もう一度、ここから 1
ゆっくりと目を開ければ、見覚えのない豪華な天井が目に入った。
「……う…………」
豪華と言ってもグレースのド派手でギラギラした部屋とはまるで違い、上品で華やかなものだ。
なんだか随分眠っていたような気がして、頭がぼうっとする。身体はちゃんと動くだろうかと右手へ意識を向けると、温かい何かに包まれていることに気が付いた。
「目が、醒めたのか」
視線を右へずらせば、そこには私の手を両手で握り、ベッドの側の椅子に腰掛けるゼイン様の姿があった。顔色は悪く、目元は少し赤い。
だんだんと頭がはっきりしてきて、森の中で意識を失ったことを思い出していた。そしてここがウィンズレット公爵邸であることにも、気が付く。
ゆっくりと身体を起こし、ゼイン様と向かい合う。
「……ごめんな、さい」
やがて口からは、そんな言葉がこぼれ落ちた。思い当たることがありすぎて、もう何に対して謝っているのか、分からない。
別れようとして何度も傷つけてしまったこと、ゼイン様を救おうと勝手で無茶な行動をしたこと、心配をかけてしまったことなど、いくらでもあるけれど。
「ゼイン様が無事で、良かった、です」
とにかくほっとして、口元が緩んでしまう。すると次の瞬間、腕を引かれ、私はゼイン様の胸の中にいた。
「……君は本当にずるいな。怒ろうと思っていたのに、そんな気もなくなった」
どれほど心配してくれていたのかが、声や私を抱きしめる腕、全てから伝わってくる。
「医者は問題ないと言っていたが、こうして君が動いて喋っているのを見るまで、何も手につかなかった」
あれから私は丸二日意識を失っていたらしく、その間ずっとゼイン様は眠っていないような気がして、申し訳なさで胸が痛んだ。
あんなにも瘴気を浴びて苦しんだというのに、どこにも異常はなかったという。にわかには信じがたいものの、驚くほど身体が軽い。
──あの時の金色の光が、関係しているのだろうか。
「あの、エヴァンは無事ですか!?」
「彼なら無事だよ、最後まで君を守ってくれていたから。センツベリー侯爵には俺から事情を説明して、我が家で君の治療をしたいとお願いしたんだ」
けれど、あの娘大好きなお父様がそんな簡単に許可をするとは思えない。
そんな疑問が顔に出ていたのか、ゼイン様は眩しすぎる笑顔で続けた。
「俺が君の恋人で婚約をしたいという話までしたら、全て快く受け入れてくれたよ。これまでの男はどうしようもなかったが、俺なら信用できるし娘を任せられると」
「??????」
グレースがこれまで付き合っていた男性はどうしようもない相手ばかりだし、ゼイン・ウィンズレットという人の素晴らしさや評判はお父様だって知っているはず。
そんなゼイン様を信用しようと思う気持ちだって理解できる、けれど。
「こ、婚約って……」
突拍子もない展開に、驚きを隠せない。そもそもゼイン様の口から、婚約という言葉を聞いたのも初めてだ。
「俺は君との将来を考えているし、当然だろう」
「えっ……」
まるで通過点だとでも言いたげなゼイン様に、動揺が止まらなくなる。
「だ、だって本当に一切、何の連絡もなくて、それに、シャーロットとキスをして……」
「距離を置きたいという約束を守っていただけだ。──キスというのは?」
「……その、先日の舞踏会でゼイン様がシャーロット様と庭園でキスをして、抱き合っているのを見たんです」
胸が痛みながらも話せば、ゼイン様は「ああ」と納得したように頷いた。
「酒に酔って倒れかけた彼女を支えただけだ。顔が近づいたせいでそう見えたんだろう」
「えっ?」
「彼女とは何もないし、何とも思っていない」
ゼイン様は真顔ではっきりと言ってのけ、本当にシャーロットに対して恋愛感情がないことも、後ろめたいようなことがないことも明らかだった。
そもそもゼイン様は、そんな嘘をついたりするような人ではない。
「じゃ、じゃあ、本当に勘違いで……」
「ああ」
当然だと言いたげなゼイン様を前に、どこまでもベタな展開すぎて恥ずかしくなる。
けれどあの状況とシャーロットの表情を見る限り、そう見えるのは当然だった。あのランハートですら、勘違いしていたのだから。
──ゼイン様は何も思っていなくとも、シャーロットはきっと違う。
そしてグレース・センツベリーとしては詰んでいる状況だというのに、心底ほっとしてしまった自分がいた。
「あの場面を君に見られていたとは思わなかったよ。それに、俺がクライヴ嬢に気があるとでも思っていたのなら、本気で心外だ。俺はいつだって君しか見ていない」
真剣な表情でそう言われ、胸が高鳴る。
言葉に詰まっていると、ゼイン様は整いすぎた顔をさらに近づけてきた。
「それよりも俺は、君がランハート・ガードナーと抱き合っているのを見て傷ついたよ」
「ええっ」
まさかあの場面をゼイン様に見られていたなんて、想像すらしていなかった。
それこそ、あんな暗闇でランハートと二人で抱き合っていれば、誤解されてもおかしくはない。何よりあの時は泣いていたせいで、しがみついた記憶がある。
「君が距離を置きたいというから耐えていたのに、裏切られたんだ」
「ち、違います! あれは私が泣いてしまったから、で……」
そこまで言いかけた私は、慌ててはっと口を噤む。けれどゼイン様が、見逃してくれるはずもなかった。
私が泣いていたことには、一切気付いていなかったらしい。ゼイン様はほんの一瞬だけ切れ長の目を見開いたけれど、やがて唇で綺麗な弧を描いた。
「なぜ君があの日、あの場所で泣く必要があった?」
「……そ、それは」
もちろん、その理由は分かっている。けれどゼイン様にだけは悟られてはならない。
「ゼ、ゼイン様には、関係ありません!」
いくら考えても良い言い訳なんて思いつかず、突き放すようにそう言うと、ゼイン様はふっと口角を上げた。
「泣くほど俺のことが好きなのに?」




