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エミリアには、今からアンネでどうやって遊ぶか考えるだけでも楽しい。
あの醜い顔が更に醜悪になっていく様は、酷く愉快だ。
「あなたを敵に回したくないですよ、本当」
ヘイムスは大きなため息をついてそんな事を言う。
「あら。わたくし程、情に溢れた懐深い女はいませんわよ?」
「どこがですか!」
即答されてエミリアはにっこりと微笑む。足元で寝そべっていたアレクサンダーの背を撫で、その手ですっとヘイムスを指差した。
「アレクサンダー」
エミリアが名前を呼ぶだけでなにを命じられたのか理解した賢い犬は、さっと立ち上がり、ヘイムスの尻を噛むために歩き出す。
「ぅわっ! ほら、そういう所! そういう所を言っているんです!」
ヘイムスは顔を真っ青にさせて椅子の上に立ち上がってアレクサンダーから自分の足を守る。他の人に見られたら一大事になるが、幸いなことにここにはエミリアとヘイムスしかいない。
「本当にその性格の悪さ直した方がいいですよ! フェドルセン様に愛想尽かされても知りませんからね⁉︎」
いきなりのヘイムスの言葉にエミリアはぴたりと体の動きを止め、彼の言葉を頭の中でゆっくり嚙み砕いてから首を傾げた。
「なぜあの人に愛想尽かされる心配をしなくてはいけませんの?」
エミリアの婚約者はフェドルセンではない。彼は未来の夫の弟だ。たとえ仲が良くなくてもなんとかはなる。
「え、だって……仲良し、ですよね。お二人は」
「仲良し? ヘイムス、何を馬鹿な事を言っていますの?」
エミリアはヘイムスの言葉に呆れてどっしりと背を椅子に預ける。癒しを求めてアレクサンダーを呼べば、すぐに足元に来て寝そべってくれる。
「わたくしはなにも友達を作りに来ているわけではありませんのよ? 世継ぎを産むために来たの」
「そ、それはわかってますけど……」
ヘイムスはアレクサンダーという脅威が去って行ったことに安堵の息を吐きながら椅子から降りて床に立つ。
「でも、王子ですよ? 機嫌を損ねないに越したことはありません」
「そう?」
「もちろん」
エミリアはふむ、と一度口を閉じて考えてみる。確かに、進んで仲を悪くさせる必要はない。けれど、だからといって、エミリアがなにかを我慢したりするのもなんだか嫌で。
それに、フェドルセンも小さな事を気にするような性格には思えない。
「そんなに度量が狭い人ではないと思いますわよ」
「王族は皆プライドが高いんです」
「いいえ、エミリア様を中心に皆様プライド高いですよ。もちろんアランシア様も」
引かない態度のヘイムスにエミリアは大きなため息を吐く。
アレクサンダーで黙らせる気も起きず、エミリアは片手をひらひらと振ってみせる。
「では本当はどうなのか、試しますわよ。どうせあの人、今日あたり来るでしょうし」
「た、試すってなにをするつもりですか……?」
「アレクサンダーにお尻を噛んでもらいますわ」
と、アレクサンダーの名前を出した途端、寝そべっていたアレクサンダー本人がぱっと顔を持ち上げる。
「……アレクサンダーは嫌がってますけど」
「そんなことありませんわ。ね、アレクサンダー?」
にっこり微笑みながらアレクサンダーに尋ねる。しかし、アレクサンダーは頭を床につけて寝そべり、前足で顔を覆ってしまう。
わかりやすい態度にエミリアは更に笑みを深くする。
「アレクサンダー?」
なにを命令されているのかは賢い犬ならばよくわかるだろう。けれども、くうんと鼻を鳴らして勘弁してくれとアレクサンダーは言う。
「もう、アレクサンダー!」
忠犬のあまりな態度にエミリアは声を荒げる。
しかし、一向にアレクサンダーは顔を上げる気配がない。
エミリアは大きなため息をついてどっしりと椅子に腰掛ける。
どうしてあの男をアレクサンダーがこんなにも気に入っているのか。今までにない事だ。どの人間でも、アレクサンダーはエミリアが気に入らなければ警戒をとかないし、決して主の命令にも逆らわない。
──それだというのに。
エミリアはアレクサンダーに一瞬視線を向けた後、ふんと鼻を鳴らす。そして、悪戯をする子供のように足で軽くアレクサンダーの尻を小突くと、すぐに諌めるように尻尾でエミリアは足を叩かれた。
普段は主に従う忠犬なのに、こういう所は昔から変わらない。一緒に育ったアレクサンダーはエミリアにとっては兄のような存在だ。エミリアを守り、時に叱る。
「……まあいいですわ。どうせそのうち来るでしょうから、その時にします」
本人さえ来ればアレクサンダーもエミリアの言葉に従うしかないだろう。たぶん、きっと、と断言しきれないのが悲しいが。
──そうしてフェドルセンを待ったのに、彼はそれから暫く経っても顔を見せなかった。




