28.すぐそこの気持ち
教室に入ろうとしている先輩集団が背後に迫っているのに気づき、優奈はドアから一歩離れた。もうすぐ休み時間が終わるから戻ってきたのだろう。集団の最後の一人が教室に入るのを待って会話を再開させる。
「与田先輩、一週間もお休みなんですか? どうして?」
「それが……俺にも分からないんだよ。ただ先生が、他のクラスの人間にはあんまり言わないように、ってさ」
「理由は言われなかったんですか?」
「言ってなかったな」
嵐が優奈の前に姿を見せなくなったのは、そもそも学校に来ていなかったからなのか。理由を知って、優奈はなんだかホッとしてしまう。
優奈に興味がなくなったから会いに来なくなったのではない。心臓が軽くなるのを感じて、自分が微かな怯えを抱えていたことに気が付いた。
(……私、与田先輩と離れたくないんだ)
ふと現れた気持ち。いや、それは今現れたものではなく、今気付いただけなのかもしれない。
「詳しく知りたいなら先生に聞けばいいんじゃない? 先生なら事情知ってるだろうし。ほら、ちょうど」
先輩は優奈の背後に視線をやると声を上げた。
「北斗先生!」
授業の準備をしてこちらへ歩いてくる姿が目に入る。彼を見るのも久しぶりだ。
「おー、なんだ騒々しい。もうすぐ授業が始まるから席に」
「先生、先生! 嵐についてなんですけど」
小言を言いかけた北斗を遮って先輩は単刀直入に聞いた。北斗の眉間にしわが寄る。
「それあんまり言うなって言われてるだろ?」
「なんでなんですか?」
二人の会話に優奈が割って入る。先輩を見据えていた視線が、一段低い位置に移った。
「え……、優奈ちゃん……?」
声を掛けてきた男子生徒にばかり意識がいっていたのだろう。隣にいるのが優奈だと気付かなかったらしい。その証拠に目は大きく見開かれている。
「与田先輩はどうして一週間も休んでいるんですか?」
優奈が聞いているというのに、北斗の反応は鈍い。あー、とか、うん、といった内容のない声だけが返る。
もう一度問おうと優奈が口を開いた時、ちょうど予鈴が鳴り始めてしまった。
それを残念に思う優奈とは対称的に、明らかに北斗はホッとした様子を見せる。
「優奈ちゃん、授業が始まるから……」
「でも」
確かに予鈴が鳴っている以上速やかに教室に戻るべきなのだが、一週間という長さと、北斗の表情がそれをさせてくれない。聞いておくべきだと直感が騒いでいた。
北斗が溜息を吐く。
「予鈴が鳴ったのが聞こえただろう? 教室に戻りなさい」
「そんな」
優奈が次の言葉を紡ぎ終わる前に、北斗が耳元に口を寄せた。
「――放課後、職員室で」
バトン部にはクラスの用事で遅れると伝えて、職員室へと足を運ぶ。まさか嘘を吐いて部活をサボってまで嵐を優先する日が来るとは、優奈自身考えてもみなかった。
職員室に入ると、自分の席で作業をしている北斗が目に入る。そのまま近づいていくと、途中で優奈に気付いた北斗が顔を上げた。
「優奈ちゃん」
職員室でその呼び方はどうかと思ったが、初日の挨拶でやらかしかけた北斗なのだからと納得する。
(あの時は与田先輩が助けてくれたんだった)
余計な事を言おうとした北斗のマイクを使用不能にして、優奈を助けてくれたのは嵐だった。そんな事を思い出し、嵐の事を知りたい気持ちは大きく膨らむ。
「あの、北斗さん」
「分かってる。あの女顔の少年……与田嵐について知りたいんだろう?」
北斗がもたれる椅子がキィとか細い音を立てた。
「与田先輩はなんで休んでいるんですか?」
「与田は優奈ちゃんとただらなぬ関係だなんて言ってたけど、本当はどんな関係なの?」
「……え」
優奈が期待していた答えとは全く別の話をされて、脳みそが理解するのに時間を要した。質問の意味が分かると同時に顔に熱が集まる。
(私と先輩は……)
頭で浮かべた通り、先輩と後輩だ。それ以上の名前のある関係はない。
「与田先輩は、放送委員の先輩です」
「そうなの? じゃあ悪いけど、与田については教えられないな」
「どうして、ですか?」
「この件は与田に近い人間にしか事情を話さないということになっている。ただの後輩になら話せない」
北斗の態度は素っ気なかった。
言葉をのどに詰めたまま、優奈は立ち尽くす。
(だって、私と先輩は……ただの先輩と後輩だから。それ以外なんて言えばいいの?)
嵐との関係を言葉にして、そのあまりの距離に愕然とした。そしてその距離を保っていたのは優奈の方だ。
黙り込んだ優奈をしばらく眺めていた北斗だが、動きがないと判断したのか、ふいに優奈から視線を外した。
「悪いけど、そういう訳だから」
「待ってください」
このままでは何も聞けないまま終わってしまう。
「私は、与田先輩の後輩、ですけど……それだけじゃなくて」
声はだんだんと小さくなり、震えていく。
(私は与田先輩の何?)
嵐に好きだと言われた。言葉だけじゃなく行動からも好意を感じるくらいには、好かれている。
「私は……与田先輩に惚れられてます!」




