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怪我をしてから数日。エミリアは暇で暇で退屈だった。寝台に寝転がっているだけ。上半身が起こしてもいいが、足は安静なまま。
その窮屈な生活で、よくこれまでもったものだと自分でも思う。
「私、考えましたの」
部屋に入ってきたフェドルセンに向かって、エミリアは口を開く。
しばらく安静、と医師から言い渡されたエミリアの元に彼は見舞いに来ただけなのだろうが、話し相手になってもらわなくては困る。
なにせこちらは暇なのだから。
「……なにをだ」
様子を見てすぐ帰ろうとしていたようだが、エミリアが話しだすと観念してフェドルセンは椅子に腰掛ける。
「報復方法ですわ、もちろん」
「へえ、どんな?」
フェドルセンは頬杖をついて聞く姿勢をとる。
ヘイムスはいそいそとフェドルセンの為に給仕をはじめ、アレクサンダーは尻尾を振ってフェドルセンの足下に寝そべる。エミリアの味方はなぜかフェドルセンに思い切り懐いてしまっている。
それがやはり気に食わないけれど、自分の婚約者であるルドベードや、ましてやその妃気取りでいるアンネと比べたらだいぶましだ。
「私の馬に非道を働いたのだから、馬の恨みを受けてもらいますわ」
「ほう」
「まず、馬の糞を集めます。ほら、馬の油って美容にいいでしょう?馬の糞をわからないように混ぜてプレゼントしますわ。顔や髪にそれを塗りたくっているあの女を見たら……ふふ。愉快でしょう?」
無邪気に笑うと、ひくりとフェドルセンの顔がひきつった。もちろん、側で聞いていたヘイムスの顔も。
「……やだ、冗談ですわ。そんな頭のいかれた事をわたくしがするとでも思って?」
ちょっとした冗談のつもりで言ったのに、まさか本気にされるとは。ヘイムスなんて、この人はやりかねないって顔に書いてある。失礼な侍従だ。
「あの女にはきちんと謝罪してもらいますわ」
「それにあの女が大人しく従えば良いが……」
確かにフェドルセンの言う通りだ。
確かな地位もないのに“未来の王の恋人”というだけでなんとも滑稽なほどに調子に乗っている。エミリアがたとえ普通にプレゼントを送ったり呼び出したりしても何の効果もない。
それどころか相手にされない可能性だってある。
「……そうですわね。なにか大勢の目があるところでなら、さすがにあの女も大人しいのでは?」
たとえばこの国の重臣たち。彼らは長いこのシュゼランを支え、守ってきた偉大なる思考をお持ちだ。王族であるエミリアとは少し考え方が違っていたり変に窮屈な事を言われたりするので、基本的には好きではないが……きっと、この国の重臣たちとエミリアが持つあのアンネという女に対する想いはひとつのはずだ。
ラガルタを敵に回して良い事なんてひとつもないのだから。
「そうだな。……そうか、ひとつお前に良い知らせがあった」
「姉に対してお前というのはやめて頂戴と何度も……え?良い知らせ?なんですの?」
フェドルセンの言葉にエミリアは口を閉じる。
彼はごそごそと上着のポケットから一通の手紙を取り出し、にやりと人の悪そうな笑みを浮かべる。
「実は、今日来たのはこれを伝えにきたんだが……」
「一体なんですの?もったいぶって。早くおっしゃって」
エミリアがわざとらしく顔をしかめるとフェドルセンは目を細め、口を開く。
「お前──おっと、失礼。俺の小さく誇り高い未来の姉さんが崇拝してやまないルクートの王太子妃様が我がシュゼランにお越しになるんだ」
「……え?」
フェドルセンの言葉の意味が、うまく飲み込めなかった。
俺の小さく、とはなんだ。エミリアは決して小さくはない。もちろん大柄なフェドルセンに比べれば小さいし、姉妹の中でも平均女性と比べてもエミリアは確かに慎重は低いが──否、そんな事よりも。
「ルクートの王太子妃?」
「そうだ」
ルクートの王太子妃と言えば、エミリアの実の姉であり、ルクートへ嫁ぐ時以来会っていない、エミリアの、エミリアだけのたった一人の敬愛する姉、アランシアの事だろうか。
「お姉様が……シュゼランに?本当ですの?」
「もちろん。数日前に先方に手紙を出してさ。快諾してもらった」
エミリアの体が、血が、ぶわっとなにか温かいもので満たされる。暇を持て余して偏屈になっていたこの日々は、姉に会う為のほんの少しの小さな試練だったのだ。
このシュゼランで婚約者に顧みられず、その女にコケにされ、何度も怒りを覚えたが、それもなにもかも──。
「お姉様にお会いできるからだったのですわっ!」
興奮気味に言うエミリアにフェドルセンは少し驚いている。まさかここまで姉に傾倒しているとは思っていなかったのだろう。
けれど、エミリアの傾倒ぶりなんて可愛いくらいだ。
わざとらしくエミリアは咳払いをする。
「んん、ヘイムス。浮かれるのはいいけれど仕事はきちんとしなさい。当日お姉様に会わせませんわよ」
フェドルセンに差し出そうと作っていたお茶を、ヘイムスはポットを傾けたまま呆けている。ごぽごぽと熱いお茶がヘイムスの衣服に勢いよく零れ、白いシャツがどんどん染みを作って行く。
「あ!す、すみませんっ!でもあのっ、仕事はきちんとするので!どうかどうかアランシア様に会わせないなんてそんな惨い事を言わないでください!」
お茶を吸ってびしょびしょになったままエミリアの方に駆けてくるので、さすがに慌てて言葉を返す。
「わかったわ!わかったからそれ以上こちらに近づいて周りを汚さないで頂戴っ!」




