溶けてなくなるアイスクリン
威勢の良い返事をした男たちは地面に置いた金を拾いあげると「すぐ、返しに行ってきます!」と去って行った。
その後ろ姿に嘘はない、はずだ。
少なくとも、ナツ菓子舗の面々はそうであってほしいと願って、黙って彼らを見送った。
そうして、店内の空気がほっとゆるんだとき。
「ふふっ」
軽やかな笑い声が羽根のように店内を軽く舞った。
リュリュナがそちらに目を向ければ、人形のようだと思っていたヤイズミが目を細めて笑っている。しろいほほに朱がさして、一気にひとらしさを増したヤイズミの笑顔はとても愛らしくて、リュリュナだけでなくゼトやナツメグまでも目を奪われた。
ヤイズミの後ろに控えていた彼女の侍女であるフチまでも、笑うヤイズミに目を丸くしている。
「ふふふ、店の評判を落としたならず者にまっとうに稼いだ金子で買いに来い、ですって。あなた、やっぱりおもしろいわ」
居る者すべての視線を集めていることなど気にもかけず、ヤイズミはリュリュナに声をかけた。あわてたのはリュリュナだ。
どうしたらいいのか、とおろおろとゼトを見上げ、ナツメグに涙目を向け、フチに視線で助けを求めた。
けれど、そのだれもが戸惑いしか返してくれないため、リュリュナは意を決してヤイズミと向き合う。
「だっ、だって、この店に悪さをしなくなっても、ほかのお店やひとに悪いことするようになったら、嫌です! 仲良しにはなれなくても、嫌なひとでなくなってくれたらいいな、って思って……」
あわあわしながら、リュリュナは自分のなかでもまとまっていない気持ちをくちに出した。
見るからにお嬢さまで周囲もそう扱うヤイズミに、どう対応していいやらわからず、リュリュナは緊張で汗がにじむ。天使のような美しさのせいだろうか。美しいといえばユンガロスもまた美しいが、彼と話すときはこれほど緊張しない。
―――どうしてだろう。
リュリュナがその考えに答えを出す前に、笑いを収めたヤイズミがするする歩いて店内を進み、板間に置かれた番重に並ぶクッキーの包みの前で立ち止まった。
「甘い考えね。まるでこのお菓子のよう。けれど、きらいではないわ」
そう言ってゆるりと視線を向けられて、リュリュナは目をぱちくりと見開いた。小首をかしげるようにしたヤイズミの肩をさらり、と白い髪が流れ落ちる。
その流れが止まってようやくヤイズミのことばを理解したリュリュナは、思わずふにゃふにゃとくち元をゆるませて笑った。
よく見れば、ヤイズミの涼やかなくち元もごく薄く弧を描いている。ちいさな牙っ娘と天使のようにうつくしい娘が笑いあっているところへ、朗らかな声が届く。
「白羽根のお嬢さま。良かったら板間にあがって、やすんでいかれませんか」
そう言ったのは、ナツメグだった。いつの間に用意をしたのか、その手には湯気の立つ急須の乗った盆がある。ほんのり香るのは、たまの贅沢にとナツメグが買ってあった茶葉のぬくい香り。
ぜひに! と笑顔でうなずくリュリュナを見つめて、ヤイズミはうなずいた。そこへ、いまだ戸口に立ち止まっていたフチが待ったをかける。
「お嬢さま! こんなあばら家で茶など……!」
「フチ」
言いかけた侍女の名をヤイズミが静かに呼ぶ。ただ名を呼んだだけなのに、そこにはことばを飲み込まざるを得ない何かがあった。
「この店のように、わたくしどもの商品を卸す先があるからこそ、わたくしたちは日々の暮らしを維持できているのです。貴族制度がなくなってなお、わたくしが着物を着る意味を考えなさい。高価な着物をまとうに相応しい者でありなさい」
説き伏せるのではなく、あくまで言い聞かせるように静かな声でヤイズミが告げた。侍女はなにか言いたげに、けれどぐっとくちびるを噛みしめて「はい」とちいさく返事をした。
それを聞き、ヤイズミはくるりと着物の袖を翻してリュリュナに向き直り、勧められるままに板間にあがる。
ことり、と並べられた湯呑みの数は全部で五つ。けれど侍女のフチはがんとして戸口から動かなかったため、板間に並んだ四人は輪を作って座った。
ゼトのとなりにナツメグが座り、そのとなりにリュリュナが座る。リュリュナとゼトに挟まれる形で、ヤイズミがそっと腰を下ろす。
茶をひとくち含み、ふと横を見たヤイズミは、湯呑みを抱えたリュリュナがふうふうとお茶に息を吹きかけているのに気が付いた。
―――風車をまわそうと必死な子どものようね。
胸のうちでつぶやいたヤイズミが、そっと手を伸ばしてリュリュナの湯呑みに触れる。きょとん、としていたリュリュナの顔が、見る間に驚きに変わっていった。
「わたくし、物を冷やすのは得意でしてよ」
リュリュナの様子とヤイズミのことばに首をかしげていたナツメグとゼトは、リュリュナの湯呑みを見つめて目を丸くした。
ほこほこと上がっていた湯気が急に勢いを弱めて、ゆるく茶のうえを流れる程度に変わっていた。
「お茶、あちちじゃなくなってます!」
おそるおそる茶にくちをつけたリュリュナが、声をはずませる。すると、ヤイズミはつん、とあごをそらして何でもないことのように言う。
「白羽根の特技です。ノルほど力が強くはありませんけれど、わたくしだってそこそこの能力を持っております」
「ノルっていうと、守護隊の?」
ゼトが問えば、ヤイズミはこくりとうなずいた。
「ええ、あれとわたくしは親戚です。と言いましても、かつての貴族はほとんどみな親戚関係にあるのですけれど」
どこか暗い顔で言うヤイズミに引っかかりを覚えたリュリュナだったが、それよりも別の良いことを思いついて声をあげた。
「物を冷やせるなら、すてきなお菓子が作れます!」
「まあ、何かしら」
「お、なんだ。どんな菓子だ?」
すぐさま食いついたのはナツメグとゼトだ。ヤイズミの手前、かしこまって正座をしていたことも忘れて、いそいそとリュリュナにひざを寄せる。
「アイスクリン、です。くちに入れると溶けてなくなる、あまくて冷たいお菓子です。でも、作るには水が氷になるくらい冷たくできないといけないんですけど……」
この街では、氷は貴重品だ。氷を作れる能力を持つものは貴族に限られており、そうして作られた氷のほとんどは、貴族間にしか出回らない。そのため、あきらめていた菓子だったのだが。
「瞬く間にとまではいきませんが、水を氷にするくらいならわたくしとて可能です」
「お嬢さま!」
血筋のなせる特異な能力を便利な道具のように使うことを肯定するようなヤイズミのことばに、侍女がたまらず声をあげた。けれど、ヤイズミはつんと顔を背けて侍女を見ない。
「わたくしもそのあいすくりんとやらに、興味があります」
そっぽを向いたままヤイズミが言えば、侍女は困ったように眉を寄せる。そのくちから小言が飛び出す前に、リュリュナは両手をぺちりと合わせてにっこり笑う。
「じゃあ、新鮮な牛の乳が手に入ったら、いっしょにお菓子を作りましょう!」




