伯爵令息は沈黙する
試合が終わってから一時間ほど経った後。
「……」
「……」
俺とアレックスは、オードヴィット侯爵家の馬車に揺られていた。
というのも、俺がアレックスを送っていくことを申し出たからだ。
試合が終わった直後、アレックスは言葉が出てこない程に打ちのめされていた。
あまりにあまりな負け方を見ていた皆も、俺ですら声にならなかったんだ、アレックスが何も言えなくても仕方が無い。
元々、相手が強かったのはある。恐らく今大会でも三本の指に入る、と言われていたらしい。
その上、決勝まできっちり勝ち上がってくるだけでなく、アレックス対策まできっちり習熟していたらしく、その手付きに淀みが一切なかった。
次から次へと繰り出される変則的な手に、アレックスは完全に混乱。
結果、何も出来ずに負けてしまった。
……その試合運びに、言いたいことがないわけじゃない。
だが、不正はなかった。試合の前準備において、向こうが上だった。
カードゲームで言えばデッキ構築の段階で負けただとか、メタで負けていたとかいうやつだから、文句を言うのは違うといえば違う。
ただ、やっていい事と悪い事はあるだろう、と言いたくもなる。
これは、いくらなんでもやりすぎだ。
だから俺達は何も言えなかった。
言いたいことは山ほどあった。言い出したらキリがないほどに。
ありすぎて、言葉にならなかった。
そして、一度口を開けば止まらなかっただろう。
それをアレックスに聞かせたところで、どうにもならないのに。
むしろ、こいつの傷を抉るだけかも知れない。
そんな分別があるから、皆、何も言えなかった。
何も言えないまま時間だけが過ぎ、会場から出なければならなくなったところで、アレックスを送っていくと言い出したのは俺だ。
本来ならばいつものようにシャルロット嬢と反省会をするところだが、今日は二人ともそれどころじゃない顔をしていた、というのが大きな理由。
もう一つ、理由があるのはあるんだが。
ともあれ、俺はアレックスと同じ馬車の中で揺られていた。
「……なんで、ロイドが来てくれたんですか」
お互い黙って揺られていたところで、不意にアレックスが口を開く。
ちらりと視線を向ければ、まだ顔に感情は戻ってきていない。
だが、自分から口を開けたのは、わずかでも回復したからだろうか。
そうであればいいんだが、と思いつつ、俺も答える。
「一番気を遣わなくていいだろ? ジョシュアやグレイじゃ、何か言いたそうにしてオロオロしまくってるだろうし」
「……それは、確かにそうかも知れません、ね」
小さく、呼吸の音が聞こえた。
笑った、とは言えないが、少しだけ響きが軽くなったような。
あいつらの顔でも想像したんだろうか。ま、確かに想像したら笑えるが。
それがずっと近くにあったら、段々気が滅入ってきそうだ。
あるいは、ちょっと落ち着いてきた今だからこそ、少しでも笑えるのかも知れない。
それから、また少しだけ沈黙が降りて。
また、アレックスが口を開いた。
「じゃあ、シャルは?」
「一番来たそうにしてたけどな。丁重に、お断りした」
淡々と俺が言えば、アレックスが目を向けてくる。
『何故?』と雄弁に言っている視線に、俺はどうしたものかと迷い。
意を決して、答えることにした。
「こういう時、男は好きな子に顔を見られたくないもんだ」
「……はい?」
「違うか?」
完全に予想外だったか、アレックスは間の抜けた声を出したと思えばぽかんとしている。
そこに俺が重ねて問えば、目をぱちくりとさせて。
……しばらく待てど、否定の声は返ってこなかった。
最近のこいつを見てて、そうじゃないかと思ってたんだが、やっぱりそうだったか。
「お前に、何か期するものがあるらしいことは察していた。それがこの結果だ、会わせる顔がない、なんて思ってるんじゃないかって勝手にやったわけだが」
「……」
目線を合わせないようにしながら重ねて言うも、やはり否定はされない。
ちらりと視線を向ければ、口を開き、また閉じ、を繰り返しているアレックス。
ここは、一歩引いておくか。
「勝手にやってることだから、無理に話す必要なんかないさ。
お前の願いや目的は、お前だけのものだ。だったらそれを胸に秘めておいたって、何の問題もありゃしない」
「……ロイド……」
我ながら恥ずかしいことを言ってる自覚はある。
だが、多分今のこいつにはこういう言葉が必要だとも思う。
だったら、俺が恥ずかしいくらいどうってことはない。
「ただまあ、感情を吐き出すくらいはいいんじゃないかとは思っているが」
「感情を、吐き出す……?」
「そう。悔しいだとか情けないだとか。そういう感情は、一度吐き出しちまった方が頭もすっきりする。何せ、決勝は明日もあるんだから」
そこで言葉を止めて、アレックスを見る。
目を見開き、思考が停止したような顔。
それが、徐々に崩れていく。
「……悔しいか?」
「悔しい……悔しい、ですともっ」
「情けないか?」
「情けないですとも! こんな、こんな無様な負け方をして!
