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宝石箱なんていらない  作者: 天嶺 優香
六、芋虫の言葉
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2

「ねえ、芋虫さん」

「は!?」

 エミリアが思わず呼ぶと、アンネはぎょっと目をむいた。

「わたくし、これでもまだ決心がつかなくて迷ってましたの。お姉様の前で気持ちを言ってしまったのだから取り消すこともできないし、でも向かっていけるほど勇気もないし、プライドも捨てられないし……」

 いきなり独白をし始めたエミリアをアンネは不可解そうな顔で見つめている。先ほど「芋虫」と呼ばれたのも意識から消し飛んでいるようだ。なんて愚かで、なんて可愛らしいことか。

「うふふ」

「いきなりなにを笑ってるのよ。怖いわ」

 アンネは若干げっぞりと疲れた表情でいる。不可解極まりないエミリアが手に負えないのかもしれない。

 けれどエミリアはそんなアンネなどお構いなしで言葉を続けた。

「わたくしらしくもがいてみようかと思い立ちましたの。勇気をもらいましたわ。どうもありがとう、芋虫さん」

「だ、だからその芋虫って」

「それでは用事が急遽できましたのでもう行きますわね」

 にっこり笑顔で立ち上がって、アンネが戸惑っているのをそのまま放置して歩き出す。

 向かうのは、尊敬する姉の部屋でも、侍従の待つ自室でもなく──フェドルセンの元。

 歩いている兵士を捕まえてフェドルセンの居場所を聞き出し、どうやら彼は自分の部屋にこもっているというので、エミリアは遠慮なくそこへ突撃した。

 扉の前で立っているフェドルセンの兵士が突然現れたエミリアに戸惑っていたが、「どいてくださる?」「あ、いえ、まずは王子にお伺いを立てませんと」「必要ないのでどいてくださる?」「あの、でも……」と攻防をしていると、やがて扉が開く。

「何を騒いでいるんだ」

 顔を出したのは部屋の主であるフェドルセンだ。

「エミリア?」

 彼はエミリアがなぜここにいるのか不思議のようで、首を傾げている。けれど、そこが自分の部屋の前だとすぐに気付き、中に招き入れた。

 フェドルセンの自室、というより、彼が政務や軍務を行う為に使っている仕事部屋のようだ。

 いくつも並んだ本棚の中にはぎっしりと本が詰め込まれており、テーブルには広げられたこの地域周辺の地図。

「どうした」

 なにかあったのか、と言外に言ってくるフェドルセンに、エミリアはにっこりと微笑んだ。その無言の圧力にフェドルセンは押され、逃げるように広いソファに腰掛ける。

「とにかくお前も座るといい」

 テーブルを挟んだ向かい側にあるソファを勧められたが、エミリアはそれを無視してフェドルセンの側まで歩み寄り、彼の隣──ではなく、彼の膝の上に腰を下ろした。

「は……?」

 ぽかんと、自分の固い膝の上に行儀良く尻を乗せて座るエミリアをフェドルセンは見つめる。そんな彼の首にエミリアは腕を回し、くすっと笑みをこぼした。

「あなたに責任を取っていただきたくて」

「責任……?」

「あら、忘れてしまいましたの?」

 どうやら硬直して動けないフェドルセンに、ぐっと顔を近づける。

「わたくしのこの唇にも、この足にも」

 行儀良く揃えていた足を持ち上げ、体勢を崩す。その方が、よっぽどフェドルセンに近づけた。二人の距離はもうわずかしかない。ほとんど密着している状態でエミリアが囁く。

「あなたは何度も触れましたわ。だから、責任を取ってください」

 いつまでも逃げている弱いエミリアのままではエミリアらしくない。時に不敵に時に大胆に、小賢しく生きるのがエミリアだ。

 密かにばくばくと跳ねている自分の鼓動を無理やり押さえつけ、余裕のふりをして微笑む。

 ごくり、とフェドルセンの喉が鳴った。

 男を翻弄することの、なんと楽しいことか。経験がほとんどないエミリアにだって余計な知識と無駄なプライドさえあればこれくらいできる。ただ、いつか化けの皮が剥がされてしまうが、それは今ではない。──と、思っていたのにいきなり腰にフェドルセンの腕が周り、わずかな距離をさらに詰められる。

 まるで獣のような目がエミリアに迫り、気づけばソファの上に押し倒されていた。寝転んだエミリアの顔の横に肘をつき、フェドルセンが笑う。

「俺は弟じゃなかったのか」

「弟だと思わせてくれなかったのはどこのどなたですの」

 そうだ。フェドルセンがもっとしおらしくエミリアを姉として扱ってくれればこのような状況にはならなかった。とは言っても、しおらしいフェドルセンなど見たくはないけれど。

「責任と言ったな? それは全て分かってて言ってるのか?」

「もちろん」

 獰猛な獣の前に晒された小動物の気分になる。目の前の獣は、確実に飢えていて、よだれを垂らして唸っている。

 先ほどの余裕はどこに行ってしまったのか。エミリアはもう余裕ぶって笑顔を浮かべていられなかった。ただただ目の前のフェドルセンを強く見つめる。

 フェドルセンの指がエミリアの頬を撫で、顎を持ち上げ、唇をなぞる。

 そのままゆっくりと落とされる口付けを受けて、耐えきれなくなったのはエミリアが先だった。フェドルセンの首に腕を回して引き寄せ、せがむように彼の唇をわざと舐めた。

 それに気づかないほど間抜けな男ではない。ぬるり、と口内に彼の舌が侵入する。

 歯列をなぞり、舌を絡める。

 狭いソファの上で、硬い筋肉質な男の体が密着している。

 その狭い密着の中、フェドルセンはエミリアの腰を抱き寄せる。

 狭くて重くて息苦しくて、エミリアは瞳に涙をためて、息づきの合間に言葉を紡ぐ。


「わたくし、嫁ぐならあなたの元へ嫁ぎたい」



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