22.恋する気持ち
「そっか……優奈は覚えてないのかもしれないね」
やや釣り気味の目を柔らかく細めた嵐は、表情と違わず温かみのある声音で言う。
その顔に胸が高鳴るのを、優奈は完全には無視出来なかった。
「まだ俺が委員長になる前で、三年の先輩が仕切ってた頃さ……言っちゃなんだけど、委員の奴らはどうしようもない奴ばっかだったんだよ。……覚えてる?」
優奈は一つ頷いた。
昨年の放送委員会は、今年よりも緩い代わりに、委員全体もサボりがちな人が多かったのだ。優奈自身も入ったばかりで機材の使い方も知らないうちに、山のような仕事を押し付けられた覚えがある。
その時は確か――。
「私も困らされてしまって……でも、その時は美人の先輩が助けてくれたので、なんとかなりましたけど」
半泣きだった優奈に、知識と指示を与えてくれた先輩。そのウェーブの掛かった茶髪がなびく後ろ姿は、記憶に焼き付いている。
記憶をさかのぼり、目を眇めた優奈に、嵐は怪訝な表情を浮かべた。
「何その言い方。もしかしてそれが俺だったってまだ気づいてないの?」
「え!?」
今の嵐は女装を解いてしまっているが、以前は黒髪ストレートの真面目系美女姿だった。優奈の記憶の中の女性とは似ても似つかなかった。
「俺の髪、ウイッグだったの知ってるでしょ。だから雰囲気を変えるのだって、普通の女子生徒がするよりずっと手間が掛からない」
「え……え? じゃ、じゃあの……チャラ……いえ、明るそうなあの……あの先輩は……」
チャラい、と表現してしまったのを慌てて修正する優奈を見て、嵐はクスリと笑みをこぼす。
「そうそう。あのチャラい女子生徒は俺だったんだよ」
「!?」
チャラいという修飾を拾われてしまった事よりも、かつて助けてくれた先輩が嵐だったという事実の方が優奈にとっては衝撃だった。
「そっか、優奈はそこから知らなかったのか……じゃあ覚えてるはずないよね。……優奈が気になりはじめたのは、俺がまだギャルだった頃だ。先輩の中には、俺の格好が気に入らないって思ってる奴がそれなりにいて……ま、どうでも良かったんだけどね。大して関わらないしさ」
優奈が悲しげな表情を帯びはじめたのに気づき、嵐は努めて明るい声で言った。
「俺が構わないのを良いことに、悪口はどんどんエスカレートしてって……で、そこに勇者が現れたってわけ」
君だよ、と嵐は優奈を指差した。
しかし『勇者』などと言われる覚えのなかった優奈は、訝しげな顔で首を傾けるだけだ。
「『人の個性をバカにする連中だから、己の無個性を恥じずにいられるのね』って、優奈はそう言ったんだ」
「そ、そんな事言ったかな……?」
「言ってたよ。相当頭に来たてたんだろうね。いつもの君らしくなくて……多分他の人もそう思ったと思うよ、だってあの時、みーんな口開けたまま優奈に見入ってたもん」
愉快気な嵐の声を耳で感じつつ、優奈は記憶の海へと潜り込んだ。そんな皮肉のこもったセリフを上級生に向けたのならば、すぐに思い出せそうなものだが……中々見つからない。とはいえ嵐が嘘を吐いているということもないだろう。
余程腹を立てていたのだな、と片付け、「そうなんですか」とだけ言った。
嵐は「うん」という言葉と共に首肯し、さらに言葉を続けた。
「別に何ともないって思ってたんだけど……多分、自分でも気付かない位で傷付いてたんだろうね。優奈が俺のために言い返してくれた事が、嬉しかった。味方なんか誰もいない、助けてくれる人なんかいるわけない、自分だけでなんとかしないと……そう思ってた。救援なんて、諦めてたんだ」
優奈は複雑な顔で嵐を見ていた。話の内容は明るいものではなく、へらへらとした笑顔で聞いて良いものじゃないと頭では感じているのに、しかし、嵐の口調には笑みが混ざって気分の良さがうかがえる。
反応を迷わせている優奈の頭を、ポンポンと嵐の手が優しく撫でた。その手は優奈のものと比べると明らかに大きく、彼が男性であると意識させるのに十分だった。
「優奈は他の連中とは違う。特別なんだ」
その言葉に、今この場にいない人間の顔が瞬時に浮かびあがってしまった。その直後に、猛烈な罪悪感が胸に広がる。それは今目の前に居る嵐へのものだと、優奈にははっきり判った。
罪悪感の向かう方向が判ってしまったら、もうどうしようもなかった。罪悪感――それは涼に告白された事、涼にキスされた事に対する後ろめたさだ。一方的にぶつけられる好意に対してだったら、そんなものは感じなかっただろう。
それを感じてしまったという事は――。
「だから俺は優奈が好きだし、君がくだらないいじめをするわけないって信じてる。……そろそろ戻らないと、次の授業に遅れるね」
ポケットからケータイを出して時間を確認した嵐は、そう言って踵を返す。
「何かあったら、すぐに俺を頼るんだよ。いいね」
「……はいっ!」
優奈は笑顔でそう返した。




