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赤ずきんの令嬢は孤独な狼に食べられたい  作者: 雪之


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27.シグルドと魔の森

 満月が浮かぶ夜、魔の森は姿を変える。

 日毎に高まっていった魔力は最高潮に達し、力に踊らされた魔獣が森を蹂躙するからだ。

 それに立ち向かうのは、狼の末裔ただ一人。

 古くからの慣例に従い、シグルドは剣を握って魔獣に相対していた。

 日暮れからの戦いは、もうどれだけ続いているのだろう。

 木々の切れ間から見える月の位置は、大して変わっていないようにも感じられた。

 満月の夜は何度も経験し、なんの問題もなく魔獣を屠ってきた。

 なのに今日は、いつもなら一息に流れる呪文が出てこない。

 仕方なく剣でしのげば、振るたびに貫かれた腕が痛む。

 痛みは一つの光景を頭に浮かばせ、視界の中に侵食してきた。


「あー、くそ……」


 魔法の威力は精神力に左右され、呪文の詠唱は集中力を要する。

 どちらも欠いた状態では使える魔法も限られてしまう。

 仕方なく唱えた魔法では何も倒せない。

 分かっていても、浮かぶ光景は消えてくれない。


 向けられる敵意は慣れたものだった。

 しかし、自分だけに向けられていたものが、自分以外にも向かってしまった。

 大事な大事な、赤い頭巾の少女。

 初めて向けられた視線は怖かっただろう。

 抜いた剣も、引かれた弓矢も、向けられたことなどなかっただろう。

 自分のせいだ。

 自分のせいで、味わう必要のない思いをさせてしまった。

 自分なんかに関わらなければ、安全な領内で優しい領民に可愛がられ、兄のように慕う幼馴染みと……。


「――――……っ」


 思い浮かべてしまった光景に、紡いだ呪文が霧散する。

 少女は自分の腕の中で、大粒の涙を流していた。

 あれは恐怖からだったのか。それとも、自分のためだったりしたのだろうか。

 シグルドは口元だけで小さく笑い、止まらない攻撃をふらりと避ける。

 致命傷に至らない傷はそこかしこにある。

 満月で高まったはずの魔力も尽きそうだ。

 ぐらりと傾いた身体で、迫りくる現実から逃避する。

 抱きしめた身体は、折れてしまいそうなほど細く、柔らかかった。

 涙の零れる青い瞳は、今までに見たどんなものよりきれいだった。

 もう手に入らないと分かっているからこそ、思い焦がれてしまうのかもしれない。


「……もう、いいか」


 ここまできたら、死んだって。

 そう思った時、チリンと鈴の音が鳴った気がした。

 都合のいい幻聴に笑ってしまうが、そのおかげで投げやりな気持ちが薄らいだ。

 シグルドは長剣を握り直し、もう一度魔獣へと向かう。

 魔の森から外へと向かう魔獣は、何を求めているのか。

 外には何か特別なものでもあるとでも思っているのか。

 自分にとっては、ある。

 狼の末裔という立場ではなく、自分自身を見て、ひたむきな好意を向けてくれた。

 軽やかに鈴の音を鳴らし、こんな自分に会いに来る、馬鹿で可愛い赤ずきんが。

 来るたびに嫌味を言ってしまったが、本当は鈴の音を待っていた。

 音が聞こえると、忘れていた胸の温かさを思い出した。

 彼女の暮らす場所は守らなければ。

 せめてこの魔獣だけでも倒さなければ。

 迫りくる攻撃を避けはしたが、地面に膝をついてしまう。

 集中すれば、呪文を唱えることができれば、こんな魔獣はすぐに倒せる。

 意識的な呼吸を繰り返し、乱れた鼓動を押し留め、呪文の一言目を発しようとした時。

 どこからか、銀色のものが飛んできた。

 それに続いて飛び出してきたのは、居るはずのない存在だった。


「わ、私のほうが……っ、美味しいよっ!!」


 赤い頭巾を被った小さすぎる身体が、全身で震えながら巨大な魔獣に立ちふさがる。

 生きのいい獲物を見つけ、魔獣は標的を移してしまったようだ。

 シグルドは唱えようとしていた呪文を即座に止め、短いものに切り替える。


「――――っ、勝手に食われようとしてんじゃねーよ」


 苛立ちに満ちた声は届かなかっただろう。

 シグルドはすぐに生まれた風に乗り、濡れた地面を蹴った。

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