12.色気と弱気
「……」
「……おはよう」
「お、おはようございます……」
二日ぶりに登校した優奈は、目の前にいる人物が一瞬誰だか分からず硬直した。
首の半ばで途切れている触り心地の良さそうな黒髪。伝統ある黒の学ランをきっちりと着こなしたその人物に見覚えがなかった――顔以外は。
顔は見たことがあるのだ。それも、つい最近、至近距離で。
「よ、与田先輩ですか?」
やっとのことで疑問を言葉にした。
「うん。俺以外の誰に見えるわけ?」
「いえいえいえ! ぱっと見では分かりませんよ。全然雰囲気違いますし」
優奈は首をフルフルと横に振った。
一昨日のウィッグだけ取っていたのとはまるで違う。声や視線などの特徴に気づけなければ、本当に誰だか分からなそうだ。
「……なんか、傷つく言い方だな。どんな姿をしてたって、俺は俺だよ。……他の誰でもなく、優奈には俺だって分かって欲しかったのに」
長いまつげを伏せたことで、嵐の顔に少し影が落ちた。男女どちらとも判別しがたい、妖しい色気がにじみ出ている。
「す……」
すみません、と謝ろうと嵐の顔をのぞき込んだ優奈は、途端グッと抱きしめられた。
「え!」
「捕まえた。油断したらダメだよ。特に君を好きだと言った男の前なんだからね」
そのまま身動きを取ることすら忘れた優奈は、目尻に口づけられてようやく、嵐の手から逃れた。
「せ、せせせせせ! 先輩! ここどこだと思ってるんですか?」
「昇降口だけど?」
「そんな当たり前みたいに言わないでください! ……みんな見てるじゃないですか」
遠巻きに、けれど露骨に。生徒たちは遠慮のない視線で優奈と嵐を眺めていた。
「良いでしょ、別に。もう見られたって」
「良くないです!」
優奈は全力で、力いっぱい否定した。
「そんなに嫌なの?」
寂しげな色を瞳に浮かべて首を傾げた嵐に、優奈は言葉を詰まらせた。
(ずるい。そんな風に言うなんて)
「嫌って言うか……だっていっぱい人が見てるし……」
「人が見てなければ良いの?」
「は……」
い、と頷きかけるが、最後までは声に出さなかった。そしてそれが懸命な判断だったと悟る。
人が見ていなければ良いとか、そういう問題ではないのだ。
「ふふっ」嵐が小さく笑う。「もう少しで言質を取れたのに。残念」
優奈が寂しげと感じた表情はどこへやら。嵐はとても愉快そうに目を細めていた。
このままだと嵐のペースに完全に巻き込まれる。そう思っていた時だった。不意に雰囲気が崩れたのだ。
「朝っぱらから、いちゃいちゃしない」
優奈と嵐の間を割るように、一人の男性が入ってきた。優奈をかばうように背を向けているせいで顔は見えない。
「まったく、最近の高校生はこれだから……。そういう事は大人になってから」
「いきなり入って来て何、貴方? 校内は部外者立ち入り禁止のはずだけど? まったくどこから入り込んだのやら。……ちょっと警備員さん呼んでくる」
「待ってって! 俺部外者じゃないから!」
身を反転させた嵐を、男は慌てて止めた。男はそのままの状態で、優奈を振り返った。
「ほら優奈ちゃんも、なんとか言って」
「……え? えええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?」
目玉が落っこちるんじゃないか。それくらいまじまじと相手を見てしまった。それほど、この場にはそぐわない、いるはずのない人物――北斗太陽が、なぜここに居るのか。




