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真っ暗な闇に、エミリアは膝を抱えて座り込んでいる。
ここには誰もいない、なにもない、ただのエミリアの心の中。
お姉様は完璧だ。エミリアの野暮ったい黒髪なんて霞むほどの眩く輝く金髪。すらりとした手足とふくよかな胸と尻。
お姉様が微笑めば男達はその足元に跪き、靴に口づけだってするだろう。
優しくて、皆を魅了して、少し元気が良すぎるけれど器量良しの、エミリアの自慢の姉。
そんな輝く姉とは違って、みすぼらしい自分。
珍しくもない黒髪と特に秀でてもいない体。口を開けば毒しか吐けない可愛げのない性格で、それをエミリア自身、気に入ってはいないけれど治す気もない怠け者。
「お姉様には適わない」
自嘲するように呟いた声は小さく、儚く。けれど、隣でぽっと光が瞬く。
「そんな事ないわよ、エミリー」
光の方へ視線を向ければ、大好きだけれど眩しすぎる姉の姿。
「私はエミリーほど可愛い王女を見た事ないわ」
「嘘」
「嘘じゃないわ。お姉様の言葉を信じられないの?」
相変わらず姉は眩しすぎる。けれど、温かい彼女の笑顔にエミリアの心がゆっくりと解けていく。
力が入って縮こまっていた体がゆっくりとほどけていく。
ぱち、と目を開けると見慣れた天井。エミリアの部屋だ。
「……夢?」
体を起こして顔にかかる髪を指でするするとといていると、扉がノックされた。
「エミリア様、デュポーでございます。お目覚めでしょうか?」
「ええ。どうぞ入って」
部屋に入ってきたデュポーはにこやかな笑顔を浮かべている。彼女にしては珍しいくらいの笑顔だ。
「なにか良いことでもありましたの?」
「ええ。私ではなくエミリア様に」
「わたくしに?」
首を傾げると、デュポーは扉の向こうに声をかける。
「さあ早く入って支度を始めなさい」
エミリアの許可も得ずさっさと侍女達を部屋に招き入れ、なにやら支度を開始するようだ。
もちろんエミリアの支度だろうが、特に予定など何も聞いていない。
「一体何事ですの?」
ベッドから抜けて立ち上がり、侍女達に服を脱がされながら問うと、デュポーが輝かんばかりの笑顔で告げた。
「ルクートの王太子妃様がエミリア様をお待ちです」
「…………へ?」
何を彼女が言っているのか理解ができなくて、エミリアは間抜けな顔で首を傾げる。
「誰って言いました?」
「ルクートの王太子妃様です」
「もう一度」
信じられずにもう一度問うと、それでもドュポーは嫌な顔一つせずはっきり答えてくれた。
「ですから、エミリア様のお姉様でございます」
その言葉を聞いて、ようやくエミリアは理解して、頭から体をじわじわと血が巡っていく。一年前に会った姉の顔が浮かび、エミリアは思わず手で口を押さえた。そうでなくては、だらしなく緩みきった顔を侍女達に見られてしまう。
その間にも仕事のできる彼女達はエミリアの身支度を整え、部屋の外へと連れ出してくれた。扉の前にはヘイムスが立っていたが、エミリアは気にもとめずに侍女に案内されるまま姉の待つ部屋へ向かった。
エミリアの姉・アランシアは王子二人と側近達と面会した後、部屋に案内され、そこで休んでいるらしい。
ようやく姉の部屋の前にやってくると、扉の前で待ち構えている騎士──格好から見てこの国の騎士でも祖国のとも違うのでおそらくは姉の嫁ぎ先であるルクートの騎士──に、取次を頼んだ。
すぐに扉が開かれ、中から顔を出した見覚えのある女の顔に思わずエミリアは笑顔になる。
「エミリア様!」
幼い頃から姉のそばにずっといたおさげとそばかすが目印のアランシア付きの侍女・ポーラだ。
ポーラは扉の前の騎士にぺこりと頭を下げると、エミリアと、その後ろについてきていたヘイムスを中に招き入れる。
部屋の中に入った途端、眩しい光が差して、思わず目を細める。しかし、太陽が雲から出てきた一瞬だったのか、すぐに柔らかな日差しになって、ほっと息を吐きながら窓に目を向け、そこに椅子を置いて座る姉を見つけた。
カーテンはきちんと使っているが窓を開けているせいでパタリパタリと姉の後ろでカーテンが重くひらめいている。
ゆったりと椅子に腰掛けた姉は前に会った時と全く変わりがない。白い肌に淡い金髪を流し、エミリアを見て微笑んでいる。
「──……お姉様」
以前と変わっていない、そのはずなのに。雰囲気が前より柔らかくなっている。姉はいつも元気が良くて快活な王女だった。それなのに、しとやかに淑女然としている。
「エミリア、久しぶりね」
「お姉様……」
「もっと近くに来て顔を見せて」
なぜだろう。エミリアは、姉を前にしているはずなのに母と対面しているかのような心地になっている。
エミリアはアランシアに誘われるまま歩み寄り、彼女の前で両膝を床につけて跪く。
まるで小さな子供が母親に甘えるように、エミリアは椅子に腰掛けるアランシアの膝の上に頭を乗せ、ほっそりとした手を握る。
アランシアはくすりと笑うと空いた片手で、優しくエミリアの頭を撫でてくれた。
その瞬間。とうとう耐えられなくて、エミリアの瞳から大粒の涙が溢れた。
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