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その牙っ娘にエサを与えないでください  作者: exa(疋田あたる)


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11/102

5

 女性に案内されて台所から二階にあがったリュリュナは、渡されたお湯にくぐらせた布で体をふいて、かばんのなかにあった比較的きれいな服に着替えた。


 くたびれたずぼんと擦り切れた長袖のシャツ。 

 どちらも大きさがあっていないため、ずぼんは腰ひもで縛り付けてシャツは袖を何度も折って、ひじのあたりまでまくり上げてある。


「あらあらあらまあ。そんな格好で寒くないの?」


 さっぱりして降りてきたリュリュナを迎えた女性が、ほほに手を当てて目を丸くした。


「はい、ここは火が焚かれてて温かいし、村のほうがもっと寒かったですし」


 こっくりうなずいたリュリュナに、青年がどこからか引っ張り出してきた割烹着をかぶせた。

 

「それ着とけ。そんなぼろ着て料理させられねえ」

「……ありがとう」


 ぶっきらぼうに言う青年に礼を言って、リュリュナは渡された割烹着に頭と腕を通した。

 それを見て、女性がうれしそうに笑う。


「あらあ、ゼトくんありがとう。ちいさいときの割烹着、探してくれたのね。それを着てれば、すこしは温かいものねえ」


 女性のことばに青年は返事をしなかったが、リュリュナの身体が温かく包まれたのは事実だった。当たり前になっていた状態は、実は寒かったのかもしれないとリュリュナはそのときになって気が付いた。


「ええと、それじゃあリュリュナちゃん。使い方を教えてもらう前に、わたしはナツメグです。ここでお菓子屋さんをしています」


 よろしくね、とふんわり微笑む女性、ナツメグにリュリュナはうなずいた。

 続いて、隣に並ぶ青年がナツメグに促されてくちを開く。


「おれはゼトだ。ナツ姉の義理の弟だ。菓子屋見習いをしてる」

「そうそう、ゼトくんのお兄さんがわたしの夫なの。夫は海に出ていて家を留守にしがちだから、ゼトくんがいてくれて助かってるのよ」


 うふふ、と笑うナツメグに見上げられて、ゼトは照れ臭そうに鼻のしたをこすった。

 そんな義弟をほほえましげに見たナツメグは、リュリュナに視線を向けてからぽふんと手を打ち合わせる。


「それじゃあ、さっそくだけれどあの豆の使い方を教えてもらおうかしら」

「はい。がんばります!」


 元気よく返事をしたリュリュナは、ナツメグに付いて進み、台所の中央に置かれた胸ほどの高さの台に向き合った。

 リュリュナにとって胸ほどの高さだが、ナツメグにとっては腹の高さ。ゼトに至っては腰までしかない台だ。

 リュリュナの左右に立ったナツメグとゼトは、そろって沈黙した。


「……あー、踏み台をとってくる」

「そうね、ゼトくん。お願いするわ」

「…………」


 詳細に触れず動き出すふたりに、リュリュナはいっそ笑ってくれと思いながら黙り込んでいた。けれど、笑われればそれはそれで悔しいだろう、と複雑な気持ちを抱いていた。

 間もなくゼトがどこからか踏み台を持ってきて、リュリュナの足元に置いてくれると、なにごともなかったかのように料理がはじめられた。

 踏み台に乗ってもリュリュナの肘あたりまでしか台のうえに出なかったことには、もはや誰も触れなかった。


「ええと、これが問題のお豆。貴婦人蜂の豆というものなんだけど」


 ナツメグがリュリュナの前に差し出したざるには、黒く細長い豆の鞘が並んでいた。それを見たリュリュナは、胸のなかでほっと息をついた。


 ―――ここまで来て匂いだけ似てる別物だったら、今晩の宿がなくなるところだった。


 見せられた豆は、呼び名こそちがえど前世で見たバニラビーンズと同じ姿形をしていた。

 匂いも形も同じならば、使い方もきっと同じだろう。リュリュナは前世でお菓子作りに挑戦したときのことを思い出しながら、豆の鞘に手を伸ばす。


「そうですね……どういうお菓子に使いたいですか」


 豆の鞘を触った感触は、乾いているが曲げても割れそうではない。乾燥しすぎているわけでもなく、良い状態のものだと思われた。

 前世で扱ったものよりもずっと良い品に、緊張しながらのリュリュナの問いに、ナツメグとゼトは顔を見合わせている。


「使い方は、ひとつではないの?」


 首をかしげたナツメグに、リュリュナは記憶を掘り起こしながらうなずいた。


「はい。ええと、鞘のなかの豆をそのままお菓子に入れることもできますし、お酒に匂いを移したり、油に匂いを移したものを使うこともあります。それから牛乳で煮出して使ったり、お砂糖に匂いをつけることもできるはずです」

「いろいろあるのね。そうね……焼き菓子にこの香りをつけたいときには、どの方法がいいのかしら」


 リュリュナの説明を聞いてすこし考えたナツメグは、焼き菓子といいながらざるに入ったクッキーを出してきた。


「これ、くっきぃという異国から調理法が伝わってきたばかりのお菓子なのよ。試しに焼いてみたものの、香りがすこし寂しくて。だからこのお豆で香りをつけられたら、と思ってるんだけど」


 ナツメグのことばに、ゼトが続ける。


「豆だから煮出せばいいんじゃねえか、って薄く煮出したり濃く煮出したり試してみたんだけどよ。煮汁を混ぜるとくっきぃがうまく形にならねえし、成型しやすいように煮汁を減らすとうまく匂いがつかなくってよ」


 ゼトが言うのを聞いて、店を入ってすぐの土間の部屋にあった椀の中身は、バニラビーンズを煮出した液体だったのだとリュリュナは思い至った。どうりで、店の外まで甘い香りがこぼれ出るはずだ。

 困り顔のふたりに、リュリュナは笑顔でうなずいた。バニラクッキーならば、前世で作った記憶があった。


「だったら、鞘から出した豆を生地にまぜて焼いてください。あ、豆はほんの少し。両手にいっぱいくらいの生地に、鞘半分くらいの豆でじゅうぶんです」

「そんなもんでいいのか!」

「ずいぶん少ないのねえ」


 驚く姉義弟(きょうだい)にリュリュナはクッキーの生地はあるかと尋ねた。

 混ぜ合わせた段階で休ませている生地がある、とゼトが濡れ布巾のしたからクッキー生地を出してきた。

 ゼトの片手に収まる程度の生地は、リュリュナにとっては両手いっぱいの量だ。

 

「ちょうどいいですね。じゃあ、そこに豆を入れましょう」


 リュリュナは台に置かれていた小刀で黒い豆の鞘を半分の長さに切った。半分に切ったその鞘を裂いて、なかの豆を小刀の背でしごいて取り出した。

 出てきたちいさな黒い豆を生地に混ぜるようゼトに渡して、残った鞘を手にリュリュナはナツメグを見る。


「お砂糖の壺にこの鞘を入れておくと、甘い香りがついたお砂糖ができます。ほかにも、飲み物と一緒に煮出したら甘い香りのついた飲み物が作れるはずです」

「まあ、それじゃあ、お砂糖壺に入れておきましょう。貴婦人蜂の豆の香りがするお砂糖なんて、素敵ね」


 にっこり笑ったナツメグが鞘を受け取った。

 その向こうではゼトが、バニラビーンズを入れて平たくのばしたクッキー生地を切り分けて、かまどに入れいている。


 ―――うまくいきますように。


 リュリュナは祈るようにしてその背中を見守った。 

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