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折悪く、きなこをまぶしたドーナツをくちに運びかけていたゼトが、驚いてげほおっ、とむせた。きなこが肺に入ったらしい。
それを聞きつけて、来訪者が店のなかに入ってきたようだ。
近づいてくる足音に、リュリュナとナツメグは顔を見合わせて、台所から板間にあがった。
「あ、いたいたー。ユンガロスさまの隠し子、発見っすよー!」
会うなり、ひとを指さして笑うのは守護隊の一員、ノルだ。本日も書生風の服装に眼鏡をかけて、軽薄な笑顔を浮かべている。
「ひと、指ささない。ノル、ぶっぶー」
リュリュナを指さすノルの指をわしづかんでぐきりと曲げているのは、同じく守護隊のソルだ。「ぎゃああ、いてえっす!」と叫ぶ相棒の指を離したソルは、春の陽気に満ちた昼日中だというのに、今日も着流しに羽織を着こんで寒そうにしている。指を離すなり、ソルはノルの背に隠れた。そこが定位置のようだ。
「え、ええと? あたしが、ユンガロスさまの隠し、子? ですか?」
突然あらわれて告げられたことばがよくわからずに、リュリュナは首をかしげた。それを見て、曲がってはいけない方向に曲げられた指をさすっていたノルは、おおきくうなずく。
「そうっす! 街でうわさになってるっすよ。ユンガロスさまが幼児を連れて街歩きしてて、しかもその幼児を大事そうに抱えて守りしてた、って」
うわさになっていると言われてほほを染めかけたリュリュナだったが、続いた幼児、と単語と抱えてた、ということばにしょんぼりと肩を落とした。
リュリュナとしては、デートをしたつもりだった。ユンガロスに誘われて、手をつないでお出かけしたのだ。リュリュナの金銭的余裕がなかったせいで多少、色気のない行き先にはなったかもしれないが、リュリュナのなかではデートだったものが、世間からは幼児のお守りと認識されていたのだ。
ユンガロスは立派なおとなだ。リュリュナのような子どもじみた者が本気でお付き合いできるなんて思ってはいなかったが、一時でも構ってもらえるのがうれしかった。まるで素敵なレディを相手にするようなユンガロスの対応に、どきどきして幸せな気持ちになれたリュリュナだったのに。
楽しかった思い出が、急激にしぼんでいくような気持ちになって、リュリュナはしゅんとうつむいた。
その頭を、ぽん、と叩く手があった。
ゼトだ。肺に入ったきなこにげほげほと苦しんでいたゼトが、ようやく呼吸を落ち着けたらしい。涙目のまま板間にあがってきて、リュリュナをかばうように前に出る。
「それを本人に聞かせて、どうしようってんだ。守護隊とはいえ、むやみにひとの気持ちを甚振ろうってんなら、こっちも黙ってねえぞ」
ゼトは言って、眉を寄せてすごんで見せる。それを見たノルは肩をすくめた。
「おお、こわ。別に、ちびっこをいじめようってんじゃないっすよ」
「これは、お知らせ」
茶化すようなノルのことばに、ソルが淡々と付け加えた。それを受けて、ノルがうんうんとうなづいて見せる。
「そうっす。おいらたちはただ、お知らせに来ただけっすよ。ちびっこがユンガロスさまの隠し子だって思われてるから、気をつけなよ、ってね」
「有名人の子、利用価値ある。悪いやつら、要注意」
ソルの端的なことばに、ナツメグが「ああ」とため息のように声をこぼした。
「そうね。そうよねえ。隠し子でなくても、ユンガロスさまと親しいとわかったら、悪いことを考えるひともいるかもしれないのね。お知らせしてくださって、ありがとうございます。リュリュナちゃんがお出かけするときは、必ずわたしか義弟のどちらかが付きそうことにします」
ノル、ソルに向かって頭を下げるナツメグを見て、リュリュナは衝撃を受けた。
前世で暮らした日本でも、今世を過ごした故郷の村でも、ひとり歩きができないような危険な状況を経験したことがなかったからだ。
想像もしていなかった危険が身に迫っていたと気が付いて、恐ろしくなった。
「そうっすね、注意しといてくださいっす。脅すわけじゃないけど、どうも年々、街の治安が悪くなってるみたいっすからねえ。良からぬ考えを持つ輩も出かねないっすから」
「備えあれば、憂いなし」
真面目な顔で言ったノルに、ソルがぼそりとつぶやく。
リュリュナをかばうように立っていたゼトはそれを受けて、そっと横にずれて「……わかった。忠告感謝します」とうなずいた。
それを聞いた途端、ノルが真面目な顔を消し去ってにぱあっと笑う。
「それはそれとして! 聞いたっすよ、ちびっこ! あの白羽根のヤイズミお嬢にがつんと言ったらしいじゃないっすか」
「うっ!」
にまにまと嬉しそうに言われて、リュリュナは午前中にやらかした己の所業を思い出して、胸を押さえた。
ナツメグとゼトはああ言ってくれたが、やはり相談をすべきだったとリュリュナのなかには後悔が残っていた。時間とともに落ち着いて向き合えそうだと思っていた矢先に、ノルにいじられて、リュリュナのなかの後悔がふくれあがる。
「ただのちびっこじゃなかったんすねえ。なんでも、がなり立てる侍女相手に一歩も引かないで、白羽根のお嬢を行列に並ばせたんっすよね? 客はみんな平等だ! って。さすがは、ユンガロスさまが目をつけただけはあるっすよ!」
「ひゅうひゅう、かっこいい」
「あう!」
せっかく忘れかけていたのに、ノルの陽気な声とソルの平坦な野次が、リュリュナの記憶を容赦なく引きずり起こす。
「いや、むしろヤイズミのお嬢だからっすかね? あのお嬢がユンガロスさまの婚約者候補として最有力だからこそ、けんか売った、みたいな?」
「三角関係、どきどき」
「ひえっ!?」
ノルからもたらされた情報に、リュリュナは飛び上がって驚く。そして、着地と同時に落ち込んだ。
―――あんな素敵なおとなのひとなんだもん。婚約者くらい、いるよね……。
それに思い至らず、調子に乗ってユンガロスの誘いに喜んで飛びついた自分に呆れて、リュリュナはますます落ち込んだ。
まるで、胸の真ん中に穴が開いたような気持ちだった。
「まあ、ちびっこにそんな考えなかっただろーけど。くれぐれも、無茶だけはしないでくれっすよ」
「ぼくも命、惜しい」
「そうですねえ、リュリュナちゃんはひとりで頑張ってしまうから、気を付けておかなくちゃ」
「ほんのすぐそばだからって、ひとりで出かけるなよ。離れにも、鍵かけて寝ろよ」
全員がくちぐちに言うのに、すかすかする胸に気を取られていたリュリュナは、うわの空で「はい」と返事をするのだった。




