黒の騎士のほろ酔い*後編
部屋の前に着き、腕の中のティアの様子を窺うが、どうやら本格的に寝入ってしまったようだ。
微かな寝息が聞こえる。
このままベッドに寝かせよう。
そう思って、少し申し訳ない気持ちにはなったが、勝手に扉を開ける。
ティアの部屋に入ったことはなかったのだが、彼女らしく、とても綺麗に片付いた部屋だった。
ほとんど物のない俺の部屋とは違い、植木鉢やミシン、仕事で使うのであろう材料などが、きちんと仕舞われていた。
「前世でも、しっかりした女性だったのだろうな」
弟妹の面倒をよく見てくれる、お姉さんという感じだ。
歳はいくつくらいだったのかなど、前世でのことは何も知らないが、こうして部屋を見るだけでも、彼女の人間性がよく見える。
「酒も、弱かったのか?」
すやすやと眠るティアに、小声で問うてみたのだが、やはり返事はなかった。
代わりに、うーん?と小さく唸られ、身じろいだかと思うと、ぎゅっと服を掴まれてしまった。
すりすりと胸にすり寄られ、どことなく気恥ずかしい気持ちになる。
「……って、俺は何を考えているんだ」
中身が大人とはいえ、子ども相手によからぬことを考えてしまいそうな自分が怖い。
早くベッドに寝かせてあげよう。
そうして、起こさないようにそっとベッドにその小さな体を下ろす。
……よく眠っている。
「ゆっくり眠れよ」
落ち着いてきたとはいえ、毎日忙しそうなティアを気遣った言葉は、自分でも驚くほどに優しい声だった。
日に日にこの少女が、自分の心の中を占める割合が増えていることを、自分でもちゃんと自覚している。
大切にしたいし、幸せになってほしいと思う。
「だからって、彼氏なんか連れてきた日には、ショックを受けてしまいそうだな」
娘を持つ父親のような、自分の馬鹿らしい考えに、小さく笑いが零れる。
そしてベッドを離れようとした時、くいっと何かに引かれた。
「……お約束だな」
ティアの小さな手が、俺の服の裾を掴んでいた。
優しく解くことは容易いが、もう少しだけ側にいたいという気持ちになって、結局ベッドの脇に座り直す。
安心したように眠る表情を見ていると、とても温かな気持ちになって、ついその柔らかそうな頬に触れた。
温かい……。
そっと纏めていた髪を解いてやると、綺麗なプラチナブロンドがさらりと流れた。
こうして見ると、あどけない、本当に普通の少女だ。
寮の仕事に店の経営、果ては王宮からの依頼など、本当に忙しくしているが、体調を崩したりはしないだろうかと、心配にもなる。
謙虚なところや頑張り屋なのは美徳だが、無理をしては元も子もない。
しかし、寮を離れて店に専念されるのも寂しいな……。
「う……ん……」
目を瞑って、うんうんとティアについてあれこれ考えていると、ベッドの中のティアが身じろいだ。
しまった、起こしてしまっただろうかと、はっとしてティアの方を見ると、そこには。
「……は?」
ティアではない、いやありえない、自分と同じくらいの年頃の女性がいた。
ちょっと待て。
いやいや落ち着け。
確かにあれこれ考えている最中、ティアのことは見ていなかったが、ずっと服は握られたままだったはずだ。
入れ替わったなど、ありえない。
じゃあこれがティアかと言われると、いや違うだろう。
確かに髪の色は同じだし、面差しも似てはいるが、どう見ても子どもではない。
夜のベッドに妙齢の男女がふたり。
このシチュエーションは、色々とまずい。
とりあえず離れようと、その華奢な指から服を抜き取ろうと触れた時。
「んー?くりすしゃん……?」
なんと、女性が目を覚ました。
びくりと肩が跳ね、心臓もバクバクと音を立てる。
この女性も酔っているのか、はたまた寝ぼけているのか、目がとろりとしている。
むくりと起き上がると、女性は俺を見上げた。
「むー……みけんに、しわよってますよ?」
そう言って、俺の眉間を人差し指でぐりぐりと撫でた。
ぐいっと身を寄せられたために、離れようとしたのが悪かった。
「っ、うわっ!?」
ベッドからずり落ち、そのまま尻餅をついてしまったのだ。
「っ……」
「クリスさん、だいじょーぶれすか?」
予想以上に近くからもたらされる声に、驚きで固まる。
女性は、座り込んでしまった俺に、馬乗りになって身を寄せていた。
ち、近い……!
「ん……っ」
思わず俺が女性の腕を掴んでしまうと、なぜか色っぽい吐息が零れた。
「クリス、さん……あったかい……」
「ちょ、ちょっと、待ってくれ…………!!」
そのまま女性は、ぴとっと俺の胸にくっついた。
きゅっと服を掴み、すりすりと頬ずりをしてきた。
そんな甘えるような仕草に、頭がくらくらする。
そして、そのまま視線を上げ、上目遣いで覗き込んできた。
「きょう……うれしかった、です。わたしのために、ありがとうございました」
ふわっと笑顔を綻ばせ、お礼を言う女性と、ティアの姿が重なる。
なぜ今ティアが!?
