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第18話 あなたとの再会

 アトラスの断罪から、あっという間に1年が過ぎた。

 コンスタンスが王太子妃になるというのは、あれからしばらくして村にも噂が流れてきた。まもなく結婚式だということで大きな町はお祝いムードだというが、ルイーズの住むこの小さな村はそんなことに構っている暇はなかった。

 冬の寒さは厳しさを増し、村の蓄えはなくなりつつある。全員が助け合いながら少ない食料を分け合っているが、これでは春までもたないんじゃないかと、ルイーズは毎日不安に思いながら暮らしていた。


「ねぇ、今日も食料はもらえないの?」

「仕方ないだろう。砦から交代要員が来ないんだ。あいつらが食料を持ってこないことには、俺たちだって食うものがないんだぞ」

「兵士の数、減ってるの?」

「たぶん前線に数を増やしているんだろ。あんたもずっとここに閉じ込められて大変だろうけど、勘弁してくれよ」


 兵士にこれ以上文句を言ったところでどうにもならないと、ルイーズは溜め息をつきながら裏庭に行き、納戸の扉を開けた。

 麻袋の中から育ちきれていない小さなじゃがいもを一つだけ取ると、自分の部屋に戻る。


「しばらくはこれで凌ぐか……」


 かまどの前に座ると、包丁でじゃがいもの皮を剥きだす。


(コンスタンスは今頃、城で贅沢三昧なんだろうな……)


 ここに来た時の煌びやかなドレスを思い出して、ルイーズはまた溜め息をつく。

 いまさらあんなドレスを羨ましいなどとは思わないが、毎日空腹と戦っている自分と比べてしまうと、なんともやるせない気持ちになってしまうのだ。

 それから味のしないスープを食べると、ルイーズは洗濯をするために外に出た。よく晴れた青空を見上げ、無理やり口元を引き上げる。


「よし、やるか」


 凍るほど冷たい水で手洗いした後、よく絞ると洗濯紐に吊していく。頬に当たる風は冷たいけれど、これだけ晴れていれば夕方には乾くだろう。

 全部を干し終わってのびをしたルイーズは、その時、教会をぐるりと囲む高い塀の上に、白い大きな鳥がいるのに気付いた。


「あんな鳥、初めて見たわ」


 姿ははやぶさのようだが、頭から尾羽まで真っ白な姿は、なんだか神々しく見える。

 もっと近くで見てみたいと思ったルイーズだったが、鳥の視線がずっとこちらに向いているような気がして首を傾げた。


「私を見ているみたい……。そんなわけないか」


 ルイーズは自分で呟いた言葉に肩を竦めると、くるりと鳥に背中を向け部屋に戻った。

 いつもと変わらない一日が終わり、ろうそくがもったいないからと早めにベッドに入ると、祈りの間の方から物音がした。

 ルイーズはすぐに起き上がると、祈りの間に繋がるドアを見つめる。


(なんの音?)


 何か大きな布が落ちたようなそんな音だ。


(泥棒?)


 一瞬そんなことが頭をよぎったが、こんなぼろぼろの教会に盗みに入る者などいないだろう。

 ならば村人が来たのかもしれないと、ルイーズは靴を履くとショールを肩に掛けドアに近付く。

 ドアに耳を付け、音がしないのを確認すると、そっとドアを開けた。

 真っ暗な祈りの間に人影は見当たらない。もしかして気のせいだったのかもとホッとしてドアを閉めようとした時、またバサッと音がした。

 ビクッと身体を竦めたルイーズは、音のした方を凝視する。すると、暗闇の中にぼうっと白い影が見えた。


「え……、鳥?」


 長イスの背凭れに留まっていたのは、昼間見た大きな白い鳥だった。

 ルイーズは驚きながらも詰めていた息を吐くと、ゆっくりと鳥に近付く。


「どこから迷い込んだのかしら……」


 屋根も壁も塞いでいるから、鳥が間違えて入ってしまうことはないだろう。そう思ってキョロキョロと室内を見回していると、なぜか入口のドアが開いていることに気付いた。


(ドアが開いてる……。ちゃんと閉めたはずだけど……)


 ルイーズは不思議に思いながらも、風が吹き込むドアを静かに閉めて鳥にもう一度近付いた。

 鳥はルイーズが近付いてもまったく飛び立つような素振りを見せない。


「随分人に慣れているのね……」


 ルイーズが目の前まで行くと、鳥は微動だにせずこちらの目をじっと見つめてくる。


「なぁに? 私に用があるの?」

「ルイーズ」


 冗談で鳥に話し掛けたルイーズは、目を見開いて硬直した。


「え……、今……、声が……」

「ルイーズ」

「と、鳥がしゃべった!?」


 あまりの驚きにルイーズはその場に腰をぬかし叫んだ。


「ルイーズ、驚かせてすまない」

「ま、魔物……?」


 見たことはないが、深い森には魔物がいるという。そういう類のものかと、ルイーズが怯えていると、鳥はまた口を開いた。


「落ち着いてくれ、ルイーズ」

「な、なに……、なんなの……」

「ルイーズ、私だ。アトラスだ」

「え……?」

「アトラス・シオンだ。久しぶりだな」


 鳥の言葉に、ルイーズはキョトンとした。


「え? アトラス? アトラス様!?」

「そうだ、ルイーズ」

「ええええ!? アトラス様!? 本当にアトラス様なのですか!?」


 ルイーズは四つん這いで鳥に近付くと、じっと見つめる。視線を合わせた鳥は、頷くように首を揺らした。


「少し落ち着いてくれ」

「アトラス様、鳥になってしまったんですか!?」


 死んで鳥になるなんておとぎ話は聞いたことがないけれど、もしかしたらそうなのかとルイーズが声を上げると、アトラスは声を上げて笑った。

 鳥はまったく口を開けてはいないが、確かに鳥からアトラスの笑い声が聞こえる。その笑い声は断罪の日に聞いた声とまったく同じで、ルイーズは本当に目の前の鳥がアトラスなのだと理解した。


