20.ローファーの謎
六月の後半、朝から雨が降り続いている日のことだった。
珍しくバトン部の練習も休みで、早く帰ろうと靴箱に来た優奈を待ち受けていたのは、これまた珍事だった。
「? 靴が……」
余分に一足入っていた。
二段になっている靴箱の下の段にはローファー、上の段には運動靴を入れていた。しかし今、優奈の二足の靴だけでなく、見ず知らずの一足が入っていたのだ。揃えて入れるだけのスペースはなく、片足ずつ上と下に詰めてある。
とりあえず取り出して見てみると、女物のローファーだと分かった。
「何これ?」
履きこまれてはいるものの、綺麗に磨かれた靴。この靴の持ち主はきっと几帳面なのだろうと想像できる。それだけに、なぜ靴箱に無理やり入れられていたのかが分からない。
持ち主に見当もつかなかった優奈は、そのローファーを靴箱の上に置いた。
(上に置いとけば、分かるよね)
その後はいつも通りに靴を履き、優奈は昇降口から出ようと身を反転させた。その時、
「あー! 美智の靴がないー!」
優奈から数メートル離れたところで、甲高い声が上がる。
その声に誘われるように、ざわざわと幾つもの声が後に続いた。
声の方へ視線をやると、そこには髪を二つに結った女子生徒が大きな声で騒いでいた。その周りに数人の女子生徒が、様子を窺うように輪を作っている。
「お昼に磨いて置いといたんだよ! なんでないの!」
「勘違いじゃないの? 入れたつもりで、教室に置きっ放しとか」
ツインテールの横の長身女子が言った。優奈はその生徒に憶えがあった。彼女は――以前優奈とぶつかった生徒だ。その顔を見て、早々に立ち去ることに決めた。
彼女の顔を見たせいで、余計な事を思い出してしまった。
あの出来事の後から涼とは会っていない。涼が優奈を避けているのか……それとも意図して会いに来なければ同じ学校にいても顔を合わせなくなるものなのか。
「ん? てか、あの靴は?」
「あ! 美智の靴ー!」
そんなやりとりの直後、背後にパタパタと近づいてくる気配を感じる。
「あ……と、届かない」
唸る声が聞こえ、優奈はつい振り返ってしまった。
目一杯手を伸ばすけれど、小柄な彼女の手はわずかに靴に届かない。靴を置いたのが自分だということもあり、立ち去るつもりだったのに、つい靴を取ってあげてしまった。
「はい、どうぞ」
そう言って渡すと、彼女はキョトンとした様子で優奈を見つめてきた。そして無邪気に笑った。
「ありがとう」
その姿は可愛らしく、思わず和んでしまいそうだった。
……しかしすぐに、その雰囲気を台無しにする人物がやってきた。
「あんた……」
「……」
優奈はその長身の女子と向き合う。相手から注がれる敵視に、真っ向から睨み返した。
前回は突然のことで面を食らってしまったけれど、敵意があると分かっているのなら話は別だ。優奈の方も黙って文句を言われるだけではない。
「結衣、どうしたの?」
優奈と結衣の険悪なムードに、蛍光灯に群がる虫の如く結衣の友人たちが近づいてくる。
「美智。あんたの靴隠したの、この女かもよ」
その言葉は優奈だけでなく、周りにいた結衣の友人達までもを驚かせた。
「美智の靴隠したの、あんたなんでしょ。三千院優奈!」
「…………はぁ?」
優奈としては、彼女の――結衣の名前だって最近知ったくらいだ。それくらい涼の取り巻きに興味がなかった。その上、ここ数週間は涼とも話していない為、このような言いがかりをつけられる理由が思い当たらなかった。
だが、そんな優奈のその考えはすぐに否定される。
「あんたここんところ、涼に冷たくされてるからね。私たちが妬ましくてこんなことしたんじゃないの?」
「…………」
仲良くしてようと、してまいと、なんだかんだ言い分は作れるものらしい。
次に何か文句を言われた時は反論しようと、優奈は決めていた。だというのに、言われていることがあまりにも的外れで、言葉が出てこない。
「だいたい、あんたがここにいること自体おかしくない? 部活あるんでしょ?」
「今日は休み……」
「靴がなくなった時と、あんたの休みが重なるなんて、これ偶然っていえるわけ?」
(偶然以外のなにものでもないと思うんだけど)
論理が破綻しているのに、勢いがあるせいで、なんだか反論がしにくい。
「なんで美智の靴隠したの?」
優奈がまごまごしているうちに、被害者である美智と他の女子生徒までが優奈を疑いだしてしまう。
「私じゃないよ」
「どうだか」
結衣は依然として優奈を疑ったまま、意見を変えようとしない。
「証拠もないのに、なんで疑うの?」
「ほら、そんな風に証拠とか言い出すところ。ますます怪しいんですけど!」
「違うって言ってるでしょ!」
「何? 逆ギレ?」
「こら、そこ何の騒ぎだ?」
ちょうどそこへ、優奈達の不穏な雰囲気に気づいた北斗が様子をうかがいにやってきた。
「北斗先生!」
数人の女子生徒達の意識が一気に北斗へと向かう。
奇抜な行動を取る相手はどうやら優奈限定らしく、日に日に北斗の人気は上がっていた。女子だけでなく男子からの人気も上々であることから、女たらしというわけではなく教師として『いい仕事』をしているのだろうと優奈は感じていた。
「先生! 三千院さんが本永さんの靴を隠したんです」
結衣はすぐに美智――本永美智のローファーが優奈によって隠されたと答えた。
それに対して、北斗は眉をひそめる。
「……本当か?」
北斗は優奈と結衣、そして美智の顔を順番に眺めてそう問うた。
「違います。私は……彼女の靴を隠したりなんかしてません。ただ、靴を探していた彼女に、そこに乗っていたローファーを取ってあげただけです」
「嘘! 本当は私たちが来たから、盗ることを中断して上に置いたんでしょ!」
「こらこら、憶測でものを語るな」
「……」
北斗にたしなめられ、ようやく結衣は口をつぐんだ。
「とにかく、三千院はやってないって言ってる上に、誰も靴を隠してるところを見てないんだな?」
その場にいた女性生徒全員に視線が送られる。……誰も返事を返すことはなかった。その様子を見て、北斗が小さく息を吐く。
「だったら、三千院がやったなんて誰も言えないだろ。靴も見つかったんだし、この話はこれで終わりだ」
「でも! 実際に美智の靴は誰かに移動させられていたんですよ。靴が勝手に移動するわけないんですから、誰かがやったとしか……」
「あのな、その誰かが三千院であるという根拠がないだろ。……友達思いなのも結構だが、そんな風に証拠もなく疑ったりするな」
「結衣、もういいよ」
興奮する結衣の肩を叩いて、美智が言った。身長の関係から、美智が結衣の顔を覗き込むようにして微笑む。
「わたしのためにそこまで必死になってくれるのは嬉しいよ。でも、やっぱり証拠がないんだから、ね」
美智の視線が優奈の方へと移る。
「誰がやったのかは知らないけど、証拠がない以上、追及はできないよ。たとえ犯人が近くにいたとしても」
たとえ優奈が犯人だとしても。彼女の視線はそう言っているように思えた。
靴は歩く(ために必要な)ものだけど、(勝手に足が生えて)歩くものじゃない!
人の足がにょきっと生えてる靴を想像すると、「バランス大丈夫!?」ってなるね。




