伯爵令息は発破を掛ける
「シャルロットが出られないのはムカつくけどさ、それはそれとして、アレックスはどの道出るんだから、さっきの弱点ってやつをどうにかした方が良くね?」
どうにも微妙な空気になったところで不機嫌そうにグレイが口にした言葉で、俺達ははっと顔を上げた。
「そ、それはそうですね、確かにあんな弱点をそのままにしていては」
「滅多にあんなことはないと思うが、一応対策した方がいいな、そりゃ」
うっかり思考の迷路に嵌まってしまっていたが、よくよく考えてみればそれはそれ。
シャルロット嬢の件は正直俺達だけでどうこうできるもんじゃないし、これ以上考えても仕方がない。
であれば、今やるべきことは、アレックスの弱点克服だろう。
「んじゃ、中盤くらいまで進めて、俺が変な手を打つところから始めるのはどうだ?」
「そうですね、一度それでやってみましょう」
そう言いながらアレックスはコマを初期配置通りに並べて……それから自分側と俺の側、両方のコマをどんどんと動かし始めた。
一瞬も止まること無く、淀みなく動くその手付きは流麗とすら言えるもの。
悔しいが、なるほどこいつも乙女ゲーの攻略対象なのだと納得してしまう。
喋らなければとんでもない美少年だし、こうしてコマを慣れた手付きで扱っている様は雰囲気あるんだよなぁ。
「……そうですね、ここまで進めればいいでしょう」
「お、おう。……これは、お互いの防御を固め終わったところ、だよな」
「ええ。去年のマスターリーグであった一局を参考にしました。
ロイドの方が比較的スタンダードな陣形に近いので、わかりやすいとは思うのですが……」
と、そこからアレックスは、ここまでの流れやこの陣形を取った時の攻め方なんかを簡単にレクチャーしてくれた。
大体こういう流れで、と実際にコマを動かして説明し、また戻す。
この辺りは某国営放送の将棋番組の大盤解説そのものだな。……それを出来るってことは、アレックスの記憶力はプロ棋士並みということでもあるんだろうが。
寝食惜しんで打ち込んでいる、とまで行かずにこれなんだ、本当にこいつの記憶力は桁外れなんだなぁ。
などと、感心してばかりもいられない。
「基本はここからこうとか、こう、か……じゃあ、セオリーから外すとなると……こうか?」
と、俺は教わった打ち筋から大きく外れた手を打ったのだが。
「……それだと、こうして……」
と、アレックスが悩むまでもなく次の手を打ち、そこからあれよあれよと一気に俺のキングは詰んでしまった。
「さっきのあれだと、ほとんど一手捨てただけの結果になりましたね」
「くそ、意外と難しいなこれ……」
困ったような顔のアレックス。それはそうだ、何しろ弱点対策のつもりが、普段よりも俺が弱くなっただけの結果に終わったわけだから。
それから続けて何回か同じようなことを試してみたんだが、いずれも効果的な手は打てず、俺はいつもより簡単にサクサクと負けを重ねていく。
「つまりあれだ、セオリーっていうのは有効だからセオリーなんであって、そこから外れた手は、大体の場合使えないから捨てられた手ってわけだな」
ボロボロに負かされた俺は、悔しがる気力すらなく乾いた声で負け惜しみを言う。
さっきアレックスを混乱させた手は、ほんっとうにたまたまだったんだろう。
で、それを狙ってやれるかって言われれば、俺程度では到底無理。
「やっぱりこれ、シャルロット嬢くらいの腕がないと無理っぽいな」
「そういうことになりますか。……これは、シャルにまた頭を下げないといけませんね……」
残念ながら俺ではまるで役に立たない。それは、実際に対戦したアレックスが一番良くわかっているだろう。
しかし、そうなると……。
「あれ、最近アレックスがシャルんとこに何回も行ってるのって、こないだのあれのお詫びでじゃなかったっけ」
「うぐっ」
不思議そうな顔で、容赦の無いことを無自覚にグレイが言えば、アレックスが言葉に詰まる。
いやグレイ、お前が言うな。自分のことは棚に上げやがって。
