独身寮で家政婦やります!1
「な、なにこれ……」
目の前の光景に、私は口をあんぐりと開けた。
「に、にゃぁ……」
猫姿でも、ルナが引いているのがよく分かる。
それくらい――――。
き、汚い! 汚すぎる!!
顔を顰めた私に、案内してくれたカイルさんもあははと乾いた笑いをこぼした。
「毎日こうだから慣れてしまったのだが、やはり汚いと思うか?」
いやいや、これは十人中十人が汚い! っていうレベルですからね!?
『良いところを紹介しよう』という言葉に飛びついた私は、ここ、王立騎士団独身寮に来ていた。
そう、カイルさんの提案とは、彼も住んでいるこの独身寮の、お年を召した家政婦さんの手伝いをしないかということだった。
もちろん住み込みで、衣食住は保証してくれるらしい。
家事はわりと得意な方だし、前世で弟たちの世話を焼いていたから仕事内容は問題ない。
しかも、職場としてはこの上なくしっかりした所だ。
そのため、これはいい話!と迷わずお願いした。
そうしてついて来てみれば、たどり着いたのは、外観はシンプルだけど品の良い西洋風の豪邸。
中はどうなっているんだろうと、わくわくしながら足を踏み入れた。
まず目に入った、エントランスにある調度品。
とても上品なデザインで、繊細な作りがすっごく素敵!
豪華でいかにも貴族!って感じのエーレンシュタイン邸も良かったが、元日本人の庶民としては、こちらの方が落ち着く。
“独身寮”なんていうから、前世の弟の部屋だとか、テレビで見たことがある、男子学生寮とかみたいに汚かったらどうしようかなと思っていたのだが、杞憂だったらしい。
国を守る立派な騎士様だもの、彼らとは違うのね。
そう思っていたんだけど――――。
共用で使っている歓談室。
よく皆で集まってわいわいしているから、非番の騎士たちもそこにいるだろうと案内され、ドアを開けた瞬間、私のそんな考えは一蹴された。
ゴミ。
脱ぎっぱなしの服、靴下。
散乱したお酒のボトル。
「あれ、どーしたんすか副団長。今日非番じゃなかったですよね?」
「一緒に酒、どーです?ってあれ?かわいい女の子連れてますね。誰ですか?」
「残念ながら、一応勤務中だ。こっちのお嬢ちゃんは――――」
そして、そんな悲惨な状況を気にも止めない騎士たちとカイルさん。
あ、この光景見たことある。
そう思った瞬間、私の中の何かが、ぶちっと切れた。
「話をするなら、まずは掃除、しましょうか」
自分でも目が据わっているのが分かる。
その証拠に、騎士たちがビクッと肩を震わせた。
「見習い家政婦さん候補だ。早速仕事に取り掛かってもらえそうだな」
そう言って私の肩をぽんと叩く、カイルさんの綺麗な微笑みがとても腹立たしくて、私はじろりと睨んだのだった。
「カイルさんもほら、モップ持って来て下さい」
「……私もか?」
副団長様だろうが、ここに住んでいる方なら共用スペースは連帯責任ですよ?
嫌だなんて言わせませんからね?
一時間後。
「やっと座っても大丈夫そうな部屋に……!」
「へえ、やれば綺麗になるものだね」
私の指示のもと掃除を行った結果、なんとか見られる部屋にはなった。
カイルさんや一緒に片付けた騎士たちも、驚き、喜んでいる。
うんうん、やっぱり綺麗な部屋って気持ち良いもんね!
あ、でもいきなり現れた正体不明の幼女に、あれこれ指図されるのは嫌だったかも。
「……あの。今更ですけど、出しゃばって色々と失礼なことを言ってごめんなさい」
ぺこりと騎士たちに向かって頭を下げる。
つい前世の弟たちを相手するように接してしまったが、彼らはれっきとした王立騎士団の騎士様だ。
王立騎士団は貴族出身の騎士で構成されている。
つまり、こんな見た目庶民の小娘に、顎で使われる筋合いはないと怒られるのも当然で……。
怒鳴られるのを覚悟してきゅっと目を瞑る。
「いやいや、的確な指示でほれぼれしたよ」
「本当。俺たちだけだったら、片付く日なんて来なかっただろうな」
「こんなかわいいお嬢ちゃんに怒られるのも、悪くなかったしな!」
全くだ!と騎士たちが笑う。
あれ?怒ってない?
