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この度、青帝陛下の運命の番に選ばれまして  作者: 四馬㋟
本編

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19/64

第十九話


 

「珊瑚、今日はできるだけ、外へ出てはダメよ」


 いつもみたく、朝餉の席で、連油は母親のような口調で言う。


「あら、どうして」

「敷地内に野良犬が迷い込んだらしいの。捕まえる前に逃げられたらしいわ」


 あんたが噛まれないか心配で、と続けられて、「過保護」と笑いながら言い返す。


 それより、その野良犬のことが心配だった。敷地内の誰かに見つかれば、間違いなくその場で処分されてしまうだろう。そうなる前に逃がしてあげたいと思い、私は連油の言いつけをやぶって、こっそり外へ出た。


 野良犬はすぐに見つかった。

 住居近くの茂みに、隠れるようにしてうずくまっている。 


 ――犬にしては、大きすぎる気もするけど。


 ふさふさの白い毛並みに透き通った青い瞳、これほど美しい獣を、私は今まで見たことがなかった。


「野良犬というより狼みたい」


 まさかねと、自分の不安を笑い飛ばす。

 野生の狼が、こんなに大人しいわけがない。


 目線を合わせるためにしゃがみこむと、


「触ったら怒るかしら」


 試しに鼻先に手を伸ばすと、くんくんと匂いを嗅がれた。

 手に、朝餉の匂いがついているのか、ぺろりと舐められて、くすぐったい。


「あなた、美人さんね」


 直後に鼻先に皺を寄せられて、「怒ったの?」と慌ててしまう。


「もしかして男の子?」


 犬は立ち上がると、さらに鼻を寄せてきて、私の匂いを嗅いだ。

 間近で見ると、さらに大きく感じる。


「お腹が空いているのね。ごめんなさい。何も持っていなくて」


 ひとしきり匂いを嗅いだあと、


『青龍の匂いがする』


 近くで声がして、はっとした。

 立ち上がって辺りを見回すが、誰もいない。


『でもあんた、綺麗だね。気に入ったよ』


 ――この子が喋ってるの?


『あんまり長居すると青龍に気づかれるから、とりあえずここを離れるよ』


 気づいたところで時既に遅く、


 ――甘い香りがする。


 そう思った瞬間、視界がぼやけて、私は意識を失った。






 ***






 目を覚ますと、翡翠がいた。

 いたずらっぽい表情を浮かべて、じっと私を見下ろしている。


 朦朧とする頭で、ああ、翡翠が私に会いに来てくれたのだと思い、身体を起こすと、いつものように彼に抱きついた。甘えるように頬を摺り寄せて、「会いたかった」と言えば、やんわりと抱き返される。


「可愛い」


 髪を撫ぜられ、腰に手を回された時、何かが違うと感じた。

 咄嗟に身体を離して、彼を見る。


「……翡翠、じゃない」


 顔立ちはよく似ているが、彼ではなかった。

 慌てて距離をとると、「どうかした?」と首を傾げられる。


 目の前にいる人物は、全体的に色素が薄く、翡翠よりも柔らかな印象を受ける。 


「あなた、誰なの」

「あれ、覚えてない? さっき、俺のこと美人だって言ってくれたのに」


 あの白い犬の正体が彼だと気づいた瞬間、炎帝陛下のことを思い出す。


「……神獣、様?」

「そうそれ。青龍の兄弟みたいなもん」

「だから青帝陛下に似ておられるのですね」


 慌てて敬語を使うと、「そういうのはいいから」と嫌そうに言われる。


「俺のこともロウって呼び捨てにして。気に入ってんだよね、狼に化けるの」


 自国はもちろん、他国の神獣に対しても、礼節をわきまえ、敬意を以て接するべし――と、玉祥に厳しく言いつけられているので、そういうわけにはいかないとかぶりを振る。


「狼に化けておられたのですね。てっきり犬かと」


 頑として口調を変えない私に、狼様は諦めたように口を開いた。


「犬も狼も似たようなもんだし。気にしなくていいよ。本当は人の姿をとったほうが良かったんだろうけど、苦手なんだよね。窮屈で動きにくいっていうか……地上にいる奴らはよく我慢していられるよな」


 言いながら、腕をぶんぶん振り回している。


「地上にいる奴らって……狼様は……」

「俺は普段、天上界にいるから」

「天上界、ですか」

「そう、俺は陛下に仕えている身でね。これでも、龍族の中では一番足が速いんだ」


 神獣が「陛下」と敬称で呼ぶ人物は、この世界でただ一人。

 天上界を治める天帝にほかならない。


「まさか、陛下を知らないなんてことはないよね?」


 もちろんだと、こくこくうなずく。

 ただ、実在しているということ自体に驚いたというか。


 その時、下から強い風が吹いて、咄嗟に衣服を手で押さえる。


 そういえば、ここはどこだろうと思い、辺りを見回した。

 周辺の草木は少なく、花もない。見慣れない光景に戸惑ってしまう。


「あの、ここはどこですか」

「さあ、どこだろう。適当に飛んできたから、わかんないんだ」


 あははと笑われて、「ええっ」と不安になってしまう。


 こわごわ、風が吹いてきたところを見下ろして――今、自分たちが断崖絶壁の山の上にいると気づいた瞬間、さあと血の気が引いた。下手に動けば落ちてしまいそうで、ぺたりとその場に座り込む。


