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それは、花のように 4



 ルーカスは、緊張していた。


 これから自分が切り出そうとしている事に、ルルがどういった反応を見せるのか想像をするだけで胸が痛んだ。


 今日でなくても良いのではないのかという気持ちが何度もよぎる。

 しかし、アランが席を外している今がチャンスだとも思っていた。これからルーカスが、何をしようとしているのかを知ったら、きっと止めに入るだろう。

 しかし、自分一人で訪ねてきてこの話をしようとは思わなかった。

 もしもの時のために、アランには近くにいて欲しかったからだ。


 あらかた片付けが終わると、ルルがお茶を淹れてくれた。これもルルが畑で育てているハーブを使ったお手製のお茶らしい。

 一口飲むとほのかにすっと爽やかな香りが鼻から抜けて、食後にとてもぴったりのハーブティーだった。


 しかし、今のルーカスの緊張を和らげるにはいたらなかった。

 お茶を飲みながらどう切り出そうか迷っていると、早々に飲み干してしまったらしく、手元のカップの中身がからっぽになったことに気がついたルルが、おかわりを淹れるために席を立とうとしたので、ルーカスは慌てて引き止めた。


「ルルちゃん、は……話があるんだ」


 少し緊張した表情のルーカスに、ルルは不思議に思いながらも椅子に座り直した。

 しばらく、沈黙が続いたがやがてルーカスが自分のポケットから小さな容器を取り出して、ルルの目の前に置いた。


「これ、俺からルルちゃんへ……受け取って欲しいんだ」


 ルーカスの言葉にびっくりしたルル。

 だって、今日はもうすでに薔薇の花束を貰っている。

 普段も何かと差し入れをしてくれているのに、これ以上自分なんかが貰ってばかりでいいのだろうか、戸惑っていた。


 しかし、テーブル置かれた陶器で出来た小さな容器を眺めると、全体に深い緑に金色の細い飾り模様が入っていて、窓から差し込む陽の光に当たり、とても綺麗に輝いていた。

 素敵なその容器に、一体何が入っているのか少し興味が湧いたルルだったが、その後に聞かされたルーカスの言葉で、ワクワクした気持ちは一瞬にして打ち砕かれる事になった。


 ほんの少し期待を秘めて見つめているルルに、ルーカスはひとつ深呼吸をすると意を決したように、容器の中身を説明した。


「実は、これは火傷にすごく良いって言われている塗り薬なんだ」


「……っ!」


 ルーカスから放たれた言葉を一瞬飲み込めなかったが、その意味を徐々に理解していくにつれて身を固くするルル。そのうち小刻みに震えながら、無意識に自分のシャツをギュッと握り締めた。

 そんなルルの様子の変化にルーカスの表情も沈んでいく。しかし、せっかく切り出したのだ、ここで話を止めるつもりはなかった。


「王都で俺の祖母が、店をやっているんだ。そこで売ってる評判の薬で、ルルちゃんは自分でもっと良い薬を作れるかもしれないけど……」


 ルルは即座にふるふると首を横に振った。

 もし、作れたとしても今のルルには絶対に使えないのだから、無用の代物であった。


 あれから、自分の胸に刻まれた焼印の跡を、ルルは一度も見てはいなかった。

 もちろん、手当すらしていない……。

 火傷の事を思うだけで、どうしてもあの嫌な出来事を思い出してしまい、パニックを起こして自分ではどうすることも出来きずにいたのである。


「あれから、時間も経っているし、今更塗っても……。それに自分では、どうしても、見ることも、触ることも出来ないんです! 傷の事を考えるだけで、あの時の事まで思い出してしまいそうで……嫌なんです。何も聞きたくない! 嫌っ!」


 ルルは絞り出すようにそう言うと、ルーカスの言葉を拒絶をするように、震える自分の体をきつく抱きしめて、椅子からずり落ちるとそのまま床にうずくまってしまった。


 両親が亡くなった時は、深い悲しみに襲われたが、二人から愛された記憶と約束を胸に何とか頑張ってこれた。

 しかし、今回の出来事は、今まで親しくしていた村人達からの一方的な狂気に、ある日突然晒されたのだ。その時のショックと命の危機を感じるほどの恐怖は、ちょっとやそっとでは拭えなかった。


