第15話 田舎の教会
廃屋のようなボロボロの教会に置き去りにされたルイーズは、とりあえず住める場所があるのかを確認するため、教会の中を歩いてみた。
教会はぐるりと高い塀で囲まれており、出入り口は正面の門一つだけ。そこには兵士が二人立っている。教会内部は見た限り祈りを行えるような状態ではない。天井を見上げれば空が見え、壁にも穴が開いてしまっている。
ルイーズは腐り落ちた床をどうにか避けて歩き、奥にあるドアに向かう。軋むドアを開けると、そちらはどうやら昔ここに住んでいた者の居住空間のようだった。小さなかまどとベッドとテーブルがある。イスは足が折れてしまっていて床に転がっている。
「イスは、我が家のものをお持ち致しますよ」
「村長さん……」
一緒に部屋を見ていた村長が気を遣ってくれたのか、優しく言ってくれる。
ルイーズは小さく息を吐くと、無理に笑顔を作って村長に向き直った。
「さっきは変なことを言ってごめんなさい。私はルイーズといいます。事情は知っていますか?」
「はい。先に来られた兵士の方が話して下さいました。アトラス様のお妃様で、聖女様だと」
「聖女と言っても何もできない役立たずです。村の皆さんには迷惑かと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「いやそんな……、この村にはもう老人しかおりませんが、皆あなた様が来るのを楽しみに待っていたのです。教会も力を合わせて直させていただきます」
「ありがとうございます……」
村長の優しい微笑みに、落ち込んでいた心が少しだけ浮上する。
ルイーズはとりあえず命は取られず城から出られたことを喜ぼうと、気持ちを切り替えた。
「今日はもう遅いので、また明日お話しましょう」
「はい、聖女様」
村長がゆっくりと部屋を出て行くと、ルイーズは大きな溜め息をついてベッドに腰掛けた。
「ビリー……」
戦場に送られたビリーを思うと心が痛くてたまらない。最前線なんてもしかしたら死んでしまうかもしれない。
ルイーズはそう思うと、慌てて立ち上がり祈りの間へ向かった。ぼろぼろの壁には埃をかぶってはいたが、白い女神像が飾られている。
その女神像を見上げ、その場に膝をつくと両手を胸の前で合わせた。
「女神様、どうか、どうかビリーをお守り下さい……」
自分にはこれしかできないと、ビリーの無事を必死で祈った。
◇◇◇
次の日、ルイーズは固いベッドの上で目覚めると、目を開けた瞬間、溜め息をついた。
住居部分だけは屋根も壁も大きな穴はないが、寝ている間、隙間風がヒューヒューと入ってきていた。今はあまり寒くもないからどうにか寝られたが、これから冬になっていけば恐ろしく寒くなるのは分かりきっている。
「まずは教会を修復しなくちゃ……」
くよくよしている時間はないと、自分に言い聞かせたルイーズは、ガバッと起き上がり朝の支度を始めた。
裏木戸から外に出たところにあった薪を持ってくると、かまどに火をつける。これは城の中の教会にいる間に覚えたことだ。今までの人生でそんなことはやったこともなかったが、掃除や洗濯、料理の仕方も神官たちに教わった。
「最初にここに連れてこられなくてホントに良かったわ」
もし城の中の教会ではなく、最初からここだったら、きっと自分は3日で飢え死にしていただろう。それを考えるとぞっとした。
かまどの火が大きくなると、昨日洗っておいた鍋にカメの水を入れて火にかけた。
「よし、これでいいわ」
ルイーズはどうにか上手くできたことにホッとすると部屋を出た。祈りの間は屋根の穴から光が差し込んでいて明るいが、それを見上げて溜め息をつく。
(あれも早く塞がなくちゃ、雨が降ったら大変だわ)
一番最初にやるのはこれねと確認していると、ドアから兵士が入ってきた。
「おはようございます、聖女様」
「おはようございます、何か用ですか?」
