第二十三話
とある神獣の女が、とある人間の男に恋をした。
男は神獣にとっての番だった。
男はあっさりと、美しい神獣の女を受け入れ、二人は結ばれた。
愛の言葉を交わし、蜜月を経て、二人の絆はいっそう強くなっていった。
やがて夫婦となった二人は、共に協力し合い、国を治めた。
幸福な日々が続いた。
夫が、妻以外の女を抱くまでは――。
本気ではなかったと夫は言った。
一夜の過ちで、魔が差しただけ。愛しているのは妻である君だけだと。
妻は夫の言葉を信じた。
元より、信じるほかなかった。夫は番で、無二の存在だから。代わりはいないから。けれど二度とこのようなことが起こらないようにと、妻は夫を部屋に閉じ込め、見張りをつけた。自分以外の女を、夫に近づけないようにしたのだ。
不自由で窮屈な暮らしに嫌気が差したのか、夫は逃げた。
けれど妻は夫を捜し出して捕まえ、再び部屋に監禁した。
今度は逃げられないよう、両手両足に拘束具をつけて。
なぜこんなことをするのかと、夫は言った。
愛しているから、と妻は答えた。
嘘だと夫は叫んだ。
俺がおまえ以外の女と関係したせいか? と夫は問う。
一度の過ちも、おまえは許せないのかと妻を責めた。
いいえ、許しているわと妻は優しく答えた。
でも二度と、あなたにあんなことをして欲しくない。
私以外の女を、抱いて欲しくないだけ。
「おまえは俺が信じられないのか?」
「信じているわ。もちろん」
「だったら俺を自由にしろ。いいかげん、解放してくれ」
「それはできない……あなたが、そうさせたんじゃない」
会話は常に平行線。
妻の独占欲は日に日に強くなっていき、夫は憔悴していった。
「ああ、どうしてこんなにも、あなたのことばかり考えてしまうの」
姿が見えないだけで、不安で不安でたまらないと、妻は嘆いた。
「だったらいっそ、俺を食っちまえばいい」
食事を拒み、皮と骨だけになった夫は言った。
皮肉のつもりだったのだろう。
「そうね、そうすれば、私の心もきっと安らぐ」
夫の提案を、妻は喜んで受け入れた。
神獣本来の姿――巨大な獣の姿に戻ると、夫をごくりと丸のみした。
「ようやくこれで、あなたと一つになれた」
女の声は恍惚としていた。
その様子を、天帝が天上界から見下ろしていた。
『そなたは罪を犯した。よって罰を与える』
直後に女は醜い怪物の姿に変えられ、天帝はその怪物のことを「渾沌」と呼んだ。
『行け。人間を襲い、喰らい続けよ。同胞に殺されるその時まで』
時として、天帝は無慈悲で残酷だ。
神獣に対しても、人間に対しても。
…………
………
……
「渾沌は、心を病んでしまった神獣の成れの果てだ。神獣以外には殺せない。渾沌に出くわした人間たちはおそらく、災厄をもたらす魔物として、認識しているだろう」
翡翠の話が終わると、私はふうと息を吐いた。
「結界を壊されたのも、元は神獣だから?」
「俺の力が弱っていたせいもある」
私たちの近くには、頭部を失った渾沌の死体があった。
結界を壊されたことで翡翠が目覚め、元の姿に戻って渾沌を倒したのだ。
周囲の木々はなぎ倒されて、ひどい有様だったが、白龍の時のような戦いにはならなかった。青龍を前にした渾沌は大人しく、まるで自ら死を求めるように、青龍の牙にかかり、絶命した。
「……哀れなことだ」
渾沌のそばにしゃがみこむ翡翠の隣に、私も並ぶ。
徐々に土と同化していく渾沌の死体に触れながら、翡翠はぽつりとつぶやいた。
「俺もいずれ、こうなるかもしれない」
「あなたはならないわ。私がさせないもの」
彼の頬に触れて、私は力強く言った。
「それに、私を食べたって、きっと美味しくないでしょうし」
「俺にはうまそうに見える」
「あら、私を脅そうたってそうはいかないわよ」
泣き笑いの表情を浮かべる彼の顔を、両手でそっと包み込む。
「あなたの胃袋にいたんじゃ、こうやって触れ合うこともできない。それでもいいの?」
「……良くはないな」
「あなたがうんざりするくらい、あなたにべったり張り付いて、離れないから。覚悟しなさい」
もう既にやっているような気もするが、あらためて宣言すると、
「うんざりはしないと思うが、頼む」
真面目な顔でお願いされて、「まあ」と吹き出してしまう。
笑う私を、翡翠は突然抱きかかえた。
「このまま、国へ戻ろう」
「……身体は大丈夫なの?」
「ある程度は回復した。ここにいては、気の休まる暇がない」
***
蓬莱国を治める青帝が、人間の娘を后に迎えた。
雨天にも拘わらず、婚礼の儀式は滞りなく執り行われ、他国から招かれた神獣らも二人を祝福した。
娘はまもなく妊娠し、周囲の人々は后の不貞を疑った。
人間が神獣との間で子を成すことは、非常に珍しいことだったからだ。
しかし、生まれた赤ん坊が母親の濡れ衣を晴らした。
赤ん坊は、人の形をしていなかった。
紅色の鱗を持つ、小さな小さな龍だった。




