3
ユンガロスの腕に抱えられたふたりの幼女は、戸惑う男によじ登りしがみつき、とても自由に振舞っている。
ひとりはユンガロスの長い黒髪を指に絡め、もうひとりはその立派な角をつかんでいるものだから、そばにいるリュリュナは手を出しあぐねていた。
「サニナ、だめだよ髪の毛引っ張っちゃ! トネルも、角をおもちゃにしないの!」
「ええー、サニナ引っ張ってないよ。さらさらで気持ちいいよー」
「トネルだっておもちゃにしてないよ。ちょっと触ってみてるだけー」
手が出せないながらもくちを出すリュリュナに、少女たちはこてりと首をかしげるばかりでユンガロスから離れない。
妹たちが好き勝手するのを止められずに、リュリュナはおろおろするばかり。
ユンガロスもまた、リュリュナよりもちいさな少女たちを相手にどうして良いものやらわからず、されるがままになっていた。
「お客さま起きたって聞いたけど……」
そこへ、木戸の向こうから顔を出したのはリュリュナの弟のルトゥだ。
家のなかをのぞきこんだ彼は、ややたれぎみのうさぎ耳をかたむけて、そこに広がる光景を目にして眉を寄せた。
「……なにしてるの?」
「ルトゥ、いいところに! サニナとトネルがユングさんに登っちゃって、でもへたに引っ張るとユングさんの髪とか角を傷めちゃいそうで」
「サニナ、うさぎのまね」
慌てて言いつのるリュリュナのことばを最後まで聞かずに、家に入ってきたルトゥは妹の名を呼んだ。
続いた謎のことばにリュリュナとユンガロスが首をかしげる暇もなく、サニナが頭のうえで両手をぴんと立てた。
「みみー!」
「はい、上手」
うさぎの真似をしたサニナの脇に手を差し入れ、ルトゥは妹を捕獲した。うさぎの耳と化した手は当然ユンガロスから離れており、サニナはあっさりと板間に戻される。
板間に降ろされたサニナは、不満を言うでもなくうさぎの真似をしたままぴょんぴょんと跳ねて遊んでいた。
「トネル、鳥のまね」
ルトゥが言うと、トネルが両手を素早く横に広げた。
ちんまりした腕をぴしりと伸ばした彼女は、両腕を上下にぱたぱた動かす。羽ばたいているつもりらしい。
「はねー!」
「よくできました」
鳥のつもりで羽ばたくトネルを抱き上げて、ルトゥは板間にそっとを下ろす。ふたりして「ぴょんぴょ~ん」「ぱたぱた~」と狭い板間をにぎやかに動き回っている。
思わず少女たちの動きを目で追っていたユンガロスとリュリュナに、表情を変えずにルトゥが声をかけた。
「お客さま、起きたなら村長さんが待ってるって。姉ちゃんもいっしょに来てほしいってさ。鍋はおれが見とくから」
「ちょうどよかった。村長さんのところに荷物を持っていかなきゃって話してたんだよ」
「リュリュナさん、道案内をお願いできますか?」
「もちろんです、行きましょう。ルトゥ、お鍋よろしくね」
こっくりうなずいた少年は、リュリュナから木しゃもじを受け取ってかまどに向かう。
ユンガロスが大荷物を背負い、さきに出て行ったリュリュナの後を追って敷居をまたいだとき、ユンガロスの背中に声がかかった。
「お客さま。布団、すごく気持ちよかった。ぼくあんなに気持ちいい寝床はじめてだったからびっくりしたけど、ぐっすり眠れたよ。ありがとう」
肩越しに振り向いたユンガロスに、ルトゥが目を輝かせながら伝えてくる。そのことばの飾り気のなさ、向けられた瞳のまっすぐさに、ユンガロスは照れ臭さを覚えながらも微笑んで返した。
「それほどまでに喜んでいただけたなら、おれも背負ってきた甲斐がありました。たくさん使ってくださいね」
「うん。行ってらっしゃい」
目を糸のようにして笑ったルトゥが言えば、幼い声がそれに続く。
「「いってらっしゃーい!」」
声の主は遊びに夢中だとばかり思っていた少女たちだ。くるくると板間を回っていた彼女らは、ぴたりと動きを止めて戸口に向き直り、そろってぶんぶんとおおきく手を振っている。
ちんまりとした身体に見合わず大きな声のふたりは、すぐそばにいるユンガロスとリュリュナに向けて全力で手を振っているらしい。
「はい。行ってまいります」
「いってきます。サニナもトネルも、ルトゥお兄ちゃんの言うことよく聞くんだよ」
「はーい!」
「はいはーい!」
出かける挨拶のおまけにリュリュナが言い含めると、少女たちはそれぞれ片手をぴんと上に伸ばして返事をする。威勢はいいが、あまりの元気の良さに言いつけが守られるとは思えない。
思わずもうひとこと付け足そうとしたリュリュナよりも速く、ルトゥがくちを開いた。
「トネル『はい』は一回で十分だよ」
「はあい」
叱るでなく、静かに諭すルトゥにトネルも素直にうなずいた。それを見たリュリュナは言うつもりだったことばを飲み込む。
「ルトゥ、よろしくね」
それだけを改めて言ったリュリュナは、自分よりもすこし背の高い弟がこっくりうなずくのを確かめてから歩き出す。
すぐに追いついて隣にならんだユンガロスを見上げたリュリュナは、黒眼鏡越しの瞳とぶつかって首をかしげた。リュリュナを見つめるユンガロスの瞳は、やさしく細められている。
「ユングさん、楽しそう。あたしの顔になにかついてますか? それとも髪の毛?」
寝ぐせがあったかな、と立ち止まって頭のてっぺんに手をやるリュリュナに、ユンガロスはますます笑みを深めながらも首を横にふった。
「いいえ、リュリュナさんはきょうもとても愛らしいですよ。ただ、あなたも立派なお姉さんなのだな、と思いまして」
「ええ? そうですけど、でも、なんで笑ってるんですか?」
きょとんとするリュリュナに、ユンガロスはふふふ、と笑うばかり。ぱちぱちと瞬きをくり返すリュリュナを置いて歩き出してしまう。
「あ、ユングさん! 道わからないのに先に行かないでくださいよ!」
リュリュナが慌てて駆け寄ると、ユンガロスは感心したようにあたりを見回してうなずいた。
「本当に、まったくわかりませんね。道がどれかすらおれにはわかりません」
「え、それはさすがに言い過ぎじゃ……」
「いいえ。草が生えていない場所がおそらく人の通る道なのでしょうけれど、このあたりはまだ春の芽吹きが来ていないようですから。単に草が枯れている箇所なのか、人が踏んで枯れた場所なのか決めかねます」
「う、ううーん。それはまあ、そうかもしれません……」
興味深そうに家の近くを眺めるユンガロスを否定しきれずに、リュリュナは苦い顔をする。
ユンガロスにとっては珍しい山奥の田舎道、リュリュナにとっては慣れ親しんだ村の道をふたりは並んでゆっくりと歩いて行った。




