第12話 教会の外
ルイーズはそれから色々と考えた。ここから逃げる方法も、アトラスの無実を晴らす方法も。それにはやはり自分も動かなくてはいけないと結論付けた。
けれど教会は高い塀に囲まれ、出入りするには兵士が守る門を越えなくてはいけない。神官や参拝に来る者は基本的に出入り自由だが、ルイーズだけは許可がなければ外に出ることはできない。
神官たちに手助けを求めようとも思ったが、城の中では肩身が狭くあまり目立った行動はできないようで、何かを探るには不向きだろう。それに人に頼ってばかりではいけない気がする。
「そうなると、やっぱりこれしかないわよね」
ルイーズはコップに入ったお茶を見つめ、ごくりと唾を飲み込む。
テーブルの上には、黒い果実が数個転がっている。
「よしっ」
覚悟を決めたルイーズは、トレイにコップを乗せ歩きだす。そして教会を出ると、鉄製の門の向こう側に立つ兵士に笑顔で話し掛けた。
「こんにちは」
「聖女様、どういたしました?」
「いつもご苦労様です。今日は少し暑いので、冷たいお茶を持ってきました。どうぞお飲み下さい」
「え、いいんですか? ありがとうございます」
兵士はパッと顔を綻ばせて答えると、門扉を開けてコップを受け取り、勢いよく飲み干す。
ルイーズは門扉に鍵が掛かっていないことをちらりと確認すると、にこりと笑ってコップを回収した。
「では私はこれで」
ささっと逃げるように教会に戻ったルイーズは、祈りの間の窓からこっそりと兵士を窺う。しばらくすると、兵士はもぞもぞと身体を動かした後、突然持ち場を離れ、どこかへ走って行ってしまった。
「上手くいったようね」
ルイーズは抱きしめていたトレイをその場に置くと、また教会の外に出た。
忍び足で門へ近付き、周囲を窺う。
(他の兵士はいないわね……)
交代の兵士がいないことを確認したルイーズは、緊張しながら鉄門に手を掛け押し開けた。そのまま外へ滑り出ると、急いで門から離れる。
息を切らして走り建物の中に入ると、もう一度周囲に誰もいないことを確認して安堵の息を吐いた。
「お腹を壊すから食べちゃだめって言われてるけど、本当だったのね……」
兵士に飲ませたお茶の中には、黒い果実を潰したものを入れた。その果実はどこにでも生えている低木の実で、教会の周囲に植えられた植栽の中にもあった。それを見たルイーズは幼い頃、この実を摘んで食べようとして怒られたのを思い出したのだ。
腹痛を起こすから絶対に食べてはいけないと言われていて、今まで食べたことはなかったが、これを使えばもしかしたら兵士をあの場所からどかせることができるかもしれないと試しにやってみたのだ。
「よし。これで少しは時間を稼げるわね」
お腹を壊した兵士はかわいそうだが、背に腹は代えられない。ルイーズは心の中で謝罪すると、周囲を窺いながら城の中を歩きだした。
◇◇◇
誰にも会わないように歩こうと思ったが、すぐに貴族とばったり会ってしまった。だが貴族の男性は軽く会釈するだけで、別段ルイーズのことを怪しんだりしている様子はない。たぶんルイーズが教会から出てはいけないということを知らないのだろう。それに気付いたルイーズはこそこそするよりも堂々と歩いた方がいいと、平然とした顔で廊下を進みだした。
とりあえず一番調べたいのはカーティスだったが、国王や王子の部屋はもちろん衛兵が守っていて近付けない。ルイーズはただ意味もなく城の中をうろついたが、何も手掛かりを見つけることもできず仕方なく外に出ると、今度は騎士たちが集まる訓練場の方へ向かった。
訓練場に近付くと、誰かの怒鳴り声が聞こえてきて、ルイーズは慌てて物陰に隠れた。
「貴様! まさかアトラスの教えをいまだに守っているんじゃないだろうな!?」
「そ、そんなことは絶対にありません! これは単に騎士としての鍛錬で……」
「ふん。謀反を起こして断罪された奴をいまだに信奉しているなら、お前も罰するぞ。いいのか?」
「滅相もありません! 私はカーティス殿下に一生忠誠を誓います!」
騎士が背を伸ばし大声でそう言うと、カーティスは顔を歪め笑みを浮かべる。
ルイーズはその笑みに顔を顰めた。
「あれ、聖女様ではありませんか?」
ふいに背後から声を掛けられ、ルイーズが慌てて振り返ると、見覚えのない兵士が立っている。
「訓練場に何か御用ですか?」
「え、あ、ええ。でももう終わりましたから! し、失礼!」
ルイーズはどもりながらもそう答え、そそくさとその場から逃げるように離れると、また建物の中に入った。
廊下の柱の陰に隠れるように立つと大きく息を吐く。
「びっくりした……」
もう少しカーティスを調べたかったが、もうあの場に戻る勇気は出ず、ルイーズは仕方なくまた建物の中を歩きだした。
(アトラス様がいなくなってから、騎士たちをいつもあんな風に叱責しているのかしら……)
カーティスの性格の悪さを見た気がして、なんだかとても嫌な気持ちだ。だがこれでますますカーティスの疑いは濃厚になった。あれだけあからさまにアトラスのことを嫌っているということは、罪を捏造した犯人でもおかしくはない。
やはりカーティスのことをもっと調べなくてはと足を速めたルイーズだったが、正面から美しいドレスを着た女性たちが歩いてきて、ビクッと足を止めた。
「あら、お姉様じゃない! こんなところで会うなんて偶然ね!」
明るい声で声を掛けたコンスタンスが笑顔で近付いてくる。その隣にはアトラスと同じ茶色の髪を美しく結った可愛らしい顔の少女がいて、興味深そうにこちらを見ている。
「コンスタンス、この方は?」
「わたくしの姉のルイーズですわ。ほら、あの罪人の妻になった」
「ああ、あなたが……」
罪人の妻という言葉にルイーズは顔を顰めたが、その顔を隠すように深く頭を下げて挨拶をした。
「お目に掛かれて光栄でございます、シャノン王女様」
「処刑なんて恐ろしいものに関わりたくなくて城にいたけど、罪人の妻になるなんて、あなた相当の変わり者ね」
シャノンの言い様にさらに腹が立ち、ルイーズは奥歯を噛み締める。
口を開けば言い返してしまいそうで黙っていると、コンスタンスが顎に指を添えて首を傾げた。
「お姉様、教会から外に出ちゃいけないんじゃなかった? もしかして逃げようとしていたんじゃないでしょうね」
「そ、そんな訳ないでしょ……」
「シャノン様、姉が逃げ出してしまったら、国王陛下がお怒りになるのではありませんか?」
「そうね。こんな不吉な者が城内をうろうろされては迷惑よ」
「分かりました。誰か! 衛兵! こちらに来てちょうだい!」
突然コンスタンスが声を上げて、ルイーズは慌てた。
(ど、どうしよう!)