「どうしたの? 怯えちゃって。可愛い」

「狼様こそ、どうして私をこんなところに?」

「話を聞きたかったっていうのもあるけど……単純に気に入ったから?」

「……私は青帝陛下の番です」

「うん、知ってる。青龍の奴、今頃ひどく怒ってるだろうな」


 楽しそうに言われて、


 ――もしかして私、遊び半分で攫われたのかしら。


 などと考えてしまう。


「それで、私に話というのは……」


「青龍が色々やらかしてるみたいだから、調査に行けって陛下に命じられてね。あいつがこれ以上、好き勝手やるようなら、殺しても構わないってさ」


 柔らかな笑みを浮かべて、ぞっとするようなことを言う。


「あいつの代わりなんていくらでもいるし? なんなら俺があいつの国を治めてもいいし」


 あまりのことに呆然としていた私だったが、


「殺す、なんて、簡単に言わないで」


 思わずキツイ口調で言ってしまい、はっと口元を押さえる。


「……ご無礼をお許しください。ですが――」

「もしかして責任を感じてる? 青龍が力を使ったのは、あんたのためだろ?」


 図星を突かれて、唇を噛み締める。


「番であるあんたが青龍を受け入れなかったから」

「そうよ、私のせい」


 開き直って言い返す。


「けれど私をあの方の番に選んだのは天帝様でしょ?」


 青帝陛下の後釜を狙う神獣に敬語なんて必要ないと、私は正面から彼を睨みつけた。


「……陛下にも責任があると?」


 凄むような声を出されても怯まず、私は噛み付くように言った。


「当然じゃない。番を前にすると平常心を失ってしまうなんて、呪いと同じだわ。青帝陛下が私のために時を戻したのも、天帝様にかけられた呪いのせいよ。それなのに、何が好き勝手やるようなら、よっ。陛下は、好きで力を使ったわけじゃないっ。好きで、私を番に選んだわけじゃないわっ」


 ずっと胸の奥にしまって、気づいかないふりをしていた感情を、爆発させる。


「番でなければ、私なんて選ばなかったっ」


 それなのに、あの人は私を愛してくれた。

 私を救ってくれた。


「私でなくても、良かったはずなのに……」


 けれど私は、陛下でなければダメだ。

 翡翠でなければダメだ。


「狼、あなたには番がいる?」


 狼は痛いところを突かれたような顔をして、小声でつぶやく。


「……まだ、見つかっていない」

「だったら、青帝陛下の気持ちなんて、あなたには分からないでしょうね」


 怒りのあまり、頬が紅潮しているのが自分でもわかった。 


「だいたい陛下は、あなたに、簡単に殺されるような方ではないわ」

「確かに。正面からぶつかれば、俺もただじゃ済まないだろうな」


 思いのほか、狼の声は冷静だった。


「珊瑚、あんたの中には青龍の血が取り込まれている。だからあんたは老いることなく、いつまでも若く、美しい姿でいられる。もう、人ではないから」


 眉を顰める私に、狼は続けた。


「同時に今後、青龍の庇護なく生きることはできない。あんたの命は青龍のもので、青龍の命はあんたのものだから」


 だから私を攫ったのね、と腑に落ちた。

 私が死ねば、青帝陛下も死ぬ。青帝陛下を殺すより、私を始末するほうが遥かに楽だから。

 

「それより、もっと簡単な方法がある」


 私の考えを読んだように、狼は言った。


「あんたは青龍の神名を知っている。だろ? 奴の血を取り込んだ時に、名が身体に刻まれたはずだ。陛下がおっしゃるには、とても珍しい現象らしい。神獣と番の心の結びつきが、よほど強くないと起こらないそうだよ」


「……誰が教えるものですか」


 威嚇するように答えると、狼は楽しげに目を細めた。


「俺に拷問されても? 番は頭部を切り取られるか、肉体をばらばらにされない限り、死なないんだよ。つまり、それ以外は何だって……」


「好きにすればいいわ。痛みには慣れているもの」


 狼は一瞬、同情めいた視線を私に向けた。


「あんたは強いんだね、珊瑚。さすが青龍の番に選ばれただけのことはある……って、何する気だよっ」


 私はもう、狼の話を聞いていなかった。

 立ち上がって、風が吹いてくる方向へ駆け出すと、躊躇なく崖下に身を投げる。


「馬鹿っ、人の話は最後まで聞けっ」


 頭上で慌てたような狼の声が聞こえたが、何を言っているのかまでは分からない。


 ――番は、頭部を切り取られるか、肉体をばらばらにされない限り、死なない。


 ということは、断崖絶壁の山の頂上から落ちても、死なないということ。


 ――絶対に逃げてみせる。あの人の足手纏いになんて、なるもんですか。


 落下の衝撃で意識を失う寸前、空を切り裂くような龍の鳴き声が聞こえた。

 ふわりと身体を抱きとめられ、視界が翡翠色の鱗で覆われる。


 それは鋭い鉤爪を持った、巨大な龍だった。

 新緑を写し取ったような目が、じっと私を見下ろしている。


 ああ、彼が助けに来てくれたのだとわかって、私は微笑んだ。


「心配かけてごめんなさい。大好きよ」





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