聖女 グレース・センツベリー 4
彼のこんな顔はきっと珍しいのだろう。
「……本当に救ってくれるのか」
「ええ。国王陛下や神殿の許可が必要でしょうし、まだシーウェル王国内の浄化も終わっていないので、今すぐには難しいですが」
「それは問題ないが……」
頼んできた側のくせに、フィランダーは今も「理解できない」という顔をしている。
──ゼドニーク王国がシーウェル王国同様、瘴気に苦しんでいることは知っていた。
何の罪もない民達は、今も瘴気に怯えて暮らしているはず。小説のシャーロットだって、悩むことなく隣国も救っていたのだから。
「聖女としての力を得た以上、ゼドニークの民も救いたいんです」
はっきり言ってのけると、フィランダーは切れ長の目を見開いた後、はっと笑った。
「聖女ってのは神話通り、心の綺麗な人間が選ばれるんだろうな」
「……神話?」
「ああ。そもそも聖女はゼドニーク王国で生まれたものだからな」
「えっ?」
初めて聞く話に驚きを隠せず、思わず聞き返してしまう。
「その話、詳しく聞かせてくれませんか」
「俺も神話なんぞに全く興味はないし、授業で聞かされただけでよく覚えていないんだ。国に戻れば色々資料は残っているはずだが」
持ち出せるものでもないそうで、王城にある資料室でしか見られないという。
「ただ、元々は神が人間の女に惚れ込んで、力を与えたって話だ」
「神様が、人間に……」
小説では出てきていなかったものの、とても大事な話のような気がする。
国へ来れば見せてやるとフィランダーはあっさり言ってくれて、浄化のためにゼドニークへ行った際、調べさせてもらおうと思う。
それからは今後の予定を軽く共有しつつ、詳細な日程については私のマネージャーがわりの神殿を通して決めるようお願いした。
最早この力は私だけのものではなく、基本的に力を使う際には国の許可が必要になる。特に他国のために使うとなれば、なおさら稟議は必須だろう。
「とはいえ、流石にタダでとは言わないよな?」
「はい。その代わり、私からお願いがあります」
「へえ? 言ってみろ」
楽しげに笑うフィランダーは、私がどんなお願いをするのか興味津々という様子で、前のめりになって膝の上で両手を組んだ。
「これから先、残虐な行為はしないでください。浄化をするまでも、している間も」
はっきりと告げると、フィランダーは「は」と眉を顰める。
「何だよ、残虐な行為って」
「な、生身の人間でチェスをしたり、日替わりで人を殺したりしているんでしょう?」
ベイエルで遭遇して以降、彼についての噂は色々と聞いた。そのどれもが悪虐非道と言われるのが納得なくらい酷いもので、ゼドニークの人々のためにも、そして彼に殺されかける未来があった私にとってもぜひお願いしたい。
「っく、ははっ! そうか、そうだな」
「…………?」
するとなぜか堪えきれないという様子で、フィランダーは笑い出した。何がおかしいのか分からず、その姿に不気味さを感じてしまう。
「分かった、約束する。ただしゼドニークに来てからはお前が俺を見張れ」
「えっ?」
「いやあ、これで一安心だ。お前は約束を破らないだろうしな」
どかりとソファの背に体重を預けたフィランダーは手足を組み口角を上げたまま、長めの前髪をかき上げた。国の代表として、謝罪も兼ねてきた人間の態度にはとても見えない。
見張るというのはよく分からないものの、お願いは聞いてくれるつもりらしい。
「何か言いたげな顔だな」
「あなたこそ、本当にそれだけなの?」
「というと?」
「国や民のために、わざわざ頭を下げにくるような人だとは思えなくて」
相手が失礼な態度である以上、こちらも気を遣う必要はない。不敬だと自覚しながらも、思ったことを口にした。
フィランダーに今も恐怖心を抱いているけれど、不思議と彼がこれくらいで怒ったり、私に危害を加えたりするとは思えなかった。
「ははっ、随分な評価だな。まあ当然か」
予想通りフィランダーは怒るどころか楽しげに笑っていて、自身の長い髪の先をくるくると指に巻き付けている。
この仕草は先程、ゼドニークの浄化を引き受けた後にもしていた記憶があった。もしかすると、彼の機嫌の良い時の癖なのかもしれない。
「グレース・センツベリーにもう一度会いたかった、というのはあるな。お前を一目見た瞬間、びびっと来たからさ」
「…………」
「見た目が好みな上に超大金持ちの侯爵令嬢、しかも聖女様なんて貴重な女、忘れられるはずがないだろう?」
自信満々にそう言ってのけるフィランダーは、女性に振られるなんて経験をしたことがないに違いない。
王子という立場や美貌に惹かれる女性も多いだろうし、人を殺すことに何の躊躇いもない彼が恐ろしくて断れない女性だっているはず。
私の後ろで黙って立っているエヴァンに「今の彼の発言は絶対にゼイン様に言わないで」という意味を込め、視線を送る。
エヴァンはパチンとウインクを返してくれたけれど、伝わっていない気しかしない。
「グレースはなかなか落としがいがありそうだ」
「名前で呼ばないでください」
「俺は生意気な女が嫌いなんだが、お前だけは余計に燃えるな」
「もう要件は済みましたよね? お見送りします」
フィランダーに遠慮しては負けだと察した私は、冷淡な対応を続ける。
するとフィランダーは「最高だよ」と笑う。
「まあ、俺だって国の心配くらいするさ。将来、俺のものになるんだ」
まるで帰る気などないとでも言うように足を組み替え、フィランダーは続けた。
まだゼドニーク国王が存命だというのに、なんて不敬で恐ろしい発言だろうと、こちらが冷や汗をかいてしまう。
けれど彼の後ろに控えている側近らしき若い男性は、表情ひとつ変えないまま。フィランダーのこんな発言にも慣れているのかもしれない。
「それに最近は歳の離れた妹が可愛いんだよな」
「……妹がいるの?」
小説ではフィランダーのことを深く掘り下げられていなかったから、その存在も彼が可愛がっているらしいことも、知らなかった。
「今は二歳なんだが、あれは稀代の悪女になるぞ。既に金品や宝石を好むし、気に食わない奴は全員消えろくらい言うからな」
「ええ……」
「今じゃ王族でも一番の金食い虫だ。薔薇の風呂に入る幼児なんて見たことがない」
そう話すフィランダーはとても楽しそうで、よほど我が儘放題の妹が可愛いらしい。
二歳でそれなのだから、将来が恐ろしい。とんでもない悪女になりそうだ。
「お前がゼドニークに来た時に紹介するよ」
「……ありがとうございます」
王女様に会いたくないなんて言うわけにもいかず、お礼を言っておく。
そんな私の心のうちを見透かしたように笑い、フィランダーは満足げに帰って行った。
「民のためだから仕方ないけれど、ゼドニークに行くのが本当に憂鬱だわ……」
「隣国の瘴気を浄化し終えるのと公爵様があの男を殺すの、どっちが先でしょうね」
「…………」
まだ問題は山積みで、とほほと肩を落とすほかなかった。




