第17話 亀の甲より年の功
次の日、朝の日課になっている祈りの時間に、村の住人であるダンが姿を現した。ダンは60代の男性で、額と膝に大きな傷跡があり、少し周囲から怖がられているのだが、ルイーズが教会を綺麗にしてからはたまに祈りに来てくれるようになった人だ。
「おはようございます、聖女様」
「おはよう、ダン。今日は寒いわね」
「そうですね。もう雪が降るでしょうな」
「足の具合はどう?」
「それがまた痛みだしちまって……」
「あら、それは大変。また手当てしましょうか?」
「そりゃありがたいです」
ルイーズはダンを長イスに座らせると、右足の膝に手を当てる。
しばらくそのままでいると、ダンは目尻に深い皺を作って笑った。
「ああ、温かい……。聖女様の癒しの力は本当にすごいですな……」
「おだてないでちょうだい。私の力なんてたいしたことないんだから。軍にいる癒し手なんて、あっという間に傷を治してしまうのよ。私なんて擦り傷を治すのが精一杯よ」
「いいや。聖女様にこうしてもらうと、膝の痛みがすうっと消えていく。儂みたいなもんにも優しく接してくれて、本当にありがたいことです」
「もう、本当におだてても何も出ないわよ」
こんな微々たる癒しの力しか持たないルイーズだが、村人やたまに来る旅人などに少しでも力になりたいと力を使っている。そのせいかこの近隣では少しだけ有名になりつつあって、逆に困ってしまっている。
聖女だと過度な期待を持たれても、本当に何もできないのだ。皆の役に立ちたいとは思うが、期待に沿えない自分が情けないし、嘘をついているようでいつも心苦しく思っている。
「聖女様、儂はいつも良くしてもらうばかりで、何も返していない。金も食べる物も差し上げられませんが、何かお手伝いできることがあれば、何でも言って下さい」
ダンの言葉に微笑みながらルイーズは手を引くと、隣に座り胸の前で手を合わせる。
「何もいらないわ。私はこうしてダンが顔を出してくれるだけで嬉しいのよ。さぁ、祈りましょう」
「聖女様……。聖女様、儂、昨日、聞いちまったんです」
「何を?」
「聖女様と、あの綺麗なあんちゃんが話していたことを……」
「え?」
ルイーズが驚いてダンの方へ顔を向けると、ダンはルイーズの手を握り締めて顔を近づけてきた。
「聖女様! アトラス様が無実だっていうのは本当なんですか?」
「そ、それは……」
(ど、どうしよう……。まさか聞かれていたなんて……)
ルイーズが動揺して視線をさ迷わせると、ダンは険しい顔で言ってきた。
「あのあんちゃんとアトラス様の無実を晴らそうとしているんですか!?」
「ダン……」
ルイーズはダンに迫られても、頷くことができなかった。もし話をしてまたビリーのように危険な目に合うようなことがあれば、もうルイーズは立ち直れないだろう。
けれダンは引き下がってくれなかった。
「教えて下さい! 聖女様はどうしてここに来られたんですか? なぜ儂らが人質なんですか?」
「ダン、これを聞いたら、きっとあなたに危険が及ぶ。だから――」
「そんなこと気にしないで下さい。儂は聖女様の、アトラス様のお役に立ちたいんです」
冷静な声になったダンの真っ直ぐな目を見つめ返ししばらく睨み合いになったが、ダンは諦めてくれる様子もなく、ルイーズは大きな溜め息を吐くと仕方なく口を開いた。
「……昨日話していたことは本当よ。アトラス様は誰かに陥れられて謀反の罪を着せられた。そう私たちは信じている。だからそのために色々と調べているの」
「それがカーティス王子だと?」
「まだ確証はないわ。けれど私をここに閉じ込めているのもカーティス王子なの。だから……」
「なるほど……。この教会に閉じ込められているってことは、もしやバルザス侯爵とも何か関係があるんで?」
「たぶんね」
ルイーズは頷くと、ダンは目を見開いて立ち上がった。
「バルザス侯爵……。あの悪党、やっぱり悪事を働いていたんだな……」
「ダン?」
「あいつはこの村を見捨てた酷い奴だ。他にも悪い噂ならごまんとある。聖女様! 儂も何か手伝いますよ!」
「ええ!? だめよ! とっても危ないのよ!?」
「いや、聖女様にはいつも良くしてもらってんだ。ちょっとでもお礼がしたい。儂にできることならなんでもしますよ!」
ダンの気迫に押されてルイーズは身を仰け反らせると、眉間に皺を寄せて考える。
(これはもうちょっとだけでも何か頼まないと、引き下がってくれそうにないわね……)
ビリーのことを考えると、もう誰も巻き込みたくないのだが、言い出したら引かないダンのことだ。何も言わなければ勝手に動いてしまうかもしれない。
(しょうがないか……)
「分かったわ、ダン。じゃあ、もし町に行くようなことがあるなら、バルザス侯爵のことを調べてほしいの」
