第11話 アトラスを信じる者
3日後、昼の祈りを捧げる時間に、珍しく参拝者が現れた。
教会を修復してから、祈りに来てくれる人が少しだけ増えたと教皇が喜んでいた。増えたといっても3日に一人くらいという、なんとも寂しい数だったが、それでもいないよりはましだと、ルイーズは笑顔で教会に入ってきた兵士に頭を下げた。
「こんにちは、お祈りを捧げに来て下さったのですか?」
「は、はい! あの……、僕、中に入ってもいいでしょうか?」
「どうぞ、遠慮せず中へお入り下さい」
まだ少し幼さの残る顔の兵士は、下級兵士の格好をしている。きっと休憩時間に来てくれたのだろうと笑顔で案内すると、長イスに座り両手を胸の前で組んで目を閉じた。
純朴そうな横顔を見つめ、ルイーズはしばらくは席を外そうと歩きだすと、ガタッと立ち上がる音に足を止めた。
振り返ると、その兵士が立ち上がってこちらを見ている。
「どうされました?」
「あの! 僕、聖女様と話がしたくて……」
「私と?」
ルイーズは兵士の言葉に少し考えてから頷いた。
「分かりました。ここでいいですか?」
「は、はい!」
嬉しそうに返事をする兵士に微笑み掛けると、ルイーズは少し距離を置いて同じ長イスに腰を落とした。
兵士もまた座り直すと、真剣な顔を向ける。
「僕、ビリー・マクレイといいます。下級兵士で、今は城の警備が任務です」
「私はルイーズといいます。よろしくね。ビリーさんはおいくつ?」
「ビリーでいいです! 14歳です」
少し照れた顔でそう答えたビリーは、スッと表情を戻し真っ直ぐにルイーズを見つめた。
「僕、聖女様がアトラス殿下のお妃様だと聞いて、どうしても話がしたくて来たんです。アトラス殿下は僕の憧れでした。強くて優しくて、王太子様なのに分け隔てなく誰とでも話してくれて……」
「アトラス様とお話したことがあるの?」
「はい! まだ見習いの時に一度だけ……。あのアトラス殿下が謀反なんて、今でも信じられなくて……」
ビリーの顔を見つめ、ルイーズはアシュリーのことを思い出した。
彼もまたアトラスのことを心から信じていた。
「アトラス様を慕っていたのね」
「はい。いつか部下になって、アトラス殿下をお支えしたかったです。でももうそれもできない……」
「ビリー、あなたの気持ちはとてもよく分かったわ。あなたのようにアトラス様を信じ、どうにかしようとしている人がいるの。できれば引き合わせてあげたいけど……」
「どうにかしようって、どういうことですか?」
同じ人を慕う者同士、きっと仲良くなれると、そんな簡単な理由でつい口にしてしまった言葉だったが、ビリーの真剣な表情に答えるのを躊躇した。
何の事情も知らない若い兵士を巻き込むなんてよくないと、ルイーズは視線を逸らし下を向く。
「聖女様?」
「ごめんなさい、今のは失言だったわ。忘れて下さい」
「話して下さい! 何か僕にできることがあるなら教えて下さい!」
真剣な表情と真っ直ぐに見つめてくる瞳に、ルイーズは少し考えてから顔を上げた。
「ビリー。聞いていい? ビリーは一度しかアトラス様に会ったことがないのに、なぜそこまで真っ直ぐに信じられるの?」
ルイーズが訊ねると、ビリーはキョトンとした表情をしたあと、首を傾げ考える。
「どうしてと言われると、別にこれといった理由はありません。ただ、アトラス殿下がこれまで国のため、民のために尽力して下さっていたことは誰もが知っています。それに悪い噂など一度も聞いたことがありません」
「そうね……」
「話したのは一度だけですが、とても優しい言葉を掛けて下さいました。僕はあの優しい方が父親を殺そうなんて思うはずないと思います」
「それだけ? それだけで信じられるの?」
自分とビリーは似たようなものだ。ビリーより少しだけ事情を知っているがそれだけのことで、アトラスがどんな人間かなど知る由もない。
人を信じるにはそれなりの時間が必要だとルイーズは思っている。たくさん話して人となりを知って、信頼を積み重ねていってこそ、相手を信じるという気持ちが湧いてくるというものだ。
「……聖女様は、アトラス様を信じていらっしゃらないのですか?」
「私はアトラス様をよく知らない……。少ししか話していないのに、何を信じればいいの?」
「そんなに難しいことでしょうか、信じるって。ただ信じたいから信じるじゃだめなんですか?」
(信じたいから、信じる……)
純粋なビリーの気持ちが胸の奥にストンと落ちてきて、目が覚めるような感覚に襲われる。
今まで自分の人生でそんな風に人を信じたことがなかった。父親でさえそこまで純粋に信じたことはないかもしれない。
自分が打算的な人間に思えて、ルイーズはつい苦笑を漏らした。
(そっか、それでいいのか……)
なんだか肩の荷が下りた気がして、小さく息を吐くとパッと顔を上げる。
「分かったわ。私もアトラス様を信じてみる。そしてあなたのことも」
「聖女様……」
ルイーズは覚悟を決めてそう言うと、真っ直ぐにビリーを見つめる。
「……これはまだ確証がある訳じゃないんだけど、アトラス様は誰かの罠に嵌って、謀反の罪を着せられたらしいの」
「それって、アトラス様は無実ということですか!?」
「ええ」
ルイーズが頷くと、ビリーは目を見開いて両手を握り締める。
「誰なんですか!? アトラス様に謀反の罪を着せたやつは!」
「まだよく分からないの。私は城の中を自由に歩けないし……」
「それなら僕が調べます! どうかやらせて下さい!」
ルイーズはまた少しだけ考えてから、もう一度口を開いた。
「あなたに危険なことはさせられない。でも、もしできるなら、私に城の中の様子を教えてほしい」
「それだけでいいんですか?」
「ええ、今はまず城の中の様子が知りたいの。なんでもいいから、気が付いたことを教えて?」
ビリーは使命に燃える目で大きく頷く。ルイーズは手を伸ばすとビリーの手を両手でギュッと包み込む。
「いい? 絶対に無理はしないでね」
「分かりました!」
ビリーは元気よく返事をすると、嬉々として教会を去って行った。
その背中を見送ったルイーズは、踵を返すと早足に自分の部屋に戻った。そうしてアシュリーから預かった書類を机の奥から取り出す。
「よし。私もやれることをやらなくちゃ」
たくさんの人がアトラスを信じている。ルイーズもアトラスの言葉を信じてみようと覚悟を決めた。
ルイーズは気合いを入れてそう呟くと、イスに座り真剣な目で書類に目を通し始めた。