「食料をお持ちしました」
「食料!?」
カーティスの言い方から、何も食べ物は与えられないと思っていたルイーズは、兵士の言葉に驚いた。
兵士に駆け寄り差し出されたカゴを受け取ると、中には少しの野菜とパンが入っている。
「これって、朝食?」
「いえ、1日分の食料です」
「これで3食……」
じろりと兵士を睨みつけると、兵士は慌てたように教会を出て行く。
ルイーズは閉まったドアを見つめ、また溜め息をついた。
「もらえるだけありがたいと思わなきゃね……」
これがカーティスの命令なのか、国王からの慈悲なのかは分からないが、ないよりかはましだ。
ルイーズはカゴを持って部屋に戻ると、錆びた包丁で野菜を細かく刻み、鍋の中に入れた。
野菜の味しかしないスープが出来上がると、それを噛み締めるようにゆっくりと食べた。
食事が終わると、ルイーズはまずこの建物の中で、使える物を全部集めてみた。庭の端にあった納屋の中には、ボロボロではあるがどうにか使えそうな工具が見つかった。
「金槌と釘があったのは良かったわ。木材さえあえば、どうにか屋根と壁を直せそう」
その他にもバケツや掃除道具、教会の儀式に使っていたのだろう綺麗な布も見つけた。
色々とやることを考えていると、教会のドアから村長と数人の老人が入ってきた。
「おはようございます、聖女様」
「おはようございます、皆さん」
「ああ、あなた様が聖女様なのですね」
村長と同じくらいの年齢の人たちは、ルイーズを見ると目を細めて嬉しそうに微笑む。
「皆が聖女様にご挨拶したいと申しまして、連れて参りました」
「それはご丁寧にありがとうございます。ルイーズといいます。皆さん、よろしくお願いしますね」
「ああ、なんてことだ。アトラス様のお妃様が、こんな辺鄙な村に来て下さるとは……。ありがたやありがたや……」
自分に向かって手を合わせる村人たちに困ってしまったルイーズは、慌ててその手を下ろさせた。
「やめて下さい。私、そんな大層な人間じゃないの。ね、それより、村の人で手が空いている人はいませんか? ここを直したいと思っているんだけど」
「ああ、そう思って儂らが来たんですよ」
「え!? おじいさんたちが?」
どう考えても動けそうにない人ばかりで、ルイーズは目を丸くする。
その様子に、村長は困った顔で頷いた。
「すみません、聖女様。この村に若者は一人もおらんのです。でもまだまだ元気ですから、何でもお手伝いいたしますよ」
「そうなのね……。分かったわ、よろしくお願いします」
自分が率先して動かなければいけないと悟り、ルイーズは気合を入れる。
最初に屋根を修復するため、昔大工だった人から釘の打ち方を教わると、集めた廃材を背負ってハシゴに足を掛けた。
「聖女様が屋根に登られるんですか!? 危ないですよ!」
「大丈夫よ。私、身は軽い方だし、高いところも平気だから」
足腰が弱っている老人に屋根に登ってもらうより、自分がやった方が幾分でも安全に思えてそう言うと、老人の一人が兵士に向かって怒った。
「あんたら、見ているだけで、聖女様を手伝おうとは思わんのか!?」
「俺たちは聖女様がここから出ないように警備していろと命令されただけだ。教会を修復しろなんて言われていない」
「減らず口をたたきおって……」
一瞬ルイーズも兵士に期待したが、すげなく断られて肩を落とすと、仕方なくハシゴを登りだした。
屋根に足を掛けどうにか登りきると、ふうと一度息を吐く。屋根の上から村を見ると、十数軒の家の向こうにはただただ草原が広がっている。城下町近辺にしか行ったことがないルイーズは、こんなに田舎に来たのは初めてだった。
「聖女様ー! どうですかー?」
下から聞こえてくる村長の声に顔を向けると、心配そうに見上げてきている。
ルイーズは屋根をそっと移動すると、穴が開いている場所まで移動し確認した。
