月の夜の魔法2
「気分でも悪いのか?」
くたりとした私の様子に、クリスさんは心配そうな表情で隣に座った。
「えっと、すみません。またかと思われるでしょうが、誤ってお酒を口にしてしまって……」
久しぶりに飲みたくなってしまって、とはもちろん言えず、とりあえずそう言って誤魔化す。
「……またアランか?それとも、別の騎士か?」
クリスさんのうしろから、ただならない黒いオーラが吹き出した。
まずい。
また騎士の誰かの手落ちで私がお酒を口にしたと、誤解してしまったみたいだ。
「ち、ちちち違います!その、実は私が勝手にお酒がどんな味か確かめたくなって、こっそり飲んじゃっただけなんです!誰のせいでもありません!!」
必死にそう釈明すると、……ならば仕方ないなとオーラを引っ込めて下さった。
良かった、犠牲者が出る前に誤解を解くことができて。
驚きと必死さで、少しだけ酔いが醒めた気がする。
人間、気持ちで何とかなるものである。
「頬が赤いし、目もとろんとしている。全く……好奇心旺盛なのは良いが、無茶はするなよ」
呆れたようにそう言うと、クリスさんは私の頬に触れた。
あ、冷たくて気持ち良い。
いつもは温かくて優しいと感じるけれど、今は私の頬の方が温度が高いのだろう、ひんやりとしている。
けれど、やっぱりこの手の感触はとても落ち着く。
無意識にその手に頬を擦り寄せてしまうと、ぴくっと反応しながらも、親指で優しく頬を撫でてくれた。
その上、楽になるからと少しだけクリスさんの方へ体をもたれかけさせてくれた。
細身だけれど、騎士らしい頼もしい体に寄りかかると、守られているような安心感に包まれる。
けれど少しそれが気恥ずかしくて、気を紛らわせようと口を開く。
「そういえば、辺境伯のお別れ会で姿が見えませんでしたけど、どこにいたんですか?」
「……別に父親のお別れ会など、参加しなくても良いだろう。いい歳なんだし」
ぷいっとそっぽを向いたが、耳がほんのり赤い。
おや、これはやはり恥ずかしくて参加しなかったやつかな?
そんな姿がかわいらしくて、ついくすくすと笑ってしまった。
そんな私に気付き、クリスさんがこほんと咳払いをする。
「……だが、ティアのおかげで、少しだけ父に素直になれるようになった気がする。正直に言えば、今までどう接して良いのか分からなかったんだ」
ああ、そんな感じ。
優秀で手のかからない子ほど、甘え下手っていうのはよくある話だ。
それにクリスさんの場合、父が英雄のような存在の人だもんね。
そりゃ、色んなコンプレックスもあっただろう。
「……大丈夫ですよ。辺境伯は、どんなクリスさんでも受け入れてくれるはずです。器の大きい人ですから」
互いを気遣うことができるなら、きっと大丈夫。
今からでも、遅くはない。
「一緒に悩むことができるのって、家族からしたら嬉しいことなんですよ。隠して、平気な振りをされるのが、一番辛いです。後戻りできない時になってから気付いても、後悔しかありませんから」
多分、クリスさんが女性への苦手意識があるのも、何か理由がある。
クリスさんがそれを辺境伯に明かせるようになる日も、近いかもしれない。
「辺境伯のことですから、悩みを打ち明けても、そんなことか!って笑い飛ばしちゃうかもしれませんね。それで、それから一緒にちゃんと考えてくれそう。素敵なお父様で、羨ましいです」
エーレンシュタインの両親とは、いまいち仲良くなれなかったからなぁ。
エリート意識が強すぎて、ちょっと私とは価値観が合わないし。
それでも、悪人と言えるほど酷いことはされてないし、特に思い入れもないから良いんだけどね。
元の世界の家族との優しい記憶があるから、私にはそれで十分。
「ティアは、強いな」
「そんなことないです。ふたりには、幸せになってほしいなって思うだけです」
互いに一歩踏み込むだけで、関係が大きく変わる。
それが分かっているのなら、やらない理由なんてない。
「……ありがとう」
嬉しさの混じる声に、きっともう大丈夫だろうと安心したら、なんだか眠くなってきた。
「そうだ……私、明日の朝、おふたりに渡したいものが……」
まずい、本格的に眠くなってきてしまった。
お酒を飲んだ後な上、幼女姿だから、眠気を意識したら我慢が難しい。
部屋に戻るまではと、気合で目を開けていようと思うのだが、なかなか上手くいかない。
「眠いのか?……ティア?ティア、なのか……?」
うん?クリスさんたら、何言ってるんだろう。
今までずっと一緒にいたんだから、私に決まってるじゃない。
ああ、でも。
でも、本当の私は。
「てぃあ、じゃなくて……ほんとぉは……」
いつかあなたにも、本当の私を受け入れてもらいたい。
偽りの私じゃない、本当の姿と、名前と、心。
それを知っても、それでも一緒にいたいと言ってくれるなら。
「くりすさんに、ほんとのなまえ、よんでほしいです……」
偽りの名前でもなく、前世での名前でもない。
この世界の、今の私の名前。
“セレスティア”って、いつもの優しい声と、優しい笑顔で。




