延命の儀式を受けて丈夫な身体になりました
儀式というからには、神事のような厳かな式を想像していたけれど、
「さあ、美麗、これを飲んで」
「……ただのお酒にしか見えないんですけど」
「その通り、ただし僕の血が数滴入っている」
差し出された盃を一気に飲み干して、延命の儀式は終わった。
直後に手の甲に痛みを感じて、見るとそこに文字が浮かび上がっている。
「これって……」
「神名。天帝陛下に与えられた、僕の本当の名だ。驚いたな、まさかこんなことがあるなんて」
睿様は感激したように私の手をとると、何とも言えない表情を浮かべる。
「けれど美麗、この名は絶対に口にしてはいけないよ。天罰が下るから」
文字はすぐに消えてしまったものの、大変なのはその後で、全身に激しい痛みを感じて、私は我慢できずに倒れてしまう。痛みだけじゃなくて、まるで血液が沸騰しているみたいに、身体が熱い。
「辛いかもしれないけど、頑張って耐えて欲しい」
痛みに苦しむ私を強く抱きしめながら、睿様は言った。
「神獣の血が、君の身体を内側から作り変えているんだ。もうすぐしたら、君は深い眠りにつく。それまでの辛抱だよ」
彼の言う通り、私は気絶するように眠りについた。
深い眠りの中で、久しぶりに死んだ両親の夢を見た。
父は相変わらず酒瓶を片手にヘラヘラしていて、母は布団の中で横たわってコンコンと咳をしていた。「私が病気になったのはアンタのせいだよ」と母が父を責めると、
「馬鹿を言うな。てめぇが勝手に引っ付いてきて、結婚したいって泣き喚くから、もらってやったんだろうが。それが今じゃろくに働きもしねぇで、寝てばっかりいやがる……いいご身分だなぁ」
「六人も子どもを産ませておいて、よく言うよ」
「俺は一度だって産めと言った覚えはないぞ。てめぇが勝手に産んだんだ。てめぇで責任持ちな」
「ひどい言い方をするねぇ。アンタには愛情ってものがないのかい」
「ねぇなぁ。愛情で飯が食えるかってんだ」
「ろくに働きもしないのはアンタのほうだろっ。昼間っから酒飲んで……ゴホッゴホッ」
「お前なぁ、怒鳴る元気があるのなら、働きに出たらどうだ? 俺の酒代くらい、稼いでみろってんだ」
昔から、顔を合わせれば喧嘩ばかり。
この二人はどうして結婚したのだろうと、私や弟達はいつも首を傾げたものだ。
幼い頃は、激しい言い争いをする両親の声を聞くたびに、怖くて怖くてたまらなかったけれど、夫婦というものはこういうものだと考えるようになると、次第に慣れて、なんとも思わなくなっていた。
――でも私は、結婚したらあんな風にはなりたくないなぁ。
父は暴力こそ振るわなかったものの、近所のおばさん達に言わせれば、「クズ亭主」、「ろくでなしの節操なし」らしく、そんな男に引っかかった母も母だと言っていた。もっとも母にも言い分はあって、結婚する前は父もあんな男ではなかった。真面目に働いて、貯金もしていた。私は騙されて結婚したようなもの、詐欺に遭ったのと同じだと嘆いていた。
――そういえば父も似たようなこと言ってったっけ。
女性にしては長身で体格のいい母を見た父は、この女はよく働くに違いない、きっと自分が困った時は食べさせてくれるだろうと期待して結婚したんだとか。それが蓋を開ければ子どもを産んでは寝込み、産んでは寝込みの繰り返し、しまいには病気にかかって働くどころかかえって金がかかるしで、とんだハズレくじを引かされたとぼやいていた。
――どっちもどっちだと思う。
「いいかい、美麗。男なんて優しいのは最初だけだよ。早く結婚したって生き急ぐだけさ。自分の力を信じて、地道にコツコツやるのが一番だよ。男に頼ろうなんて思っちゃダメ」
そう母は言っていたけれど、結婚に対する憧れは美麗にもあって、