「大丈夫そうです! どうにかなりそうです!」
持ってきた廃材だけでどうにか穴は塞げそうだと、金槌と釘を取り出すと作業を開始する。
しばらく試行錯誤し、いびつではあるが穴を塞ぎ終わると屋根から降りた。
「ふう、なかなか上手にできましたよ」
「ははは、聖女様はたくましいですなぁ」
「さ、教会内もやってしまいましょう」
「よし、皆、頑張ろう!」
「おー!」
掛け声に合わせて皆が腕を上げる。それを見たルイーズは微笑み、一緒に右腕を上げた。
それから毎日コツコツと作業を続けた。井戸を使えるようにし、庭の雑草を抜き、壊れた物干しを直した。壊れたテーブルやイスは薪にして、廃材でどうにか新しいものを作り、やっとまともな暮らしができるようになるまで1ヶ月も掛かった。
「聖女様、そろそろお昼ですよ」
「え、もうそんな時間?」
無心で縫い物をしていたルイーズは、隣で一緒に縫ってくれていた村長の奥さんの声に顔を上げた。
「お腹が空いたでしょう? 今日は私が作ったパイを持ってきているので、一緒に食べましょう」
「パイ!? うわぁ、嬉しい!」
ルイーズが両手を上げて喜ぶと、奥さんは優しそうに微笑む。
二人でテーブルの上を片付け、昼の準備をしていると、ドアからノックの音がした。
「失礼します、聖女様。入ってよろしいでしょうか」
「あら、村長さん?」
「そろそろお昼かと思って来たんですが」
ドアを開けて入ってきた村長は、手にカゴを持っている。
「あら、あなた。家で一人で食べて下さいって言ったのに」
「いやぁ、一人で食べるのもなんだし、一緒に食べようかと思って」
「今日は楽しく女同士でおしゃべりしようと思ったのに」
「まぁまぁ、そんなこと言わずに、3人で楽しく食べましょ? ね?」
二人の仲裁に入ったルイーズは、3人分のお茶を用意し始める。小さなテーブルを3人で囲むと、穏やかな昼食が始まった。
「アンナさんのおかげで、もうすぐ新しい服が縫い終わりそうよ。毎日奥さんを借りちゃってごめんなさいね、村長さん」
「いやぁ、いいんですよ。アンナも楽しそうだし、いくらでも使ってやって下さい。ああ、それより、隣町から知らせが来て、カーティス殿下がついに王太子になるそうですよ」
「え!?」
ルイーズは村長の言葉に、パイを食べかけていた手を止めた。
「カーティス王子が……」
「ずっとオルナンドと戦争が続いているけど、カーティス殿下が指揮を取るのかねぇ」
「アトラス様より優秀ならいいんだけどね」
二人ののんびりとした会話を聞きながら、ルイーズはやっと自分がここに追いやられた意味が分かった気がした。
(王太子になるから私が邪魔になったんだわ……)
ここに来てもう1ヶ月が経つが、国王からは何の連絡もない。ということは、これはやはりカーティスが独断でやったことではなく、国王も知っていることなのだ。
カーティスの言葉は疑わしくて信じていなかったが、たぶんこの予想は合っているだろう。アトラスが亡くなって半年以上が経った今、王太子に即位するのは遅すぎるくらいだ。
国王としては自分を城の中に置いておきたいが、王太子となるカーティスの意見も尊重したい。そこで外に出すという結論になったんじゃないだろうか。
(ただ私の今の現状を、国王はたぶん知らないんだろうな……)
カーティス王子のことだ。きっと国王には地方の大きな教会で保護しているとでも言ってあるのだろう。そうでなければ優しい国王がこんなこと許すはずがない。
ルイーズは溜め息をついて窓の外を見つめる。
カーティスが王太子になって、自分のことに構っていられないくらい忙しくなるなら今が逃げる時だとも思うが、カーティスがここを去る時言い捨てた言葉が自分を縛っている。
(私が逃げたら村の人たちが殺される……)
ビリーのようにまた自分のせいで、誰かが犠牲になってしまうのは絶対に嫌だと、ルイーズはここから動けずにいた。