「大丈夫だよ。ここにいるのは、ただの貴族のお坊ちゃまではない。きちんと厳しい訓練に耐え、自分で身の回りのことをすることに慣れた者たちばかりだ。それに、お嬢ちゃんは気に入られたみたいだね」
こわごわ顔を上げる私に、カイルさんが微笑む。
彼も怒ってはいないようだ。
最初は遊んでそうとか、副団長っぽくないとか思ってしまったが、こんな身元不明の怪しい幼女に良くしてくれて、本当は優しい人なのかもしれない。
「あ、ありがとうございます。改めまして、セ……いえ、ティアと申します。見習い家政婦として、ここで働かせて下さい。よろしくお願いします」
そして、今度は祈るような気持ちでお辞儀をした。
不採用と言われてしまえばそこまで。どうかお願いします!と心の中で叫ぶ。
すると、頭上でふっと笑った気配がした。
「ようこそ、王立騎士団独身寮へ。ティアお嬢ちゃん、歓迎するよ」
そう言ってカイルさんは、私の前に手を差し出した。
これは、採用って認識で良いのかな?
おずおずとその手に自分の手を乗せると、よろしくねと握手された。
やった……!予定とは違ったけれど、これで当面の生活は保証された……!!
じーんと喜びを噛み締めていると、ルナもぺろりと頬を舐めてくれた。
うん、後でひとりになったら、ルナとも喜びを分かち合おう。
そんなことを思いながらよしよしと頭を撫でる。
気持ち良さそうに喉を鳴らすルナに、私も自然と笑顔がこぼれる。
「猫と美少女……癒やされるな」
「副団長、俺にも握手させて下さい」
「俺も、撫でさせて下さい」
「え!?ちょっ……」
わらわらと騎士たちに囲まれ、戸惑う。
すると、カイルさんも苦笑いを浮かべて口を開いた。
「構わないけど程々にな。この子はあのクリスが連れて来た、しかもどうやらお気に入りのようだからな」
その名前が出てきた途端、騎士たちの動きがピタリと止まった。
「団長がお嬢ちゃんを撫でた時はすごく不機嫌そうだったし、待ち時間に俺やアランとお茶してた時なんて、鋭い目で睨まれたからな」
「「「あのクリス隊長が……!?」」」
はははっと笑いながら言うカイルさんの言葉に、騎士たちがざわめく。
お気に入りというのはどうかと思ったが、確かに彼にはとても良くしてもらった。
あの、と言っているが、クリスさんが何だというのだろう?
「まあ、とりあえずここの案内を続けよう。他にも食堂や風呂、お嬢ちゃんの部屋にも連れて行かないとな。ひとり部屋で平気か?寂しいなら、アランあたりと相部屋でもいいが」
「いえ!ひとりで大丈夫です!」
部屋!部屋までもらえるんですね!
色々と隠し事も多いし、ルナとも話したい。
なので、ひとり部屋の方がありがたい。
「じゃあまずは家政婦のケイトに挨拶をして、疲れただろうから、しばらく部屋でゆっくりすると良い。他の騎士たちへの挨拶は夕食の時にしよう」
そう言うとカイルさんは、私の荷物をひょいと持ってくれた。
すると、目を見開いて軽すぎないかと聞いてきた。
あ、重さは百分の一の容量拡張カバンなのだった。
中身までは見られていないが、不思議に思っているのだろう。
訝しげにカバンを見つめている。
「……あまり荷物はないので。その、色々あって……」
「……そうか。辛いことを思い出させて悪かったな、お嬢ちゃん」
くっ……!良心が痛む!
痛むけどこうやって躱すしかない!
カイルさんたちの中では、私は両親を不慮の事故で亡くして、身一つで孤児院に保護を受けようとしていた幼女。
きっと今まで様々な苦労があって、あの森でクリスに会ったのだろう、とか思っているに違いない。
いや、間違ってはいない。
確かに侯爵家でも色々あったし、家出しようと思ったら男たちに絡まれるしで、まあまあ大変だった。
でも侯爵家での生活はそこまで不便じゃなかったし、アンナだっていてくれた。
なんなら面倒な社交とか免除されてラッキーとか思ったりしていた。
それに家出だって、精霊王様やルナ、アンナのおかげで割とすんなり実行できた。
男たちに襲われそうになった時も、クリスさんが助けてくれたから、ケガもなければ盗られた物もない。
つまり、大して苦労も辛い目にも、あってはいないのだ。
「いえ!気にしないで下さい。それより私、早く家政婦さんにご挨拶したいです」
これ以上誤解させてしまうのが忍びなくてそう伝えると、君は強いなと頭を撫でられた。
「おじょ……いや、ティアちゃん、色々苦労があったんだな?そんな健気に笑わなくても良いんだぞ?」
「かわいくて優しくて強いなんて、なんて良い子だ」
「何かあったら俺たちに言うんだぞ?すぐに助けてやるからな!」
騎士たちがほろりと涙を流しながら、私の肩を叩いて励ましてくれる。
……まずい。彼らの中で、私がだんだん美化されている気がする。
「ふっ、お嬢ちゃん良かったな。ああ、俺のことも遠慮なく頼ってくれて良いんだからな?」
「はは……あ、ありがとうございま〜す」
うんうんと頷くカイルさんに、私は適当にお礼を言って返すのだった。




