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「もうすぐルクートからの使者もくる時期だ。よく考えろ、自分の行いと、国の事を」
強い口調で言われ、アンネは顔を真っ赤に染める。
「なぜ、私が!」
「自分でやった事だろう」
「間違えて馬に撃ってしまったのは認めるわ。だけど、その兎をやったのは私じゃないし、どこにそんな証拠があるというの!」
側近達がアンネの言葉に顔をしかめる。アンネの見苦しさに絶えられないのだろう。
元々、彼女は王族ではない。素性は知らないが、良くて貴族か、もしくは庶民か。ここにいる側近達よりは本来の身分は下であるはずだし、侍女ともそう変わらない身分だろう。
それが、王に取り入って好き勝手しているかと思えば、今度は国まで巻き込んでいる。
「……アンネ、明日正式な場を設ける。だからエミリアに謝罪しなさい」
ルドベードも言いにくそうにではあるが、アンネにきちんと命じた。さすがにルドベードの言葉には逆らえないのか、口を歪めてそれ以上言葉を発しなかった。
「エミリア、明日の事は知らせを出す。今日は下がりなさい」
「はい、ルドベード様」
エミリアは静かに踵を返す。背後の東屋からアンネの泣き声が聞こえて、遠ざかるその声にエミリアはほくそ笑む。
ゆっくりとした足取りで廊下を歩き、人通りがいないのを良い事に足を止める。
後ろをついてきていたヘイムスと、なぜかフェドルセンもいたが、エミリアは絶えきれず肩を震わせる。しかし、それでもおさまりきらず、口から不穏な声が漏れる。
「ふ……ふふ、ふふふふ、ふはっ、あははははははっ!」
いきなり大笑いをするエミリアに、ヘイムスが呆れた顔をした。
「ねえ、見ました?あの女の無様な事!久しぶりに胸がすっとしましたわ」
「本当に良い性格をしてますね、エミリア様」
「じゃあやっぱり泣いていたのも演技だったのか」
フェドルセンまで呆れた顔をしてそう言ってくるので、エミリアは笑いながら答えた。
「当たり前でしょう!わたくしがあの程度で本当に泣くとでも思っていまして?」
ふふふっ、と笑いを零すエミリアに変わってヘイムスがフェドルセンに説明を加える。
「エミリア様の特技は早泣きなんですよ。悲しくもないのに素早く泣く事ができるんです」
今までエミリアのこの嘘の涙で騙した事はたくさんある。もちろん、姉のアランシアも父も妹、エミリアの涙には弱かった。唯一、弟のイーリだけは騙せなかったけれど。
「……ヘイムス、この壊れたお姫様のために部屋に戻ってお茶を用意してくれないか」
疲れたような顔でフェドルセンがそう言うと、ヘイムスは主の命でもないのに素早く返事をして立ち去ってしまった。
取り残されたエミリアは頬をふくらませてフェドルセンを睨む。
「あれはわたくしの侍従ですわ。勝手に命令しないでくださいな」
それに壊れたってなんだ。エミリアは復讐の気分に酔いしれていただけで、壊れてなどいない。
しかし、フェドルセンはなぜか怒ったような顔をしていて、カツ、と距離を数歩縮められて、思わずエミリアは後ろへ下がる。けれど、エミリアが下がれば同じだけ──歩幅が大きいだけそれ以上に、距離を詰められる。
「な、なんですの」
下がっていけば、踵に壁が当たった。エミリアはもう下がる事ができない。
すぐ側にはフェドルセンが迫っている。至近距離から見下ろされ、居心地が悪い。
「なぜいきなりアンネを叩いた?」
「なぜって……」
「一言相談してくれればよかったんだ。あの悪質な嫌がらせも。全く知らなかった」
フェドルセンが知らないのも当然だ。だってエミリアはフェドルセンになにも言っていない。言うつもりもなかった。
「なぜあなたに言う必要がありますの?それくらい自分で解決できますわ。それとも、国の事? 心配しなくても今のところ、祖国に言いつける気はありませんわ」
「そうじゃない」
では一体なんだというのか。増々エミリアには訳がわからない。
エミリアがフェドルセンに一言の相談もしなかった事に怒っているのか。エミリアが大変な時に自分がそれを知らなかった事に苛立っているのか。
どちらにしても、フェドルセンはエミリアの何者でもない。もし相談するなら相手はルドベードであるべきだ。
それにフェドルセンは──
「なにをそんなに苛立ってますの?わたくしの事をそんなに気にしたって……あなたはどうせ出て行くのに」
一瞬、黒い感情が渦を巻いた。思わず口にした言葉に、自分でも驚く。
なぜ、こんなに拗ねた子供のような言い方をしてしまったのだろう。
「だ、第一、あなたに関係ありませんわ!」
居たたまれなさと恥ずかしさで、エミリアはフェドルセンを押しのけて距離を取り、そのまま立ち去る。
フェドルセンの方もエミリアに言われた言葉になにか引っかかったのか、動けずにいるようだ。
今のうちにと、エミリアは自分の部屋に戻った。
部屋ではヘイムスが暢気な顔でお茶を用意していて、エミリアに気付くとこれまた暢気な顔で首を傾げる。
そんな様子に苛立って、エミリアはソファに置いてあったクッションを掴み、思い切りヘイムスの顔に投げつけた。
「痛いっ!」




