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毒、とアンネは口だけ動かした。
フェドルセンと会わないここ何日かでエミリアは考えていた。最初は、暗殺でも企んでいるアンネを止めるためにフェドルセンは動いていたのだと。
けれどよく考えてみれば、アンネの周りには味方はいない。貴族の生まれでもない彼女は、その高慢な態度から多くの人によく思われていないのだ。
唯一味方だと思っていたルドベードも国同士の戦いを恐れるあまり、アンネを遠ざけてはいないが以前のようにわがままを聞いているようではないらしい。
暗殺者を頼むつても金もない彼女は、きっと小さな事をまた企む。動物の死体をエミリアの部屋へ送るとか、食べ物をすり替えるとか、嫌がらせに近いものだろう。
──なら、フェドルセンはなにを恐れていたのか。
彼は、アンネにはエミリアを殺せないとわかっていた。
恐れていたのは逆で、小さな事でもまた懲りずに繰り返すアンネに我慢できず、今度こそエミリアが祖国へ報告をしてしまう事。姉であるルクートの王妃がこちらへ向かっているという最悪のタイミングで、それだけは避けたかったはずだ。
「……結局、嫌だったのは」
エミリアが殺される事じゃない。彼が恐れていたのは、自分の国に振りかぶるであろう混乱だ。
ふと言葉に出てしまったエミリアを、アンネが用心深く注視する。
そうだ。今はフェドルセンの事を考えている時ではない。
エミリアはなんでもなかったかのように微笑む。
「……毒を使って、というとなんだか生易しく聞こえてしまいますわね。普通、毒が入っているものに銀のスプーンを当てると色が変わります事は知っていまして?」
「ええまあ……なんとなく聞いた事くらいは……」
と、曖昧に答えたアンネだが、口ぶりからしてきっと知らなかったのかもしれない。
「毒には即効性のものと遅効性のものがあるのもご存知?」
「ええ」
と、答えながらなぜ今そんな事をとアンネは首を傾げながらも手に持っていたカップに砂糖を入れ、銀のスプーンでくるくると回す。
もしかしたら毒でも入っているのでは、と疑ったのかもしれないが、もちろん銀のスプーンは色を変えない。
それを確認してからアンネはカップに口をつけた。
「王族の口にするものは最初に毒見役というものがいるのですけど、まあ食事を食べて毒が現れるような間抜けな事をする方は残念ながらわたくしの国では少ないのです」
「……はあ」
と、顔をしかめながら相槌を返すアンネは話が理解出来ているのか、いないのか。
「だからね、例えばの話ですよ。今わたくしがあなたに毒を盛ろうと思ったのならまずそのカップの中の飲み物に毒を、」
と言った瞬間にアンネがばん! とテーブルを叩いた。エミリアの食器までカタカタと大きく震える。
「さっきからなんなの? 毒なんて入ってないくせにぐちぐちうるさく言って!」
「入ってないなんて、なぜわかりますの?」
「そ、それはあなたがさっき言ったじゃない! 銀のスプーンが変色しなかったら毒なんて……」
思わずエミリアは声を漏らして笑った。
「とても素直な方ですのね。そういう方は嫌いではありませんけど……この場所を指定したのも、お茶を用意させたのもわたくしですわね?」
「ええ」
「食器もですわ」
そこまで言えば、さすがにアンネでも少しは察しがついたのだろう。慌てて立ち上がり、自分が持っていたカップをテーブルに置く。
「お茶に混ぜるなんてわかりやすい事、誰がすると思いますの? わたくしがもしするなら、そのカップの口をつけるふちに塗りますわ」
さあっとアンネの顔色が悪くなっていく。
「お姉様は一体何十人の女を排除したと思っていますの? あなたは相手がわたくしであった事に感謝すべきですわね」
姉が実際にどんな手を使って愛人を追い払ったのかは知らないが、死者は確か出ていないはずだし、そもそも姉はそんな事をできるような性格ではない。おそらく彼女は自慢の足や手を使って男のような喧嘩を吹っ掛けたのだろう。
けれど、その真実をアンネは知らなくていい。王族がいかに平気で何事もないように毒を使い殺すのかというのをわからせてやれば。
「……もちろん、今回は毒なんて入っていませんわ。けれど、遅効性の毒をあなたのカップに塗る事くらいわたくしには造作のない事というのを覚えておきなさい」
どんよりとした曇よりも暗く血の気ないアンネにエミリアは先ほどまで浮かべていた笑みを消して告げる。
「次にあなたがなにかすると言うなら、いくら寛容なわたくしであっても我慢の限界というものがありますの。それを肝に銘じなさい」
唇を震わせてなにか反論をしようとしているが、できないアンネを冷たく一瞥し、エミリアは立ち上がる。
「さあお話は終わりましたわ。部屋に帰りましょう」
控えたいた侍女達に声をかけ、エミリアはバルコニーを後にした。