いや、似てはいるがありえないだろう!!
ふにゃりとした表情から見るに、ひょっとしたら俺よりも少し幼いかもしれない。
先程は同じ年頃かと思ったが、それでもせいぜい十五、六だろう。
やはりティアのわけがない。
しかし、今の台詞は……。
「クリスさん……」
真っ直ぐに俺を見つめるブルーグレーの瞳に、囚われたように。
無意識に手を伸ばしてしまう。
柔らかい頬に触れると感じる体温が、心地よくて。
自然と距離が、縮まる。
「――――スさん、クリスさん」
「っ!こ、こは……?」
「良かった。私の部屋です。すみません、ご迷惑おかけして。体、痛くありませんか?」
起きてすぐに目に入ったのは、いつものティアの姿だった。
そして俺はティアのベッドの端の方で、どうやら眠り込んでいたらしい。
「えーっと、多分ですけど……私が間違ってお酒飲んじゃったんですね?それでクリスさんが連れて来てくれた、と。ごめんなさい、服でも掴んじゃってました?」
申し訳なさそうに謝るティアの予想は、当たっている。
しかし、俺はいつ眠ってしまったのか……。
「クリスさん背が高いから、私のベッド小さかったですよね?体痛いかもと思って、起こしたんです。まだみんなが起きてくるまで時間があるので、部屋でゆっくり休んで下さい」
そうか、あれは夢だったのか。
夢ならば、色々と納得できる。
しかし前世で、『夢は願望の表れだ』なんて聞いたことがあるが……。
まさか、な。
ティアの言うように、体も少し痛むし、他の騎士に変なところを見られる前に、さっさと部屋に戻った方が良いかもしれない。
「ああ、体は何ともないが、そろそろ部屋に戻る。ティアは、朝食の準備か?」
「はい。おわびに、好きなものを作らせて下さい!何が食べたいですか?」
まだ朝日が昇ったばかりなのに、いつもこんなに早起きをしているのか。
ならば、今日くらいは身支度を終えたら、手伝いに行くのも良いかもしれない。
「……だし巻き」
「だし巻き卵ですね!分かりました!」
いつもの笑顔、いつもの声。
「ああ。楽しみにしている」
やはり俺は、この笑顔が好きだと、そう思った。
* * *
「……バレてない、わよね」
「あー、完全に夢だと思ってんだろ。チビに至っては、全く覚えてなさそうだしな」
そんなふたりを、窓の外で見つめる精霊がふたり。
「もぉぉ、精霊王様も先に言ってくれれば良かったのに!まさかブドウ酒で一時的に魔法が解けるなんて、思わないじゃない!」
「まあ、おかげで面白いモンが見れたけどな」
「アンタも睡眠魔法が使えるなら、さっさと眠らせてくれれば良かったのよ!」
「だから、危なくなる前に眠らせただろ?さすがに酔った勢いはなー」
そう、あの出来事は夢ではなく、現実だった。
精霊王のかけた時を戻す魔法が、酒の力で徐々に解け、ルナが焦ったのは言うまでもない。
ティアの貞操が!とおろおろするルナと、にやにやとその行く末を見守りつつ、すんでのところでちゃんと止めたサク。
急いで時空の精霊王に頼んで、魔法をかけ直してもらい、さらに何事もなかったかのように、ふたりをベッドに運んでもらったのだ。
「良かった……本当に良かった……」
「だから大丈夫だって言っただろ?俺を信じてくれよなー」
からからと笑うサクを、ルナはキッと睨みつけた。
「ふざけんじゃないわよ!女の貞操を軽く見ないでよね!」
「なんだよ、別にチューした訳でもねーんだから」
うるさい!と怒鳴るルナに、なおもサクは笑い声を上げた。
(でもなぁ……酒が入っていたとはいえ、ふたりとも何とも思っていない相手に、あんなことしないし言わないだろ)
ティアの本来の姿を知った時、クリスはどうするのだろうかと思っていたサクにとっては、今回のふたりの言動はとても興味深いものだった。
本人の言うように、ただの庇護欲ならばそれで良いかとも思っていたのだが……。
「ま、ちゃんとシラフの時じゃねーとな」
真面目なふたりだ、酔った勢いでと、自分を責めかねないからな。
その時が楽しみだと、サクは部屋に戻った主の元へと羽ばたいていった。
前編後編、お読み下さりありがとうございました。
ここでお知らせです。
この度、『ハズレジョブ持ち令嬢は 磨けば光る魔導具師』の書籍化が決まりました♡
もう一つのご報告と合わせて活動報告に書かせて頂いておりますので、もしよければ読んでみて下さい(*^^*)




