待ち望んでいたもの 10
それから、二人は当初の目的を思い出し、井戸水を汲み部屋に戻ったのだった。
そして、ルルは濡れたシャツの着替えを済ませたあと、朝食作りに取り掛かった。
彼女が用事をこなしている間、ルーカスは居間の長椅子に身を預け、布巾に水を含ませるとぽっこりとしたたんこぶを冷やす。
そんなルーカスを、ヴィリーが珍しく眺めていた。
いつもはルルのそばに常に寄り添っているはずなのに、そんなヴィリーにじーっと見つめられると何だか落ち着かない。
まさか、昨夜の所業を見透かされているのだろうか……。
そんな事を考えていると、ふと台所からルルの鼻歌が聞こえてきた。
先ほどのルルを思い出し、ルーカスは思わず大きなため息を吐いた。
震えながら、涙を滲ませながら、それでも一歩前へ踏み出したルル。あの時言いかけた言葉は、何だったのだろうと気にはなったが、無理に聞くことはしなかった。
けれど、きっと聞けば嬉しくなるような、そんな言葉に違いないと妙に確信めいたものを感じていた。
ただ、そんなルルに自分は一体何をしてあげられるのだろう。
こうやって、森の家に通い話し相手になってやる事しか出来ないのだろうか……。
もっとルルのために何かしてやりたい。そんな思いがついて出たのだろうか、何気なくかたわらに佇んでいたヴィリーに話し掛けた。
「なぁ、どうやったら早く水脈を探り当てられるんだろうな……」
そう、水脈さへ見つかればそれだけルルの憂いもだいぶ晴れるだろう。村との間に出来た溝もすぐに修復は無理でも、今流れているルルへの心ない噂だけでも早く消してやりたかったのだ。
まさか本当に返事を期待した訳ではない。
けれどルーカスがそんな事を考えていると、しばらくそのままじっとしていたヴィリーだったが、おもむろに大きく尻尾を一回振り回すと、小さな机に置いてあった火傷の薬の小瓶がその弾みで、床に落ちて蓋がころころと本棚の下の隙間に転がり込んでしまった。
するとルーカスに対してグルルッと何やら唸ると、まるで取ってこいとでも言っているように首を振ってみせたのだ。そんな様子にルーカスは仕方ないなと思いながらも、本棚の下の狭い隙間に手を伸ばし探ると小瓶の蓋とは別に何か違う物の感触がして、同時に引っ張りだしてみると一冊の手帳が出てきた。
埃をかぶっている様子に、これはルルも気がついていない代物ではないかと考えていると奥の部屋からご飯が用意が出来たのか、ルーカスとヴィリーを呼ぶ声がしたので、とりあえず後で聞いてみようとルーカスは失くさないように上着のポケットに入れて、台所に向かった。
食事を済ませると、ルーカスは仕事のために帰らなくてはいけなかった。
昨夜は、やむ得ない事情とは言え、無断外泊となってしまっていた。きっと雷雨の事でルグミール村の方もちょっとした騒ぎになっているかもしれない。
けれど雨が止んだとはいえ、心配でやはりもう少しルルのそばにいてやりたいという気持ちもあった。
だから、ルルに案内されて森の入り口まで来たものの、ルーカスはもう一度尋ねた。
「本当に、一人で大丈夫?」
「ヴィリーも帰ってきてくれましたし、私は大丈夫です。それより……きっと村の皆の方が大変だと思いますので、ルーカス様よろしくお願いします」
「ルルちゃん……」
昨夜はあんなに雷に怯えて、きっとルーカスがいなかったらたった一人で耐えているはずだったのに、それでも村を心配するルルに、ルーカスの思いは強まっていく。
「わかった。雨が降って森もいつもと違うかもしれないから、ルルちゃんも充分気をつけるんだよ」
「分かりました」
「じゃあ、また来るね」
「はい……。また、来てくれるのを待っています」
そう言ってルルは、ルーカスを送り出した。
それでも何度も心配そうに振り返っては、手を上げるルーカスにルルもまた応える。
珍しい事ではなくなったその光景にけれど、今日のルルの胸は少し痛んだ。
昨日から、思いがけない出来事の連続にルーカスと一晩一緒に過ごしたことで芽生えた気持ちに、ふとこのままでいいのかと思ってしまった。
なかば村から追われるように始まった森での暮らしは、意外にもルルに平穏を与えてくれた。
そのうち、ルーカスとアランが訪れてくれるようになって、森の中でひっそりと育まれていく交流に、ルルは癒やされていた。正直、村に戻って辛い思いをするくらいなら、もうずっと森で穏やかに暮らしていく方が良いのではないかと思った事もある。
けれど、寂しさは減ったが、その分深くなったようにも思える。
王都へ行ってから、その気持ちが強くなった。
あの時、ルーカスとアラン、そしてライアンと笑い合いながら、一緒に歩けたことが何より楽しかった。
そして今、ルーカスの背中を見送りながら、こんなふうに森の中でこっそりとしか会えないことに、嬉しさよりも、寂しいという思いの方が強まっているのをはっきりと感じていた。
いつも、来てくれるのを待っているばかりで、帰って行く姿を見送るばかりで、本当にそれで良いのだろうか……。
こそこそとせず堂々と会いたい。
そして、色んな場所へ行って、色んな物を見てみたい。
――もしも叶うのなら、一緒に。
ルーカスの隣を歩きたいという思いがルルの中で膨らんでいた。




