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「ひぃっ、杭が!」
異形のそばで腰を抜かしていた従者が悲鳴をあげた。赤ら顔の男と狐顔の男は互いを盾にしようと、転んだまま押し合い引っ張り合い、争っている。
リュリュナとヤイズミの前にユンガロスが立ち、ふたりに下がるよう伝えようとした、そこへ。
張り巡らされた幕の向こうから、黒い人影が飛びだした。
「あーっ、姫さんいたっすー!」
緊張感のない声をあげ、現れたのはノルだった。いつもの書生風の恰好に加えて、太くて長い棒を担いでいる。
「ノル、杭を打ってください!」
飛び込んできたノルが地に足をつけるが早いか、ユンガロスが指示を出す。黒眼鏡をしていない上司の視線を追ったノルは、にいっと笑って黒い棒を担いだまま異形に駆け寄った。
棒の長さはノルの背丈ほど。リュリュナの胴体よりも太いその棒は、持ち手以外の部分に鋭いとげが生えた異様な鈍器だ。
額に角を持つノルがそれを担いでいる姿を見て、リュリュナは思わず声をあげた。
「わあ、鬼に金棒だあ……!」
リュリュナの歓声を背に、ノルは金棒を軽々と振り上げる。狙うは杭。
「はい、よっと!」
どごんっ!
「ひゃあっ」
「きゃあ!」
杭を打ち込む重たい一撃に、地が揺れた。思わず悲鳴をあげて手を取り合ったリュリュナとヤイズミの肩を、誰かがそっと支えてくれる。
「したで待ってて、って言ったのに」
いつも通りの淡々とした声にわずかながらの恨みがましさを込めて言うのは、ソルだ。いつの間に現れたのか、問う間もなく移動したソルは、地面に座り込んだままの男たちに近づいた。
「なっ、なにをする気だ! お前ごとき分家のものが、我に触れるつもりか!?」
「そうじゃ! 何をしておる、早うその獣をどうにかせい!」
腰を抜かしたままわめく男たちに、ソルは気にした風もなく近寄る。そして、ふたりの男の頭にふらりと手をかざした。
どさり。
途端に、泡を飛ばして叫んでいた男たちがそろって地面に倒れる。その顔は、いやに白い。
ソルの手は男たちに触れていない。
「うぅ、寒い……」
「分家だからって、力が弱いとは限らねえんすよー」
倒れた男たちなど興味なさげに、ソルは肩を抱いてぷるぷる震えだした。
軽い口調で男たちに言ったノルは、どこから取り出したのか長い肩掛けを広げてソルをぐるぐると巻いていく。
「手をかざすだけで人を昏倒させるなんて……相変わらず、力は強いのね。寒さに弱いのも相変わらずのようだけれど」
ノルとソルのやり取りを見ていたヤイズミが、呆れたようにつぶやいた。
「そういえば、ソルさんとヤイズミさまは親戚でしたっけ」
「ええ。わたくしも彼も、雪女の力を持つひとが祖先らしいですね」
「なるほどー。だからふたりとも色白で美人さんなんですね」
リュリュナが納得していると、男たちを縛りあげついでとばかりに無抵抗の従者たちも縛り上げたノルが、わくわくとした顔で振り向いた。
「そのふたりが美人なら、おいらは? おいらかっこよかったっすよね? ね、ね!」
「それよりも、ノル。なぜあなたよりも先にヤイズミ嬢が、守護隊でもない一般人が現場に突撃してきているのでしょう? おれはそれが知りたいです」
「うっ、そっ! それは……こ、おっさんたち運んできまーっす!」
リュリュナに絡んでいたノルは、笑顔のユンガロスに詰め寄られて逃げ出した。金棒を背負って、と左手それぞれに赤ら顔の男と狐顔の男をわしづかんだノルは、あっという間にかがり火の届く範囲から姿を消した。
ソルは縛っただけで意識はある従者たちを連れて、静かにそのあとを追う。疲れ果てたような顔をしてうつむいたフチもまた、ソルに連れられてふらふらと去って行った。
気づかわし気に見つめるヤイズミの視線を見返すこともなく、行ってしまった。
陣幕のなかに残されたのは、リュリュナとユンガロスとヤイズミ、そして異形の獣だ。
ソルが現れた時点からうなるのをやめていた異形の獣を見つめて、ユンガロスは思案する。
「さて。そちらも被害者とはいえ、どうしたものでしょう……」
「あの、ユングさま」
鎖に戒められ、地に伏せた異形の前で腕を組むユンガロスの横で、リュリュナがはいっと元気よく手を挙げた。
邪魔かな? ダメかな? でもお話聞いてほしいな? と言わんばかりの顔で見つめられたユンガロスは、難しい顔をほろりと崩してリュリュナに笑いかける。
「どうしました、リュリュナさん。なんでも聞きますよ」
「ありがとうございます! あの、ユングさまはとっても強いんですよね?」
きらきらした瞳とともに向けられた質問に、ユンガロスは驚きつつもうなずくことにした。
「ええ。強いと言っても差し支えない程度の力は、有しているつもりです」
ことさら力をひけらかしたい性質ではないが、謙遜する場でもない。なにより、リュリュナの期待に満ちたまなざしを裏切ることなどユンガロスにはできなかった。
「じゃあ、そこの鎖につながれてるひとよりも、速く動けますか?」
「はい、うぬぼれでなければ」
「じゃあ、もし襲い掛かってきたとしても、負けませんか?」
「はい、勝てるかと聞かれればわからないと答えますが、負けることはないと誓います」
期待通りの返答をもらえたのだろう。ますます目を輝かせたリュリュナが質問するたび、ユンガロスはひとつひとつ正直に答えていく。
答えるたび、リュリュナがうれしそうにうなずくものだから、気分良く答えていた。その問いの意味など考えずに、答えてしまっていた。
「だったらあたし、そこの鎖につながれてるひととお話しても、いいですか?」
そう問われるのをにこにこと聞いていたユンガロスは、リュリュナのことばの意味を理解するのにしばし止まった。
そして、ユンガロスが止まっているうちに叫び声をあげたのはヤイズミだ。
「なっ、なにを言い出すんですか、リュリュナさん!?」
「うーんと。見ていたら、どうにもそのひと、悪いひとに思えないんです。だからすこしお話してみようと思って。ユングさまが守ってくれるなら、安心ですから。ね?」
慌てふためくヤイズミに答えたリュリュナが、にこっと笑ってユンガロスを見上げた。
その目に宿る確かな信頼を向けられて、ユンガロスはうっとことばに詰まる。リュリュナを危険にさらしたくはない。けれど、先ほどまでの返答が嘘だと言うこともできない。
リュリュナの望みを叶えなければ、どうしたって信頼を損なう状況に追い詰められていた。