「本当にアトラス様なのですね?」

「ああ。鳥になったつもりはないがな。君をずっと捜していた」


 アトラスの言葉にルイーズは突然涙が溢れてきた。

 捜していたという言葉が、なんだか酷く心に響いたのだ。


「ルイーズ、泣かないでくれ」

「ごめんなさい、なんだか勝手に涙が出てしまって……」


 困ったようなアトラスの声に、ルイーズは鼻をすすって首を振る。ショールで涙を拭うと、一度立ち上がり長イスに座り直した。


「アトラス様、鳥ではないなら、どうしてこんなことに?」

「私は生きている。あの日、助かったんだ」

「生きている? でも、あの時処刑されて……」

「ああ。私ももうだめかと思った。腹を刺されて船は燃えて……。だが私を閉じ込めていた牢が崩れ、その隙に私は海に飛び込んだ。そして助けられたんだ」

「助けられた? 誰に?」

「オルナンドだ」


 その名前に、ルイーズは何度目か分からない驚きに目を見開いた。


「オルナンドって、敵国ではありませんか!」

「ああ、そうだ。私はオルナンドの軍船に助けられ、治療を受けた。どうにか命を取り留めたが、ずっと眠り続けていたんだ」

「身体は……、身体は大丈夫なのですか?」

「ああ、もう大丈夫だ」

「治療を受けたということは、捕虜ということではないのですか?」

「ああ。私はこちらでは客人のような扱いだな」

「良かった……」


 せっかく助かったのに捕虜になってしまっていては、危険な状態に違いはない。だからそうではないと言われて、ルイーズは安堵した。


「君こそ大丈夫か? こんなところに一人で。事情はだいたい把握しているが……」

「私は平気です。言ったでしょう? 私はへこたれない性格だって」


 笑ってそう言うと、アトラスは黙ってしまった。少し間が空いた後、微かな溜め息が聞こえた。


「すまない。私のせいで……」

「アトラス様、私、毎日大変だけど、ちょっと楽しいんです。こうなる前の私は、毎日退屈な日々を過ごしていました。でも今は朝から晩までやることがいっぱいで、時間が足りないくらい充実しているんです。だから謝らないで下さい」

「君は本当に前向きなんだな」

「きっとこれが私の取り柄なのですよ」

「そうか……」


 安堵したような声ににルイーズはにこっと笑った。


「だが少し心配だ。君は随分痩せたように見える」

「見える? アトラス様は私の姿が見えているのですか?」

「ああ、見えている」

「私もアトラス様の姿が見えればいいのに……」


 一方的に鳥にしゃべっているのは、声が聞こえていても少し寂しく感じる。

 ルイーズがポツリと呟くように漏らすと、アトラスは「あ、そうか。ええと……」と言って、なにやら声が遠くなった。


「ルイーズ、そこに鏡はあるかい?」

「鏡ですか? ちょっとお待ち下さい」


 ルイーズは立ち上がり、自分の部屋に行くと、棚に置いてある卓上の鏡を手に取った。

 それを持ってまた鳥の前に戻ると、「ありました」と伝えた。


「それを鳥の前に置いてみてくれ」

「はい」


 アトラスの指示の通り、鳥の前に鏡を置くと、自分の顔を映していたはずの表面が、水面のように揺れた。そしてその波紋が消えると、そこにアトラスの顔が映った。


「アトラス様……」

「見えているか?」

「はい……、はい!」


 1度しか会ったことがないアトラスだが、その顔をルイーズはしっかり覚えていた。

 薄い茶色の髪に琥珀色の瞳、精悍な顔は記憶のままの姿で、ルイーズは感動に打ち震えた。

 また涙が溢れてきて、鏡の表面にそっと触れる。


「すごい……、本当に生きていらっしゃるんですね……」

「ああ。私は生きている。だから待っていてくれ。必ず助けに行くから」

「助けるって、こちらに来るということですか?」

「ああ」

「ですが、アトラス様が生きていると知ったら、カーティス殿下が黙っていないのでは?」


 ルイーズが心配してそう言うと、アトラスは少し驚いた顔をした。


「私のことを調べてくれたのか?」

「はい。あれから色々と調べました。アトラス様が無実であることを、皆信じていますよ」

「そうか……」


 アトラスはルイーズの言葉に少しだけ口許を緩め微笑むと、こちらに向けて手を伸ばした。

 その手がこちらに伸びてくることなどないが、ルイーズはまるで頬に触れられているように感じた。


「すぐにそちらには行けないが、いつもこうしてそばにいる。どうか辛抱してくれ」

「アトラス様も、無茶だけはしないで下さいね」


 互いを心配する言葉を言い合うと、二人は優しく微笑み合った。

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