自分基準の押し付け
電気というものを作るということには色々な犠牲の元に成り立っている。
水力発電の為にダムを作るのには森林を伐採し、当然、動植物が犠牲となっている。
太陽光発電も森林伐採が問題となり、台風時には洪水、そして破損した太陽光パネルが河川、田んぼに落ちての汚染が問題となっている。
風力発電はその巨大な羽に多くの鳥が叩き落とされて死んでいるという被害があるとされている。(最近では羽を使わない風力発電も開発されたというが、それですべての電力をまかなえている訳でもなく、風力発電で作られた電気だけを使用するという選択が出来るわけでもない)
火力発電はCO2問題。
原子力は事故が起こったときには被害が大きい。
衣服も元の素材が何であれ、染料は動植物から作られているものが多い。
建物だって、木材で作ればそこに住んでいる動物、虫の犠牲で成り立っている。化学物質だけで作れば、環境汚染という問題が発生するだろう。
野菜の栽培も無農薬、有機栽培を行っても、(農薬を使わない方法でも)害虫の駆除を行えば、生き物の命を奪っているのに違いはない。
何が言いたいかと言えば、最近、欧米ではビーガンの人が増え、それを自分の健康の為にやっているというのなら好きにすれば良いのだが、ビーガンじゃない人を動物を殺して食べる野蛮な人達として攻撃し、なんと肉屋に投石などの被害もあるらしい。
人に限らず、生物は生きているだけで他の生物の犠牲の元に成り立っており、その犠牲に感謝して生きていくべきだと思うのだが、「食事が動物じゃない」という一点の理由で、その野菜を作るのに犠牲になっている生き物の事は触れず、食事以外でのことで他の生き物の犠牲で自分の生活が成り立っていることにも触れず、それで自分は野蛮じゃない。他の人は野蛮という考えは間違っているのではないか。
食事だけでも動物を殺さないなら、それだけでもマシ。というのかもしれないが、この程度はマシだから良い。という基準は誰が決めたのか。自分基準で自分は良い。他人は悪。という考えには賛同できない。
念のために繰り返すが、健康の為にビーガンだという人は好きにすればいい。人にも健康だからと勧めるのもよいだろう。だが、程度の違いこそあれ、自分も相手も同じ事をしているのに、自分基準で自分はOK。相手はNGというのは間違っているという話だ。