 だからこの森に来たのだ。

 儀式に関わった人達の顔を見なければ、思い出さないように心の奥底に閉じ込めておけば、何も考えなければ、何とか自分を保っていられるのだ。


 それなのに何故わざわざその事を持ち出してくるのか……。

 ルルはそれ以上何も聞きたくないし、この焼印についてこれ以上踏み込んで欲しくなかった。


 その思いはルーカスにも充分伝わってきた。

 ルルのそんな痛々しい姿に、ルーカスの胸も潰れそうになった。


 しかし、ルーカスはルルに助けられた時、まだ自分の体が上手く動かず、水や薬を飲ませてもらった際に、シャツの隙間から一瞬だが焼印の跡を見てしまったのだ。


 ちゃんと手当がされていれば少しは……と思わずにはいられなかった。

 けれど、ルルのそこの部分はなにも治療が施されていないようだった。

 そんな肌の状態に、身体の傷というよりも、心の傷の深さを思い知らされたような気がしたルーカスは、それを見て見ぬふりなど出来るはずがなかった。


 辛い思い出の傷口を塞がずに、そのまま抱えて生きる苦しみを、ルーカスもまた身に沁みていたからだ。


 ――自分の様な生き方をして欲しくない。


 過去の出来事から、どこか自分を顧みない行動をしてきたルーカス、しかしそれで良いのだと自分にはそんな生き方をする以外ないのだと思っていたのだが、ルルに出会って初めてそんな風に思うようになっていた。


 ルルに辛い事を思い出させる事になっても、その心の傷を少しでも癒やしてやりたかったのだ。

 そして、この時のルーカスはルルのためと思いながら、心のどこかで自分もいつか救われたいのだと、無意識に願っていたのかもしれない。


「ごめんね。嫌な事を思い出させて……。でも、火傷の傷のためだけじゃないんだ。心の傷もほんの少しずつでいいから、癒やしてあげたい。ルルちゃんには傷ついたままじゃなくて、それを乗り越えて……前を向いて、生きていって欲しいと思ってる」


 それが、自分の思いを強引に押し付けているだけなのかもしれないと、分かっていてもここで引くつもりはなかった。


 一方ルルは、ルーカスの言う事も頭では理解できていた。

 しかし、今でも着替える時は勝手に目がぎゅっと閉じられて、頑なに見ようとはしないし、触れようとしてもあの時の記憶がよみがえって、自分でも止められないほど震えてしまうのだ。


 粘り強く優しく声を掛けてくるルーカスに、やがてルルは今の自分の状態を、ぽつり、ぽつりとだが伝えていった。

 ルーカスはルルの呟きに耳を傾け、慎重に言葉を選びながらルルの思いを聞き出していった。


 しかし、ほんの少し吐露するだけであの時の悲しみと恐怖に飲み込まれそうになって、ルルはすぐに口をつぐむと、さらに自分の身体をきつく抱きしめたが、ガタガタと震えは止まる気配はなくだんだんと大きくなっていった。


 だめだ。ここまでくると自分でも、もうどうしようもなくなる。暗い闇に沈んで自分が自分でなくなって、もう二度と戻れなくなりそうな感覚にルルはただ怯えているだけだった。


 しかし、強張っていた自分の身体を、いつかの温もりがぎゅっと包み込んでくれたような気がしたかと思えば、急に身体がふわりと浮いたのだ。

 驚いて目を開けてみればルーカスにそっと抱き上げられていた。


 思わずルーカスを見上げると、彼もまたルルと同じような瞳をしていた。

 どうしてルーカスがそんな目をしているのか分からないけれど、その事でルルは一瞬暗い闇を忘れる事が出来た。


「一人じゃ無理なら、俺がそばにいるから……」


 ――だから。


 戸惑うルルの耳元でそう囁くと、ルーカスはルルを抱き上げたまま、寝室へと連れて行った。



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