリンチされたか知らないんだよね?」

「はい?」


 颯は唐突にそう聞いてきた。


「知らないんだろうな。そうだよね。知ってたら顔出せないもん」


 きりっとした形の良い目が憎しみに彩られ、優奈を捉える。そんな目で睨まれる筋合いはない。


「なんの話でしょうか?」

「君さ、学校でもめてるだって?」

「っ!?」


 どうして……どうして今その話が出るのだろう? そしてなぜ嵐の兄であるこの人がそんなことを知っているのだろう?


「まだ学校側には知らせてないんだけど、警察が今回の一件を調べた結果、学校の机から手紙が出てきたんだって」

「手紙、ですか?」

「うん、そう。夜の十時に二年五組に来るように、って内容のね」

「……」


 二年五組。優奈のクラス。


「その手紙を持ってきたのが女子生徒だってことも判明していてね……ほぼ犯人の特定は済んでるんだ」

「わ、私じゃありません!」


 ここが病室であることも忘れて、優奈は叫ぶ。

 颯は呆れた様子で首肯した。


「知ってる。別に三千院さんが犯人だなんて言ってないし。つーか、犯人だったら……俺、すでにあんたを殺してる」


 細められた視線は本物の刃のように澄んでいて、確かに人を殺しそうな迫力があった。もうすぐ夏だというのに、寒気が足下から這い上がってくる。

 声を失った優奈を気にせず、颯は言葉を続けた。


「あんたのことは殺したいとまでは思ってないよ」


 殺したいとまでは? それはつまり、その手前までは憎らしいということか?


「三千院さんは犯人じゃない。けど、原因でもある。知らないだろうから、教えてあげる。そして真実を知って、苦しんでほしい」


 初対面の人間になんてことを言うのだろう。

 淡々と憎しみを向けられ、そのちぐはぐな様に心と頭がついていかない。


「三千院さんがもめている相手がね、嵐を呼びだしてこんな目に合わせたんだよ。どうかな? 自分に向けられるはずの敵意が別の人間に逸れた感想は。自分じゃなくて良かった? ホッとした? こうして眠り続けるのが……自分じゃなくて、良かったと思ってんだろぉっ!」

「……っひ!」


 穏やかに話していたはずなのに、突然怒鳴られ、胸倉をつかまれた。


「よくもおめおめと顔を出せたもんだよな……。こっちはあんたのせいで大変なことになってるっていうのに……」

「ご、ごめんなさい……」

「謝って済む問題なわけ?」

「済まない、です」


 すでに優奈は涙目になっていた。


「だったら……二度と、嵐に近づかないでくれるかな?」


 嫌だと心が叫ぶ。けど――。


「分かり、ました」


 優奈の心を無視して、言葉はするりと滑り出ていた。

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