月の夜の魔法3
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ティアを伴っての魔物討伐を無事に終え、俺はしばらく普段と変わらない毎日を過ごしていた。
ひとつ変わったことといえば、父親であるレオポルド・ブルームハルト辺境伯とは、魔物討伐以来少しずつ話す機会が増えた。
今までは、自分を心配してくれていると知りつつも、生まれたときから前世の記憶があったせいで上手く親子として接することができなかった。
しかし、彼ら家族にはとても感謝していたし、信頼も、尊敬もしていた。
それを素直に表せなかっただけで。
そんな俺の背中を押したのは、他でもないティアだった。
一歩踏み出してみれば、父はとても嬉しそうにしてくれて、ああ難しく考えなくても良かったのだと、気持ちが楽になっていた。
それでもやはり、明日領地に戻る父のお別れ会に参加するのは気恥ずかしく、夕食だけ分けてもらい、その夜も自室で過ごすことにした。
サクはいつものようにふらふらと外出しているのだろう、静かな室内、ひとりでいるのには慣れていたが、不意になんとなく外の空気が吸いたくなって、庭園に出た。
騎士達の馬鹿騒ぎがまだ聞こえる。
きっと父も遅くまで飲むのだろう、やたらと酒に強いからなと思わず笑みを零した時、茂みの向こうに人の気配を感じた。
飲みすぎた誰かが涼みにでも来たか?と思って茂みを分け出ると、そこには思いもよらない人物がいた。
ティアだ。
どことなく具合が悪そうにベンチに座っていたのが心配で、隣に腰を下ろす。
聞けば、好奇心から酒を飲んで、酔ってしまったのだという。
「全く……好奇心旺盛なのは良いが、無茶はするなよ」
前世の記憶があるから大人びているのは納得だが、身体が幼い少女だからだろうか、普段はとても思慮深いのに、なぜかふとした時に無防備になる。
それが心配で目を離せないのだが、そんなことに自分だけが気付いているのだと思えば、なぜだか胸が温かくもなる。
この気持ちは、何なのだろう?
はっきりと分からないこの気持ちに戸惑いながらも、こうして手を伸ばさずにはいられない。
柔らかい頬に触れれば、酒のせいだろうか、少しだけ熱を持っていた。
夜風で冷やされた俺の手が気持ち良かったのだろうか、ティアは頬を擦り寄せてきた。
それに少し驚いてぴくりと手を引きそうになったが、心を許してくれているようなその仕草がかわいらしくて、小動物を愛でるように親指で頬を撫でた。
酒を飲んで気分が悪くなったと言っても、ここまでひとりで歩いて来れるくらいなら、しばらく楽にしていれば大丈夫だろう。
小さな肩を抱いて、自分にもたれさせてやれば、体の力が抜けたのが分かった。
少し楽になってきたのか、ティアは話す余裕も出てきたようだった。
「そういえば、辺境伯のお別れ会で姿が見えませんでしたけど、どこにいたんですか?」
「……別に父親のお別れ会など、参加しなくても良いだろう。いい歳なんだし」
そう素っ気なく返して顔を逸らしたが、今までとは気持ちが違う。
俺に見送られても別に喜ばないだろうとか、そんなことは一切考えなかった。
そんな会に参加すれば、少しばかり寂しい気持ちが湧いてくるであろうことが気恥ずかしくて、またそれを騎士達にからかわれそうなのが嫌なだけだ。
しかし、ティアにはそれを隠せなかったようで、くすくすと笑われてしまった。
しかし、それが不快に思わないのだから、不思議だ。
馬鹿にされているのとは違う、優しい笑み。
父との関係の変化について話せば、一緒に喜んで、励ましてくれた。
そして、羨ましいとも。
前世はどうか分からないが、今世の両親は事故でもう亡くなっていると言っていた。
それで孤児院を目指す途中、森で俺と出会ったのだから。
だがティアの様子を見るに、少しも悲観的ではなかった。
彼女のことだ、きっとひとりで乗り越えたのかもしれない。
それが切なく感じながらも、強いなと一言返すだけにとどめた。
ティアのような、内面の優しさと強さを兼ね備えた人に出会えたことは、俺にとって幸運だったと言える。
幼女だということを差し引いても、女性が苦手な自分がこんなに心穏やかに一緒にいられるのは、彼女くらいだろう。
彼女ならばきっと、数年後大人に成長しても良い関係を続けていけるのではないだろうか。
中身が子どもならば成長するにつれて変わる可能性はあるが、ティアのように精神が大人ならば、そう大きく変わることはないはずだから。
そんなことを考えていると、ティアが眠そうに目をとろりとさせた。
そして必死に瞼を開けていようとしながら、俺の目を見た。
「そうだ……私、明日の朝、おふたりに渡したいものが……」
渡したいもの?
これ以上何を……と思った、その時。
ティアが目を閉じると、その体が淡く光ったように見えた。
そしてそのまま、少しずつ手足が伸びていく。
あどけない顔つきが、どこか見覚えのある大人の女性のそれに。
「ティア?ティア、なのか……?」
驚いてそう聞くと、閉じていた両の目が薄く開かれる。
「てぃあ、じゃなくて……ほんとぉは……」
ティアじゃ、ない?
もしかして、この姿は……。
「くりすさんに、ほんとのなまえ、よんでほしいです……」
肩にもたれていた頭が、ずるりと落ちて俺の膝の上に乗った。
「本当の名前って……おい、ティア?」
そう聞き返したのだが、答えが返ってくることはなかった。
「嘘、だろう……?」
呆然とする俺をよそに、ティアに似た大人の女性はくうくうと安らかな寝息を立てて、俺の膝を枕にしたまま眠ってしまったのだった。
次話でこの章は終わりになります。
よろしくお願いします!




