聖女の力 6
「グレース!」
遠くから私の名前を呼ぶ、大好きな彼の声が耳に届く。
次の瞬間、首を締められていた手が離され、爆発音のような大きな音がした。
「げほっ、……はぁ……はあ……」
何が起きたのか分からないまま、必死に酸素を肺に取り込む。苦しさと痛みで涙が止まらず、地面に横たわったまま、胸のあたりをきつく掴んだ。
やがて誰かが近づいてきた気配がして、ふわりと身体が浮く。
「グレース!」
「……っ……」
視界はぼやけたままでほとんど見えなかったけれど、ゼイン様が助けに来てくれたのだと理解した途端、余計に涙が溢れた。
震える手でゼイン様の服をそっと掴むと、抱きしめられる腕に力が込められる。
「……遅くなってすまない」
ゼイン様が謝る必要なんてないと伝えたいのに呼吸が乱れ、上手く言葉を紡げない。
必死に首を左右に振ると、ゼイン様は悲痛な表情を浮かべていた。
「あと一歩だったのに、邪魔が入ってしまいましたね」
「──ふざけるな」
瓦礫の中から立ち上がり、服についた砂埃を軽く払うイザークさんに対し、ゼイン様は低い声でそう言ってのける。
「少しだけ待っていてくれるだろうか」
こくりと小さく頷くと、ゼイン様は私を抱き抱えたまま移動した。
近くにあったベンチにそっと私を横たえ、優しく頭を撫でてくれる。
「すぐに戻る」
ぐっと唇を噛んで頷くと、ゼイン様は剣を抜き、イザークさんへと向かっていく。
そして次の瞬間には、二人の戦闘が始まっていた。
涙で視界がぼやけていること、舞い上がる砂煙によってはっきりその様子は見えない。
けれど、キン、キンという激しい金属音や、魔法による破裂音や辺りの建物が崩れるような音が絶えず辺りに響き渡っている。
音だけで二人が激しい戦いを繰り広げているのだと、容易に想像がつく。
けれどそれも、長くは続かなかった。
「……はっ、やはりあなたと直接戦って勝てるはずがありませんね」
粉塵が晴れた向こうで、イザークさんは口元の血を拭い、自嘲するように笑う。
かなりの実力者であろう彼も、ゼイン様には敵わないのだろう。
肩を竦めてみせた後、青白い手のひらを私へと向けた。
「──え」
次の瞬間、こちらへ黒いもやのようなものが放たれ、すぐに私を庇うように目の前へ移動したゼイン様が光を放つ剣で薙ぎ払う。
それは近くにあった塀に当たり、どろりと溶かした。まともに当たっていれば、間違いなく私は即死していただろう。
自身の身体を無意識に抱き締めながら再び顔を上げた時にはもう、イザークさんの姿は無くなっていた。
「すまない、逃げられたようだ」
「い、いえ、大丈夫です。助けてくださって、ありが──っ」
ゼイン様はこちらを向き、お礼を伝え終える前に抱き締められる。
その手は少しだけ震えていて、どれほど心配してくれていたのかが伝わってきた。
「……生きていてくれて、良かった」
そんなゼイン様の様子や大好きな体温に包まれて安堵し、再び涙腺が緩む。けれどもう心配はかけたくなくて、きつく手のひらを握りしめて堪えた。
私の肩を掴み、少しだけ離れたゼイン様は私の首元へ視線を向ける。
「痛かっただろう」
「いえ、かすり傷なので平気です。これ以外に怪我もありません」
「とにかく急ぎこの街を出て、手当てをしよう。ヘイルはどうした?」
「エヴァンはゼドニークの騎士達と戦っていて、私達を逃がしてくれたんです。マリアベルはハニワちゃんと一緒にこの場を離れてもらいました」
ハニワちゃんが守ってくれているはずだと伝えると、ゼイン様は悲しげに眉を寄せた。
「……なぜ君はいつも他人を優先してしまうんだ。もっと自分のことも大切にしてくれ」