「ねぇ、かあさん、近所のおばさんがいい人を紹介してくれるっていうんだけど、試しに会ってみてもいいかな? 私ももう20だし、会う前に断るのも失礼でしょ? あのおばさんにはいつもお世話になっているから……」
母はやせ細った身体を起こすと、じっと私を見つめて、
「あんた、結婚に逃げるのかい?」
てっきり喜んでくれると思っていたのに。
落胆する私に、母はおもむろに語りだした。
「きつい言い方かもしれないけど、あんたのためを思って言ってるんだよ。実を言うとねぇ、かあさんには夢があったんだ。都へ出て、自分の店を持ちたいっていう夢がね。けれど馬鹿な男に引っかかって、夢を捨てちまった。美麗、お前にも夢があるんだろう? 夢を叶える前に、結婚に逃げちゃダメだよ」
私に、そんなたいそうな夢はない。
しいてあげるのなら、素敵な結婚をして、幸せな家庭を築くことだ。
けれど母の許可が得られなかったので、仕方なく近所のおばさんに事情を説明してお断りの返事をすると、
「困ったおっかさんだねぇ。娘の幸せを邪魔するなんてさぁ。いいのかい? 美麗。本当に断っちまって。あんただって、いつまでも若いままじゃいられないんだ。そのうち、誰にも相手にされなくなるよ」
「……でも、私が家を出てしまったら、かあさんも困るだろうし。弟達だって……」
「あんたがそんなんだから、家族が皆あんたに甘えちまうんだよ。まだ若いのに、所帯窶れしちまって、かわいそうに」
だって私は長女だから。
家族のために尽くすことは当然のことだ。
『美麗、君は本当に優しい子なんだね』
どこからともなく声が聞こえて、私は首を傾げる。
私は、私のしたいようにしているだけ。優しいわけじゃない。
『近所の人にあんなこと言われて平気なの?』
あの人は口が悪いだけで根は親切な人だから。私が仕事でいない時は母の様子を見に行ってくれるし、弟達にお菓子もくれる。まだ子どもだった私が食堂で働けるようになったのも、あの人の口利きのおかげなの。
『そうか、君は彼女に感謝しているんだね』
ええ、そうよ。
だからせっかくの縁談を断ってしまって、本当に申し訳なく思ってる。
『でもそのおかげで、僕らは出会えた』
目が覚めると、私は寝台に寝かされていて、睿様の手を握っていた。いつもの私なら、恥ずかしくてすぐに手を離してしまうところだけど、その時はどうしようもなく離れがたくて、いっそう強く彼の手を握ってしまう。
すると彼は嬉しそうに笑い、私の顔を覗き込んできた。
「久しぶりだね、美麗」
「……久しぶり、って……?」
「君は三日間眠りっぱなしだったんだ。寂しかったよ」
そう言われても実感はなかった。
ただ妙に身体が軽い気がする。
「気分はどう?」
「変な……感じです」
彼を見た途端、なぜか喉の渇きを覚えた。
ぬるま湯にでも浸かっているみたいに、身体がじんわりと熱を帯びる。
「この感覚は何なのですか……」
再び「すきもの」という言葉が脳裏をよぎるほど、私は睿様に抱きつきたくてたまらなかった。強く抱きしめて、抱きしめられたいと思った。彼に愛されたいと。
「僕が君を見るたびに感じているものだよ」
決まり悪そうに彼は白状する。
延命の儀式を受けると、寿命だけでなく感覚も共有されるらしい。
「以前、話したよね。番を前にすると神獣は皆、自制が効かなくなるって」
なるほどと、すんなり腑に落ちた。
同時に嬉しくもあって――千年近く生きた睿様にはできても、この衝動に耐えるのは私には無理だと判断して、ゆっくりと身体を起こす。
「私の身体、丈夫になったんですよね?」
「うん、僕と同じくらいにはね」
「だったら……前みたいに無茶しても平気ですね」
そう言って、もう片方の手で彼の頬に触れる。
私の拙い誘惑に気づいたらしく、睿様は大真面目な顔をして言った。
「そうだね、もう我慢しなくて済む」




