14.波乱へ
「先輩が担当してたんですね」
「シフト外の行事は基本的に、委員長である俺がやるしかないんだよ。他の委員は自分のシフトしか頭に入ってないし。……人によってはシフトすらすっぽかすし」
何かを思い出しているのか、嵐は斜め下に視線を落としつつ、ため息と共に言葉を吐き出した。
「ところで、ずいぶんゆっくりだね」
嵐の視線が優奈の背後にある昇降口に移る。そこにはもう数人の生徒がいるだけで、込み合いのピークはとうに過ぎた後だった。
「人込みを避けたら遅くなっちゃいました」
「……優奈らしいね」
何かを企むようなものではなく、慈しむような優しい笑みを嵐は浮かべていた。そのまま優奈の頭をぽんぽんと撫でる。
「与田先輩……?」
「優奈のそういう所、いいね」
「だから、校内でいちゃいちゃしない! さっきも言ったばっかだろう!」
叫ぶように発せられた声に優奈は首だけで振り返った。
「北斗さん……」
そこには予想していた通りの人物が立っていた。
「俺はもう優奈ちゃんの先生なんだから、北斗先生、もしくは太陽先生って呼んでくれよ。……あ、なんか想像したらすごく良い」
「なんなのさっきから」
見上げると、さっきの顔が嘘のように思えるほど不機嫌な表情をした嵐がそこにいた。
「なんなのはこっちのセリフだよ、女顔の少年」
北斗もまた、優奈に向けていた顔や声色をしまい込み、硬いそれらに変えていた。
「君は優奈ちゃんどどういう関係なの?」
「…………」
考える素振りを見せた後、嵐はおもむろに優奈をその腕に抱き込んだ。
「ちょ……先輩!」
「ただならぬ関係ってやつかな」
優奈の抗議の声は無視して、嵐は言葉を続ける。
「はっ! そんなふざけた回答で大人を誤魔化せると思うなよ」
北斗は教師らしからぬ言葉遣いで、嵐に言い寄る。しかし嵐は怯むことはなく……むしろ笑みさえ浮かべていた。
「じゃあ具体的に言ってあげるよ」
挑発的な笑顔は、顔の造作と相まってとても妖艶なものになる。その顔に、勘が働いたのは優奈だ。
身体が勝手に嵐の口をふさごうと動く。が、一歩遅かった。
「キスとか……そういう恋人同士がするような事をした仲なんだ」
「……っ! な、に……。ゆ、優奈ちゃんとキス……それ以上……?」
さすがに驚いたらしく、北斗は大きく目を見開き言葉を詰まらせている。
キスとか、なんて想像をあおる言い方をしたが、実際にしたのはキスのみだ。それ以外を考えているのなら誤解でしかない。
しかし北斗の表情から察するに、別の想像までたどり着いているようだった。
「で、貴方は優奈とどういう関係なわけ?」
完全に勝者の顔をした嵐は、止めを差そうと畳みかける。
「…………俺は、優奈ちゃんの……婚約者、だよ」
北斗の目が、意地になっていた。
「ほ、北斗さん! なに言ってるんですか?」
「婚約者?」
嵐の言い回しも大概だが、北斗の方は完全に嘘だ。
「優奈、婚約ってどういう事?」
「し、知りませんよ!」
「……待ってて優奈ちゃん、絶対にきちんとした婚約を結んであげるから」
「い、いらない!」
嵐の発言が、北斗の妙な対抗心に火をつけてしまったらしい。
もう一度「待っててね」と言った北斗は、そのままその場から立ち去ってしまった。これから授業があるというのに、まさか帰るわけではないだろう。
「優奈、婚約って?」
北斗が去った後で、彼はもう一度同じ質問を繰り返した。
けれど優奈にだって答えようがない。あれは北斗が突然言い出した嘘でしかなく、優奈にも何が何だか分からないのだから。
そう答えると、嵐は呆れたようにため息を吐いた。
「あの人、思ったよりもずっと無責任な事言うんだね。婚約だなんて、普通嘘には使わないでしょ。まったく……警戒するだけ無駄だったのかな? さっきの朝会でもあいつ妙な事言いそうだったから、マイクを使えないようにしたんだけど」
「えっ!」
あの突然起こったハウリングは、嵐のせいだったらしい。てっきり北斗が原因だと思っていたのに。
「おかしな発言であいつが学校にいられなくなるだけなら良いんだけど、優奈にまで不利益があるといけないからね。まぁでも、あそこまで後先考えないで発言するんだから、気をつけていたのは正解だったかな」
「先輩……」
ごめんなさい。心の中で謝った。
(今まで与田先輩の事も、やっかいな人だと思ってました)
面倒事を引き起こしている一人であることは間違いないが、今回の北斗の件では救われた。
「それじゃあね、優奈。早くいかないと授業に遅れちゃうよ」
嵐がそう言いだした時には、すでに昇降口に他の生徒の姿はなかった。
優奈は嵐に軽く会釈をすると、慌てて教室へと向かった。もうチャイムまで大して時間は残っていないはずだ。
優奈が駆け足で廊下を曲がったその時。
どんっ。
軽い衝撃。
「いたっ!」
「……っ!」
曲がり角にいた生徒にぶつかってしまった。優奈はなんとかたたらを踏んでこらえたが、相手は尻餅を付いている。
「ご、ごめんなさい!」
謝罪と同時に手を差しだすと。
パンッ。
「え?」
手を打ち払われた。
「いい。自分で立てるし」
言葉通り彼女は自力で立ち上がった。
背は優奈より十センチほど高い。女子にしては随分と高身長だ。その身長差を使って、彼女は優奈を見下している。
「あんた」
言葉の続きに優奈は目を見開いた。
「いろんな男にばっか目が行ってて、前見えてないんじゃないの?」