「侯爵のどんなことを調べればいいんですか?」
「どんなことでもいいわ。町の噂とか、どこで姿を見たとか。それだけでいいの」
「情報か……。分かりました! すぐ調べてきますから、待ってて下さい、聖女様!」
「絶対無茶はしないでよ!」
やる気に満ちた表情でそう言うと、足に痛みがあるはずなのに、それを忘れたようにダンは早歩きで歩きだす。
ルイーズがその背中に慌てて声を掛けると、ダンは振り返ることなく手を振り、教会を出て行った。
「大丈夫かしら……」
年老いたダンができることといえば、きっと町の酒場で話を聞く程度だろう。それくらいならきっと危険はない。
ルイーズは肩を竦めると、また心配事が増えたと苦笑を漏らした。
3日後――。
「聖女様!」
バタンと勢いよくドアを開けて入ってきたダンに、ルイーズは掃除の手を止めて顔を向けた。
ダンは足を引きずりながらも近付くと、興奮した様子で口を開いた。
「どうしたの? ダン」
「聖女様! すごい情報を手に入れてきましたよ!」
「ええ?」
たった3日で何が分かったのかと驚きながら、ぞうきんをバケツに戻す。
「バルザスから裏の仕事を請け負っている奴を見つけましたよ!」
「本当!? ど、どうやって!?」
「実は儂は若い頃、まぁまぁ悪さをしておりまして、そういう奴らが出入りする酒場にも、この顔の傷を見せりゃ入れるんですよ。そこでバルザスから仕事を請け負っているギードって奴に会ったんです。んで、少し前大きい仕事をしたらしく、大層金を貰ったと自慢げに話しておりました」
ダンの言ったことがあまりにもすごすぎて、ルイーズは何も言えず目を瞬かせる。
「そ、その人って、どういう仕事をしている人なの?」
「文書の偽造が得意だそうです」
「文書……、すごい……、すごいわ、ダン!」
アシュリーに調べるように頼んだ誓約書のことを、一足飛びで辿り着いたことに驚きと喜びを感じルイーズは声を上げた。
ダンの手を取り、飛び上がって喜ぶと、ダンは照れたような顔をして頭を掻く。
「ありがとう、ダン!」
「いやぁ、役に立てて良かったです」
ルイーズはこれでついにやっと一歩進めたと、心の底から喜んだのだった。
◇◇◇
それからルイーズはアシュリーの来訪を待ったが、1ヶ月ほど何の音沙汰もなく過ぎた。
冬になり、村の暮らしは徐々に苦しくなってきた。村には食料が乏しく、老人たちが育てた野菜を分けてどうにか過ごしている。ルイーズもどうにか生活していたが、兵士から食料を渡されない日が出てきて、毎日かつかつの日々が続いていた。
そんなある日、突然ドアから入ってきたのは、この村にはまったく不釣り合いな煌びやかなドレスを着た、コンスタンスと母だった。
「お姉様、久しぶりね!」
あまりの驚きに固まったままでいると、コンスタンスは笑顔で近付き抱きついてきた。
「な、なんで……」
「もう、いやねぇ、せっかく妹が会いに来たっていうのに、喜んでくれないの?」
「どんなところに住んでいるかと思ったら、あばら家じゃない。本当に教会なの?」
後から入ってきた母が、顔を顰めて周囲を見渡す。
そこでようやく硬直が解けたルイーズは、コンスタンスを引き剥がすと距離を取った。
「二人ともなぜここに?」
「報告があって来たのよ。家族なんだから、こういうことは直接話さなきゃと思ってね」
「報告?」
「私ね、王太子妃になるのよ!」
「……は?」
コンスタンスの満面の笑みを見つめ、ルイーズは間抜けな声を漏らす。
(今、コンスタンスはなんて言ったの?)
「だから、カーティス様と結婚するの!」
「ど、どういうこと?」
「コンスタンスが王太子妃なんて信じられないでしょ? もう夢みたいよ!」
母も心から嬉しそうに言うと、今にも踊りだしそうなコンスタンスを抱き寄せる。
二人に担がれているのではと思ったが、こんなところまでわざわざ来てまですることでもないだろう。それに二人の様子はどう見ても本気で喜んでいる。
「……本当なの?」
「嘘なんかじゃないわ。城に出入りするようになって、しばらくして声を掛けられたの。カーティス様が私のことをとても気に入って下さってね、先月ついにプロポーズされたのよ」
得意げな様子でペラペラとしゃべるコンスタンスは、ルイーズの顔を見るとにこっと笑った。
「お姉様、必ず結婚式に来てね! 大丈夫、私からカーティス様にお願いしておくから、ね?」
「ルイーズ、良かったわね。優しい妹がいて」
ルイーズは二人の言葉に何の返答もすることができず黙り込んだ。
嵐のような二人が去り、よろけるように長イスに腰を下ろす。
「なんなのよ……」
絞りだすように言葉を漏らすと、ルイーズは顔を両手で覆い俯いた。
そうしてしばらくその場から動くことはできなかった。