それで、シャルに泣きそうな顔をさせて!
僕は何をやってるんだと、心の底から情けなくて!!」
俺が問いかければ、堰を切ったかのごとくアレックスの口から感情が飛び出してくる。
普段の情けない泣き言にも似た悲鳴とは違う、心の底から湧き出てくる生々しい叫び。
それを聞くだけでも、こいつがどれだけこの大会に賭けていたのかがわかる。
「そうだよな、情けないよな。しんどいよな」
「しんどくて、いたたまれなくてっ! シャルだけじゃない、皆、何も言えなくなっていてっ!
僕のせいで! 僕が、僕があんな負け方したから! でも、どうしたらいいかわからなくて!」
アレックスの慟哭のような叫びは続く。
こいつとの付き合いも長いが……多分、今までで一番真剣に取り組んだんだろうな。
それが、上手くいっていたのに、優勝目前でこんなにボロボロにされて。
混乱もするだろうし、心が折れかけもしたんだろう。
だから、こんなにも叫んでいる。
けれど、叫べている。
アレックスの心は、まだ折れちゃいない。
「そうか、わからないか。わからなきゃ、つらいわな」
「つらくて、情けなくて、苦しくてっ!! もう、どうしたらいいか!」
どうしたらいいかわからないだけで、まだ、折れていない。折れてはいないんだ。
少しだけほっとしながら、俺はアレックスが全て吐き出すのを待つ。
時間にして十分だろうか、それ以上だろうか。
馬車の中には、息切れしたアレックスの呼吸音だけが響く。
全部、吐き出せただろうか。
「そんだけ抱え込んでたんじゃ、しんどかったよな。だが、何をすればいいかなんて、わかりきってる」
「……わかり、きってる……?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げながら、アレックスが聞き返す。
俺は、真剣な顔をアレックスに向けた。
「勝つんだ」
「……勝つ」
「ああ。自分自身に。そして、相手に」
「相手に……でも、どうやって……あんなにボロ負けしたのに……」
はち切れそうだった感情を吐き出したからか、まだまだ弱々しいながらもアレックスの頭が通常稼働を始めたらしい。
わからないことがある、と認識出来ているんだから。
さあ、ここが勝負所。どこまで真剣味を感じてもらえるか。
「だからだ」
「だから……?」
「ああ。相手の勝ち方が、鮮やか過ぎるんだ。多分あれは、お前を研究し尽くした集大成とも言える一戦だろう。そんなもんを、二戦分も用意出来ると思うか?」
「……あ」
俺の説明に、アレックスが合点のいった顔になる。
というか、素人の俺よりもアレックスの方が納得するんじゃなかろうか。
相手は、決勝まであがってきた。当然、そのための準備もしてきていたはず。
そこに、アレックスにしか効かないような手を二戦分も練り上げてこれるものかと言えば、多分、無理だろう。
であれば、向こうの狙いは今日でアレックスの心を折ること。
完膚なきまでに叩きのめし、明日の第二戦で力を発揮出来ないようにする戦略で来ていたはず。
もしかしたら用意しているのかも知れんが、そこまで出来るような相手が三本の指に収まっている、つまり圧倒的トップになっていないのはおかしい。
ていうか、若手ナンバーワンって言われてんのは、一回戦の相手だったしな。
「まあ、それでもある程度は用意してきてるかもしれんが、出がらしみたいなもんだ。そんなもん、お前とシャルロット嬢がやってきた対策なら太刀打ち出来るに決まってる」
「僕と、シャルがやってきた……」
噛みしめるように、アレックスが言う。
その目に、力が戻って来た。……これなら、もう大丈夫かな。
「ああ、お前達二人がどんだけ頑張ってきたか、お前自身がよく知ってるだろ?」
「ロイド……そう、ですね。僕は、シャルとどれだけ対策を重ねてきたか、よく知っている。どれだけシャルが、一生懸命考えてくれたかも」
「それを忘れずにいたら、きっと勝てる。勝てるに決まってる」
俺の願望に過ぎないが。敢えて強く断言した。
今のアレックスに必要なのは、後はもう背中を押すくらいのもんだろう。
ぐしぐしと袖で乱暴に拭った顔は、まだ涙の跡が残っているけれども。
その顔は、戦う男のそれになっていたのだから。
「ええ、勝ちます。勝ってみせます!」
力強く宣言するアレックス。
そんなアレックスを乗せて、馬車はオードヴィット侯爵邸の門をくぐったのだった。




