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家を出たふたりが歩く道は、ずっと坂が続いていた。
申し訳程度の草が霜に焼けながらも生えているのを横目にのぼるにつれて、坂はどんどん角度を増していく。急な斜面を登るために、坂は斜面の左に這い右に這いして蛇行しながら通る者を上へ上へと導いていた。
「……厳しいところですね」
ふと、坂の途中で立ち止まったユンガロスがのぼってきた道を振り返ってつぶやく。
先を歩いていたリュリュナはユンガロスのつぶやきを耳にして足を止め、彼の隣に立った。
「そうですね。土地は狭いし、暮らしは貧しいです。それでもみんな頑張って生活をつないでいるけど、なにかひとつ大きな災害でも起これば、きっとすぐにだめになっちゃう」
静かに言ったリュリュナの視線は、眼下の村に向けられている。
きのう降りて来た道が谷をはさんだ向こうの山の斜面に、細い筋のようにちらついているのが見えた。谷の底はわずかながらの平地となっていて、水の湧く場所もある。貴重な平地は勤勉な村人たちの手によって余すところなく畑となって、湿った土が見えていた。
朝も早くから立ち働く人が、あちらこちらに見受けられる。曲がった腰を伸ばす老人もいれば、リュリュナとそう変わりないほどの背丈しかないものもおり、畑を耕し水を汲み、みんなで村の暮らしを支えているのだろう。
斜面にぽつりぽつりと建てられた掘立小屋のような家々から、やわらかな煙がゆるゆると立ち上っているのが見えた。あの煙のしたでもまた、村人たちが暮らしを守るために働いているのだろう。
それなのに村はあまりにも貧しい。
同じ景色を見てユンガロスは眉を寄せ、リュリュナは笑った。
「だからあたし、街に行ったんです。村に足りないものがあるなら、村の外に行かなくちゃって思って」
明るく言ったリュリュナは、ぎゅっと手をにぎりしめて精いっぱいのしかめつらをする。
「がんばって働いて、村のみんなにおいしいものをたくさん届けるんです。それがあたしの目標です!」
本人としてはきりりと引き締まった顔をしているつもりだが、リュリュナの丸い目と下がり眉ではせいぜい、酸っぱいものを食べたかのような表情にしかならない。
リュリュナのそんな顔を見たユンガロスは、村の実情に強張っていた心がほぐれるのを感じた。
「あ、ユングさんまた笑ってる! もう、さっきからどうしてひとの顔見て笑うんですか!」
ふっくりとほほを膨らませるリュリュナに、ユンガロスはこらえきれずに笑い声をあげた。
「ふふふ。リュリュナさんはほんとうに、すてきだなあと思いまして」
「えええ、それどういうことですか! なんで笑って言うんですかー!」
納得がいかないと言いたげな顔のリュリュナが声を上げるのを背中で聞きながら、ユンガロスは先に坂を登っていく。
気づけばずいぶん上まで登ってきており、あちこちに枝分かれしていた細い道はなくなっていた。あとは、斜面のかなり高いところに一軒だけ建つ家屋があるばかり。
迷いようもない、と先に歩くユンガロスに追いついたリュリュナがその一軒の家を指差した。
「あそこが村長さんの家です。この時間は親が面倒見られない小さい子なが居て、にぎやかだと思うんですけど……」
言いながら、リュリュナは首をかしげた。そちらから聞こえる声は、たしかに子どもの声も混じっているが大部分はおとなの声のようだ。
わいわいがやがや、楽しげな雰囲気が届いている。
「どうしたんだろ」
「ルオンどのが商品を売っているのではないのですか」
首をかしげるリュリュナにユンガロスが推測を述べれば、リュリュナはうーんとうなった。
「ルオンさんの物売りは、いつもお昼からなんですよ。午前中のうちに村長とルオンさんが品物を広げて、村長が村に必要なものを受け取って。残った品物を村のひとが各自持ち物と交換するのが、いつものことなんですけど……」
不思議に思いながらも進んでいけば、だんだんと村長の家が見えてくる。同時に、にぎやかな話し声を響かせているおとなたちの姿も見えてきた。
斜面の上にあるなだらかな箇所に建てられた村長の家は、村のほかの家よりもいくらか大きいようだった。家だけでなく、庭も広い。半分ほどが畑になっているものの、大部分が広場になっている庭は、いつもであれば村長が預かるちいさな子どもたちの遊び場だ。
けれどいま広場を賑わせているのは、村の男たちの低い声と女たちの威勢のいい声だった。
「あ、リュリュ来たな!」
庭に敷かれたおおきな筵を囲うひとの輪から、チギがにかりと笑って出てくる。
「チギ、おはよ。もうルオンさんのお店してるの?」
「ちがうんだよ」
首を振りながらも楽しそうな様子のチギは、ユンガロスに「おう、おはよう」とぞんざいなあいさつをするとリュリュナの手を引き筵のほうへと歩いていく。
「じいさんの売り物をおれの家に置いたら、ほかの土産が置けなくってさ。村長のとこに置かせてもらってたから、ついでにここで分けちまおうと思って」
「あ、それでそれぞれの家からひとりずつ来てもらってるんだね」
見回せば、リュリュナにとっては見知った顔ばかり。あのひとはこの家の、このひとはあの家のひとだとすぐにわかる。
なるほど、集まりがあると父親が呼ばれて行ったのはこのためだったか、と納得するリュリュナの後ろから、ユンガロスが声をかけた。
「土産でしたら、気持ち程度ですがおれも持ってきましたので、いっしょに置かせてもらって良いですか?」
「……気持ち程度?」
リュリュナとチギが首をかしげているうちに、輪をつくるおとなたちがユンガロスを手招きする。
「あー、あんたがリュリュナちゃんとこに来てるお客さまか! よくきた、よくきた」
「まあー、えらい美人だこと! 角も立派でいいわあ」
「男に美人はないでしょうよ。それにしても背の高いきれいな兄さんねえ」
「遠いところご苦労さん。ゆっくり休めたかね?」
「疲れたろう。のどが渇いてないかい。村長さん、湯を沸かしてやっとくれよ」
あっという間にユンガロスを取り囲んだひとびとが口ぐちに、好き勝手しゃべるものだからのどかな村は一瞬にして騒がしくなった。
自由極まりない村人たちに囲まれたユンガロスは、にこりと微笑んだ。
「はい。リュリュナさんのご実家で厄介になっております。リュリュナさんにも強そうだと言っていただきました、自慢の角です。疲れはひと晩寝て吹き飛びましたので、お気遣いなく」
わいわいがやがや賑やかな村人たちの声のすき間にするりと入り込んだユンガロスは、そのままくちを挟む隙を見せずに背中の荷物を筵の隅に置いて言う。
「ほんの気持ち程度ですが、土産の品を持って参りました。ユンガロスと申します。よろしくお願いいたします」
どさりと置かれた小山のような荷物と、にこりと添えられたさわやかなユンガロスの笑顔に、騒がしい村人たちはそろってぽかんとくちを開けるのだった。