先日やらかした、『二ヶ月ばかり婚約者様をほっぽってしまいました事件』の償いとして、シャルロット嬢はアレックスを何度も自邸へと呼びつけていた。
そこでお茶会……と称した『チェス』対局をしている、らしい。
そんなもんが償いになるのか? むしろおもてなしの準備をするダンドゥリオン家の人達が大変じゃないか? とも思うのだが、シャルロット嬢的にはそれでいいらしい。
まあ形式的に言えば、アレックスがシャルロット嬢のとこにお伺いするわけだから、下の立場になってることにはなるし。
とはいえ、そんな状況で更に『助けてくれ』とお願いするだなんて、どの面下げてと言われても仕方のないところだ。
普通なら。
「シャルロット嬢だったら、気にせずに快諾してくれそうだがなぁ」
「多分そうでしょうね。だからこそ、申し訳無いのですが」
「ああ、それもそうか」
相手が気にしなくていいと言うからこそ気になる。
それ自体はわかるし、そこで平気な顔して甘えるような奴でなくて良かったと心から思う。
だからこそ思考の迷路にはまりかけてるわけだが……ここは精神的年長者の出番だろうか。
「気持ちはわかるがな、今更かっこつけるのは無理だ、諦めろ」
「ぐっ……ばっさり言ってくれますね……」
「お前相手に遠慮しても仕方ないしな。
大体な、かっこつけられるような立場かよ、今のお前が」
「うう……それは、むしろかっこうの付かないことばかりしてきましたがっ」
わかってはいるが受け入れ難いらしく、言い返してくるアレックス。
それじゃだめだ、何とかしたいっていうその心意気は買いたいところなんだが。
「だろ。それで今更取り繕ったところで、シャルロット嬢も喜びやしないさ」
「しかし、じゃあどうすればいいんですか、一体!」
「決まってる。みっともなく足掻くしかない」
「み、みっともなく……?」
俺の言葉が意外だったのか、アレックスはびっくりしたような顔になる。
まあ、思春期の男の子には考えも付かないことじゃないかな。
「ああ、みっともなく。かっこつけて結局出来ませんでした、よりも、みっともなく足掻いてやり遂げました、の方が百倍ましだぞ?
大体かっこつけながら達成するだなんて器用なこと、俺達に出来るわけないだろ」
「それ、なんでもそつなくこなすロイドが言う?」
「グレイ、横から茶々を入れるんじゃない。大体俺だって必死こいて努力して結果出してんだ、割と足掻いてる方だぞ?」
まあ、前世のおかげで努力の仕方を知ってるってのはあるかも知れんが。
それでもアレックスのような超記憶力があるわけでもテレーズ嬢のような才能があるわけでもない俺は、泥臭く努力するしかない。
ただ、努力してるところを今までこいつらの前ではあまり見せてなかっただけで。
「ロイドでも、足掻いてるんですか……」
「当たり前だ、俺は別に天才でも何でも無いからな。特に親父にはどれだけボコボコにされたことか……」
正確に言えば、今でも油断したらボコボコにされる。どんだけ強いんだよ、親父の奴……。
だが、ちょっと偉そうに語りつつ恥もさらしたおかげか、アレックスの表情が少し変わったような気がする。
これなら後一押し、だろうか。
「それとな、意外なことに、みっともなく足掻いてる姿を好意的に捉えてくれる人ってのは結構いるもんだ。
むしろそういう人間の方が人を見る目があると思うね、俺は。
で、アレックス。シャルロット嬢はどっちだと思う?」
「シャルは、それは……見る目があると、思います……」
「なら、問題はないな。まだ感情的には納得いかんだろうが、それを飲み込むのも償いの内だと思っとけ」
「……わかりました、そう考えることにします」
そう言いながらアレックスは、まだ納得は仕切っていない顔で頷いて返してきた。
その日の放課後、今日もシャルロット嬢に呼ばれていたアレックスはダンドゥリオン邸を訪問、その場でシャルロット嬢にコーチをお願いし、快諾されたそうな。
そう俺達に報告してきたアレックスは、少しだけ吹っ切れたような顔をしていた。




