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衣擦れの音と、お互いの呼吸が聞こえる。狭い狭いソファの上でお互いの体を密着させ、動きが取りづらいというのにフェドルセンは器用にドレスの背にあるリボンを緩めていく。
彼からは太陽の香りがする。朗らかで暖かい。
頤、喉、鎖骨に口づけを受ける。
フェドルセンの体はどこも硬くて、やはり女とは違った。彼の背を撫でると、エミリアの頬を撫でてくれた。そこに、エミリアも口づけを落とす。
身じろぎすれば、ことんと靴が床に落ちた。
その音が合図になったのか、フェドルセンの手がエミリアの足首を掴み、そのまま上へ撫でる。
「ふ……っ」
口づけの合間に呼吸が漏れる。
唇を離して、エミリアはフェドルセンの頬を両手で挟んで彼の額に自分の額を合わせる。
こんなに近くにいるのが、信じられなかった。
エミリアが目を伏せていると、フェドルセンが息を吐いた。
「エミリア」
「はい」
なぜなのか自分にはわからないが、名前を呼ばれると涙がこぼれた。
「エミリア」
もう一度名前を呼ばれる。頬を撫でられ、エミリアは伏せていた重たい目を上へ押し上げる。
鼻先がふれあいそうなほどの距離で、フェドルセンと目が合う。
フェドルセンは親指でエミリアのこぼれた涙を拭った。
「兄さんが大事なんだ。……たった一人の兄なんだ」
「わかってます」
エミリアだって家族は大事だ。フェドルセンはあの不出来な兄がどうしても嫌いになれない。むしろ自分が身を引くほどに大事なのだ。
だからこそ彼に、エミリアは選択を迫る。
「どちらでもいいのです。あなたが出て行くと決めるなら、わたくしはついていきます。あなたが残ってくれるのなら、わたくしはあなたとこの国を治めます」
出て行くのなら、エミリアはもう王族ではいられない。王族の義務を放棄するのだから家族に会えなくなるだろう。手紙のやり取りもきっと許されない。
都合よく家族のいる祖国にも、姉が嫁いだ国にもいけない。
だからどこか遠い国で、普通の庶民として暮らして行く。それだけのことだ。
エミリアにはその暮らしが全然想像できないし、どれほどの困難が待っているかもわからないけれどもなんてことはない。
「……兄さんには、きっと一生許してもらえないだろうな」
フェドルセンは息を吐く。
「兄から王座をもらうなんて、俺はきっと悪い王様になってしまうな」
そんなことを言いながら笑顔を浮かべる。笑ってはいるが決意に満ちた目だ。
「大丈夫。それならわたくしは悪い王妃様になりますわ、一緒に」
エミリアはほっと安堵した。国を出ることになってももちろんついていく気ではいたが、やはりここに残って欲しかった。それに、やはりルドベードとフェドルセンではどちらが王に向いているかなどわかりきっている。
ただ、フェドルセンにとっては苦しい判断だったのだと思う。大事な兄を蹴落とさなくてはならない。
フェドルセンは体を起こしてソファに座り、衣服の乱れを直す。エミリアは彼に腕を引っ張られて体を起こしてもらい、きちんと座って衣服を直し──首をかしげる。
「最後までしませんの?」
「さ……っ!」
勢いよくこちらに振り向いたフェドルセンは怒ったように眉を寄せていた。
「……婚前交渉がよくないと思っただけだ」
「意外と真面目なことをおっしゃるのですね」
「真面目とかじゃない」
むすっと顔をしかめていうフェドルセンはきっと全力でエミリアの為に自分の欲を抑えてくれたのかもしれない。そう思うと嬉しくて、隣に座る彼の腕に自分の腕を絡ませた。
「ひとまず兄には最初に伝えておこうと思う。兄の婚約者と兄が近い将来手にするはずだった王座をもらうんだからな」
「そうですわね」
ルドベードのことだから弟の急な切り替えに喚くだろうが、彼が納得するかしないかは気にしても仕方ない。そもそもルドベードは自分より優秀な弟をあまり好きではないのだから。
「それにしても……」
と、先程の真剣な顔つきではなく、意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見下ろすフェドルセンは指でエミリアの胸を指した。
「お前の姉が美人ってのは本当だったな。お前と比べて顔立ちも胸も、いい感じだ」
「……あら。何か耳障りな音が聞こえましたわね」
するりと絡めていた腕を解いて、エミリアは指を伸ばしてフェドルセンの耳を掴み、思い切り引っ張る。
「いたたっ」
体重をかけて耳を引っ張られ、慌ててフェドルセンは降参とばかりに両腕を持ち上げて反省のポーズをとる。それでもまだ怒りが収まらなくて耳から手を離さない。アレキサンダーがいたら一噛みさせてやるところだ。
「わたくしの胸が何ですって?」
「いや何でもいたたた」
姉に比べたら確かに少し物足りないかもしれないが、それでもエミリアはまあまあある方だ。決して平らではない。
「そんなにお姉様がいいのなら間男になってみる覚悟はありまして?」
「いやちょっと言ってみただけでだから痛いって」
痛がるフェドルセンの様子に満足してエミリアは手を離す。喧嘩のようだがただのじゃれあいのこのやり取りを、お互いに心地よいと思っているのだから、きっと今後も似たような会話を繰り返すのだろう。
そう思ってくすりと笑うと、フェドルセンも同じように笑った。