そして私の肩に顔を埋めたゼイン様は「だが、ありがとう」と呟く。その一言から強い安堵が伝わってきて、それだけで私の選択は間違っていなかったのだと思えた。
「行こうか。しっかり掴まっていてほしい」
「はい、分かりました」
やがてゼイン様は私を軽々と抱き上げ、走り出す。
話を聞いたところ、彼の討伐隊は魔物を倒しながら近くまで移動しており、ゼドニークが攻め込んできたという救援要請を受けてこの街へ来たそうだ。
「でも、どうしてこの場所が分かったんですか?」
魔道具だって手元にない今、混乱に陥った広い街で私を見つけるのは困難なはず。
「こいつのお蔭だ」
そう言ってゼイン様が視線を向けた先──彼の胸ポケットから顔を出したのは、小指ほどのサイズになったハニワちゃんだった。
「えっ、ど、どうしてこんなに小さく……」
主である私ですら初めて見る姿に、驚きを隠せない。
なんと街に到着してすぐ、小さなハニワちゃんがゼイン様の元へ飛んできたという。
「俺の魔力を覚えていて、駆けつけてくれたんだろう」
「だ、だってハニワちゃんは、マリアベルと一緒にいてくれているはずなのに」
「感じられる魔力はとても弱いから、二体に分かれたんじゃないか」
「え、えええ……!?」
そんなことができるなんて、知らなかった。けれどハニワちゃんがマリアベルを置いていくはずはないし、きっと事実に違いない。
実は先程から疲労感を覚えていたのは、二体同時に動かしている事による魔力の減少もあるのかもしれない。
「マリアベルの場所は分かるか?」
小さなハニワちゃんは喋ることができないのか、こくこくと頷くと短くて小さな手で右方向を指さす。ゼイン様は優しく微笑んでお礼を言うと、指し示された方へ走っていく。
ゼイン様のブローチも同じ方向を示しており、正しいルートらしい。
そうして街中を抜けていった先で、ゼイン様は不意に足を止めた。
「あれ、お嬢様。公爵様と一緒だったんですね。今向かおうとしていたところでした」
「エ、エヴァン……! それにマリアベルとハニワちゃんも!」
顔を上げた先には無事だったらしい三人の姿があり、どうしようもなく安心した。
ゼイン様は私を下ろしてくれた後、ほっとした表情でマリアベルの頬に触れる。マリアベルは目に涙を溜め、ぎゅっとゼイン様に抱きついた。
「お兄様がお姉様を守ってくださったんですね。本当に良かったです……」
「ありがとう。マリアベルも無事で良かったわ」
エヴァンの肩の上にいた、いつものサイズに戻り、あちこち少し欠けているハニワちゃんへ視線を向ける。
するとハニワちゃんは勢いよく私の胸元に飛び込んできてくれた。
「辛いお願いをしてごめんね、ハニワちゃん。頑張ってくれてありがとう」
「ぴ! ぷぺぷ!」
「ええ、本当に助かったわ」
甘えるようにくっついてくれるハニワちゃんにもう一度お礼を告げた私は、ぐっと両腕を伸ばしているエヴァンの側へ向かう。
流石のエヴァンも少し苦戦したのか、紺と金色の騎士服はあちこち汚れていた。
「エヴァンも守ってくれて本当にありがとう。フィランダーはどうなったの?」
「あの赤目野郎とはしばらくやり合っていたんですが、瘴気が濃くなってきて流石にまずいと思ったのか、引いていきましたよ」
「……そう」
フィランダーほどの人間でも、やはり瘴気は身体に毒なのだろう。
ゼイン様とも合流できた以上、小説通りに私が殺されることはないはず。そう分かっていても彼の表情や声を思い出すと、不安や恐怖が込み上げてくる。
「立ち話はここまでにして脱出した方が良さそうです。瘴気は広がり続けていますから」
「分かったわ」
返事をして改めて街を見回した私は、息を呑んだ。




