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第38話 国民の叫び

 次の日の午後、カーティスの案内で、アトラスとルイーズは城下町に行くことになった。コンスタンスは来ないと思ったが、昨日以上に煌びやかなドレスで同行した。

 城下町は他の町とは違い荒廃した様子はないが、それでも昔ほどの活気はなく、どこか陰鬱とした空気に満ちていた。それでも王族の乗る馬車が城下町の広場に停止すると、何事かと市民が集まってきた。


「この広場からは出ないように」

「分かった。ルイーズ、行こう」


 馬車から降りると、カーティスに釘を刺される。アトラスは笑顔で頷くと、ルイーズの手を取って遠巻きに見ている市民の方へと歩きだした。

 市民たちは最初は怪訝そうにしていたが、兵士の「オルナンド王国王太子殿下! 王太子妃殿下!」という声を聞くと、途端に歓声が上がった。


「聖女様だ! 聖女様がお戻りになった!」

「皆さん、お久しぶりです」


 ルイーズが女性の手を握り返すと、さらに大きな歓声が上がる。

 シオンにいた頃は、それほど自分が求められているとは思わなかった。村の人たちには聖女様と慕われてはいたが、本当に狭い範囲のことで、親しい人が名前の代わりに呼んでくれているのだろうと、その程度に思っていた。

 けれど今、市民たちは心からルイーズを歓迎しているように見える。それ以上に救いを求めるように誰もが手を伸ばしてきて、ルイーズは心を掴まれたように苦しくなった。


「聖女様! どうか我等をお救い下さい!」

「皆……」

「食べるのもやっとなのです! どうかオルナンドより支援をお願いします!」


 次々とルイーズの手を握る人々の表情は辛そうに歪んでいる。押し掛ける人がどんどん前に出てきて、兵士が区切りのために張っていたロープを乗り越えそうな勢いだ。


「皆、安心してほしい。オルナンドはシオンの民を虐げない。そして困窮する民を救う手立ても考えている」


 ルイーズの肩を抱き寄せたアトラスが、大きな声で市民に呼び掛けた。ざわめきが消え、アトラスの声が広場に響き渡る。


「停戦の調印式を行ったあとは、シオンと友好的な関係を築いていこうと考えている。長年敵対し、民には辛い思いをさせた。これよりは一刻も早く国内を落ち着かせ、安定した生活が送れるように尽力するつもりだ」


 敵国であったオルナンドの王太子の言葉は、市民たちの心を強く掴んだ。

 一斉に歓声と拍手が沸き起こり、口々に「殿下!」と呼び声が上がる。「オルナンド万歳!」という声まで上がり、広場は異様な盛り上がりを見せた。


(本来ならこの言葉はカーティス様が言うべきなんだろうな……)


 アトラスの言葉がこれほど響いたのは、市民たちがシオンの王族に期待を抱いていないという表れのような気がする。

 敵国に救いを求める市民たちの懇願を、カーティスやコンスタンスはどんな気持ちで見ているのだろうと振り返ると、二人は憎々しげにアトラスを見つめているだけだ。

 決して市民に近付こうとせず、馬車の陰に隠れるように立っている。


「アトラス様?」


 ふいに、歓声の中で誰かがその名を呼んだ。


「アトラス様がお戻りになった!」


 続くように誰かが叫ぶと、途端にその声は広がり、あちらこちらでアトラスの名前が叫ばれた。


「アトラスは謀反を起こし断罪された! この者はオルナンドの王太子だ! ふざけたことをぬかすな!」


 突然カーティスが前に走り出ると怒鳴った。ルイーズは驚いてカーティスを見たが、アトラスは冷静な目でそれを見つめている。


「アトラス様は我等のことを一番に考えて下さっていた! あんなに誠実な人が謀反を起こすわけがない!!」

「黙れ! お前たちに何が分かる!!」


 顔を真っ赤にして怒るカーティスに、市民たちは反論の声を上げる。

 市民たちの声は怒号になり、次第に王家や貴族の悪口が混じり始めた。


「お前たちが贅沢ばかりするから、俺たちがいつまでも苦しい生活なんだ!! 勝てもしないのに無理に戦争を続けて、しまいには国を滅ぼすつもりだろう!?」

「うるさい! 愚民どもめ!!」


 酷い侮蔑の言葉をカーティスが投げかけると、さらに非難の声が大きくなった。


「カーティス様! もう帰りましょう!」


 暴動が起こってしまいそうな様子に怯えたコンスタンスが、カーティスの腕を引っ張る。


「あんたが王太子妃になって、生活がさらに苦しくなった! 何が新たな聖女だ!! 贅沢ばかりしやがって私たちのお金を返してよ!!」


 女性の金切り声のあと、何かが放物線を描いて投げつけられた。


「キャッ!」


 コンスタンスが叫び声を上げる。石でも当たったのかと心配になり見ると、その頭に生卵がべっとりと張り付いていた。

 それから次々と石や物が投げつけられて、ルイーズも危険を感じた。アトラスが身体を覆うようにかばってくれているが、これではアトラスも怪我をしてしまう。


「皆、やめるんだ! 言いたいことは分かった。そなたたちの声は、城にいる国王に必ず届けよう。だから今は怒りを収めてくれ!」

「アトラス様……」


 諫めるようにアトラスが声を上げると、潮が引いたように静けさが広がる。誰もがアトラスを真摯な目で見つめている。


「最悪! こんなこと許されないわ! カーティス様、帰りましょう!」


 コンスタンスが半泣きで馬車に向かう。カーティスも舌打ちをすると、踵を返し馬車に乗り込んだ。

 そのまま走り去ってしまう馬車を、ルイーズは呆れて見送る。


「ゲストを置いて行ってしまうなんて呆れた……」

「怒りっぽいのは変わらないな」

「奥方様!」


 ふいに民衆の中から見知った声が聞こえ振り返ると、人々を掻き分けてアシュリーが姿を現した。


「アシュリー!」

「奥方様、お久しぶりです」

「ああ、ずっと心配していたのよ! よく無事で……」

「ご心配をお掛け致しました。奥方様こそよくぞご無事で……」


 二人で手を取り合って互いの無事を喜び合う。ルイーズは怪我などもなく元気な様子のアシュリーの姿に安堵した。

 そんな二人の様子を穏やかに見守っていたアトラスが、ポンとルイーズの肩を叩くと、アシュリーはサッとその場に膝をついた。


「殿下!」

「アシュリー、たった一人でよく頑張ってくれた。ルイーズのことも、そなたがいてくれて助かった。礼を言う」

「殿下……」


 アシュリーは感極まったように涙ぐんだが、ぐっとそれを堪え深く頭を下げた。

 アトラスはそんなアシュリーに手を伸ばすと、ゆっくりと立ち上がらせる。


「報告を聞こう」

「ご命令通り、ご所望の書類は手に入れました」

「よし。詳しいことは城で聞こう。一緒に来てくれ」

「分かりました」

「ああ、さきほどはよくやった」


 アトラスの言葉にルイーズが驚きアシュリーを見ると、アシュリーはニコッと笑うだけで何も言わない。


(あれはアシュリーが先導したものだったのね……)


 タイミングよく民衆から声が上がったとは思っていたが、それが故意に起こされていたとは思わなかった。

 計画の内容は聞かされているが、詳細までは知らない。アトラスがかなり根回しをして事に及んでいることを改めて知ったルイーズは、感心してアトラスに視線を向けた。


「行こう、ルイーズ」

「ええ」


 穏やかな笑みを浮かべて手を伸ばすアトラスの手を握りしめると、馬車へ向かって二人で歩きだした。

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