このままでは勝手に外に出てきたことがばれてしまう。どうにかしなければと焦っていると、そこに現れたのは国王だった。
廊下の角から姿を現した国王は、怪訝な顔をして近付いてくる。
「なんの騒ぎだ?」
「こ、国王陛下! ご機嫌麗しゅう存じます!」
コンスタンスが声を上げてぎこちなく挨拶をする。ルイーズは何も言わず頭を下げた。
「誰だ、声を上げていたのは」
「わ、わたくしでございます。姉が勝手に教会から出ていたのです」
「違います。私は教皇様に用事を頼まれて外に出ただけです」
「お姉様は黙って!」
さすがに黙っているのはよくないとルイーズが口を挟むと、コンスタンスに睨まれる。
国王は一度ルイーズを見ると、穏やかな表情でシャノンとコンスタンスに顔を向けた。
「それほど目くじらを立てることではない」
「ですが、この者は罪人の妻でしょう? 目ざわりですわ」
「二人とも、アトラスのために祈りを捧げてくれている姉を労わらなくてどうする」
国王が諭すように言うと、二人は不満げな顔を見合わせる。
「シャノン、今日の勉強は終わったのか?」
「いいえ……」
「ルイーズにかまっている暇があるなら、勉強をしなさい」
「はい、お父様……」
シャノンがしょんぼりと頷くと、国王はにこりとルイーズに笑い掛けた。
「ルイーズ、少し話そうか」
「はい」
国王が歩きだすので、その後ろについてルイーズも歩きだす。
内心では兵士に腹痛を起こさせて、勝手に教会を出たことが知られてしまったらどうしようかとひやひやしていたが、どうにか平静を装って歩き続ける。
「ここの暮らしには慣れたか?」
「なんとか……」
「国の習わしとはいえ、辛い役目を与えてしまったな」
国王の優しい言葉に、先ほどまで苛ついていた気持ちが和らいでいく。
(コンスタンスもこのくらい言ってくれればいいのに……)
少しでも感謝してくれれば、これほど腹が立つことはないのだ。
ルイーズはそう思い溜め息をついてしまうと、国王が視線を向けているのに気付いた。
「教会の中で生活するのは息苦しいか?」
「そ、それは……」
「分かっている。だがこれはそなたのためでもあるのだ」
「私の?」
ルイーズの言葉に国王は小さく頷くと、ルイーズの隣に並ぶ。
「アトラスの胸の中にはきっと余に対する憎しみや死に対する恐怖、後悔の念が渦巻いていただろう。そんな感情を抱いたまま死んだのだ。きっと魂は苦しんでいる。それを癒すためにはそなたの祈りが必要なのだ」
「魂が苦しんでいる……」
「そして、そなたの存在をカーティスはあまりよく思っていない」
「え?」
国王の口からカーティスの名前が出てくるとは思わず、ルイーズは声を漏らしてしまう。
国王はルイーズの顔を見て、悲しげに眉を歪めた。
「カーティスは謀反を起こしたアトラスを早く忘れたいのか、アトラスに関わっていた者を遠ざけようとしている。騎士や貴族たち、そしてそなただ」
ルイーズはさきほど見たカーティスの様子を思い出す。
苛立ったような声と、歪んだ笑みはそういうことだったのか。
「気が立っているカーティスがそなたに何かするかもしれない。だから教会の中にいる方が安全なのだ。カーティスは教会には寄り付かないからな」
「そういう理由があったのですね……」
「アトラスが安らかに眠れるように、ルイーズには祈りを捧げ続けてほしい」
国王の言葉に、ここから逃げようとしている自分の方がよほど悪者のように思えて、ルイーズは「ここから出たい」という言葉を飲み込んだ。
教会の門まで行くと、いなくなっていた兵士が戻ってきていた。
「国王陛下! 聖女様、いつ外へ?」
「ごめんなさいね。あなたがいなくなっていたから、声を掛けられなくて」
「こちらこそすみません。急に腹が痛くなってしまって」
軽い腹痛で済んだことにホッとしたルイーズは、笑顔で首を振る。
「ルイーズ、聖女としてこれからも祈り続けてくれ」
「……分かりました」
ルイーズは小さな声で返事をすると、そこで国王とは別れ、とぼとぼと教会へ戻った。




